基本的に、全員がじっとしていない性質の人間ばかりだ。
おかげで、自由行動の間はラピードとふたり(正確にはひとりと一匹)でのんびりできることもある。もちろん、どこかで誰かが何かやらかすんじゃないかと心配しないわけではないけれど、気をもんだ所でどうにかなるようなものでもない。なんせ暴走系の曲者ばかり揃ったメンツだ(もちろん自分のことは棚上げで!)。何かが起こるまでくらい、ゆっくりしたってとがめられるいわれはない。
開けっ放しの窓から聞こえる、鳥の声、風の音。それに混じって、女の子を追っかけているらしいおっさんの声がちらちら聞こえる気もするけれど、それは脳に届く前にシャットアウトした。
「こういうのも久しぶりだな、ラピード」
「ワフゥ」
耳をぱたりと動かす相棒は、ベッドの横で丸くなっている。こちらも昼寝を決め込む気だろう。ユーリ自身のように……というよりは、ユーリに付き合ってくれている、のかもしれない。
ああ、なんて心地のいい昼下がり。ユーリはすっと目を閉じる。閉ざしたまぶたからもなお透けて見える穏やかな光が暖かくて気持ちいい。意識がまどろみ、暗くも明るい中に飲み込まれていく――
「ユーリぃーっ!!」
……盛大な足音と叫び声がしたのはそのタイミングで、ユーリは瞬時に現実へと引き戻された。ラピードは一度片目を開けて、またすぐに閉じた。くあ、とあくびをする。でもユーリはそんなこともしていられまい。体を起こして黒髪をかきまわす。涙混じりの声で叫びながら、宿の廊下を全力疾走してくるのは、きっと、
「ユーリっ!」
「おーい、全力で廊下走んなよ? カロル先、」
ほとんど体当たりでドアを開けたその小さな姿を見て、ユーリは言おうとしたことを最後まで言えなかった。
「……またいい具合のウェルダンだな」
「焼き加減とかで感心しないでよ! それより大変なんだってば!」
部屋に入ってきたカロルはどこと言わず焦げていて、何となく全体的に煤けている。少しばかりいつもより焦げくさいところを見ると、火力は少々強めだったのだろう。
相当ご機嫌斜めだな、とユーリはまだ話にすら出されていない人物の機嫌(今現在)をこっそり量った。
「で、リタがどうしたんだ?」
「ええと、また魔導器のことで騎士団ともめて……って、なんでボクが来た理由がリタだって知ってるの?」
「少なくとも、あの魔狩りの嬢ちゃんあたりと出くわして泣かされたなら、できてんのは焦げじゃなくて切り傷と心の刺し傷だな」
「それどういう意味さー!」
さあなと軽く肩をすくめて、ベッドから降りる。
「で、リタがどこで暴れてるって?」
「街の広場だけど……」
「まーた人の集まりやすいとこだな、オイ」
「しかたないよ。そこに魔導器あったんだし、ああいうときのリタは周り見えないし」
「それを止めようとしたカロル先生の努力は、とりあえず拾っとく。ごくろーさん」
相変わらず焦げたまま、ごわついている茶色の髪をくしゃりと撫でてやった。
えへへと嬉しそうに笑った(さすが素直なお子さんは違う!)カロルだけれど、すぐさまぱっと目尻を吊り上げる。
「……ってちょっとユーリ! ボクさっきの納得できてないよ!」
「気にすんなって。まあわりとそのまんまの意味だ」
「そのまんまって何ー!」
一時おさまっていた涙を再び目元ににじませるカロル。
こみあげる笑いを抑えながら、ユーリは部屋の出入り口へと歩き出す。
「ほら行くぞ、カロル。うちの暴走魔導士を止めなきゃいけないんだろ」
「そ、そうだけど……って、ちょっと待ってよ!」
きっと追いかけてくるカロルは、まだ納得のいかない顔をしているのだろうと思うと、ますます笑えてきた。けれど、肩を震わせでもしようものならそれだけでカロルがまたすさまじくむくれるのだろうと思って、そこは大人の自制を働かせておいた。
「あー、まあ、カロル、よく無事だったな」
「ボクもほんとそう思う」
リタが暴れているというそこは、まあ平たく言えば死屍累々の戦場の如くだった。騎士の鎧を着た連中があちこちに転がっている(その中に見慣れた紫の上着が見えた気もしたが、まあどうでもいい)。いずれも例外なく焦げたり煤けたりで、何となく黒い。あたりが焦げ臭いのはその影響だろう。要するに、
「こりゃ、ちょっと手遅れだったか」
「なんかもう絶望的すぎて言葉にならないよ、ボク」
がっくりうなだれるカロルをとりあえず放って、ユーリはあたりを見回した。倒れた騎士はどうでもいい(彼らが被ってしまった被害をなかったことにはできない)。大切なのは、次の被害を生まないことで――
「いいからそこどきなさいってば! ほっといたらどうなるかわかんないわよ、その子!」
声は少し離れた所から聞こえた。リタの声(しかも相当イラっときているときの声)だと感じたユーリは、すぐさま振り向く。
視線の先では、リタがもうほとんど術の発動態勢に入っていた。空間に術式が描き出されている様は魔物との戦闘では頼もしいが、街の中ではただの危険物だ。ただでさえリタは詠唱も、完成してからの発動までも速い(そして簡単なものならあっさりと詠唱破棄でぶっ放すこともある)。威力は並の魔導士では遠く及ばない。おまけに魔力が高いせいで、不用意に近づけば漏れる魔力に吹っ飛ばされるときたものだ。頭に血が上っているときのリタは、まさに手のつけようがない暴発兵器状態であって。
「あんたらに任せてたら、いつ暴発するかわかったもんじゃないんだから! おとなしくあたしに見せろって言ってんのよ!」
「ま、まだ魔術を使う気か!? これ以上使えば公務執行妨害では済まんぞ!」
魔導器を背に槍を構えた騎士が、威嚇のように槍を突き出す。それ以上近づかないのは――おそらく、すでにリタの魔術(もしくは魔力)に吹っ飛ばされた仲間を見ているからだろうな、とユーリは勝手に決め付けた。そしてあの調子では、まず間違いなくリタがぶっ放すだろうな、とも。
ユーリは素早くリタに駆け寄ると(漏れる魔力にぶち当たらないコツがある)、ひょいとその体を後ろから羽交い絞めにした。30センチの身長差でリタの体が宙に浮く。途端に術式が霧散して、代わりにリタが手足を全力でバタつかせだした。
「! 何すんのよ放しなさい! 放せぇ〜!」
「おいこらリタ、暴れんな……痛って! おまっ、蹴んな! いいからとりあえず落ち着け!」
身長差のために、ばたつかせたリタのかかとがすねに当たって、思わず悲鳴を上げる。思いっきり暴れているなら非力な少女といえどその力はそれなりなわけで、しかも防御のしようがない場所に、それも不意打ちで当たれば当然痛い。悲鳴で事態に気づいて走ってきた(他を見ていたらしい)カロルが、リタを落ち着かせようとして顔を蹴り上げられたのは、とりあえず不幸としか言えなかったけれど。
「おい、今のでカロルが失神しちまったぞ!」
「知らないわよ! それより放せって言ってんでしょ!」
「暴れ魔導士なんざ、野放しにしたらどうなるかわかったもんじゃねぇだろ! つうか髪! 髪つかむな! ……うわ引っ張りやがって痛てててててて!」
「はーなーせぇ〜!!」
「放すから暴れんな! 落ち着け! そして俺の髪から手ぇ放せ!」
押し問答を散々続けた末(その間、騎士は待っていてくれた。律儀なのか怖いのかまでは知らないしどうでもいい)、ユーリはやっとリタを放してやった。数分ぶりに地に足のついたリタは、ユーリに構わず騎士のほうをぎろりと睨みつけている。とりあえず魔術をぶっ放そうとする様子はないので、ユーリは内心で胸をなでおろした。
「……で、何があったんだ?」
「こいつが魔導器見せてくんないのよ!」
びしりと彼女が指したのは、当然ながら件の騎士である。
「もう見てわかるくらいヤバくなってるから見せろって言ってんのに!」
「だから、危険であればアスピオに連絡をとって魔導士殿を派遣してもらう。……そもそも魔導器を、通りすがりの、それも一般市民に触れさせるわけにはいかん!」
「あたしは魔導士だって言ってんでしょ!? さっき証明して見せたじゃないの!」
ユーリは思わず振り返った。この死屍累々、つまりはリタの"魔導士の証明"に巻き込まれたということらしい。ご愁傷様、と半ば棒読みにつぶやいた。もちろん、リタに聞こえないように、ほとんど声に出さぬままにではあったけれど。
「だいたい、どう見たってやばいじゃない! 今からアスピオに連絡とって来てもらう? そんなの待ってらんないわ。ほらユーリ、あんたも何とか言ってやんなさいよ!」
急に呼ばれ、ユーリは再びリタのほうへと向き直った。そして、ちらりと魔導器を見やる。……何もおかしいところなどない。変な光も出てなければ、嫌な雰囲気も感じない。ユーリにはいつもと変わりない、ごく普通の魔導器にしか見えないのだが。
ただ、リタは魔導器の専門家だ。ユーリや騎士が気づかないようなことも、リタの目にははっきりと映っているのだろう。なんだかんだで暴走する彼女だけれど、こういう場面で見極めを間違ったことはない(それで下した判断は盛大に間違っているが)。
とはいえ、厄介事はごめんだ。ただでさえ、最近では厄介事吸引体質みたいに言われているユーリである、これ以上またかと言われてはたまらない。
「あのなぁリタ、お前魔導器見たら見境なさすぎだぞ。もーちょっと落ち着いて行動しろって」
「これが落ち着いていられるか! ……ってちょっと、何すんのよ!」
とりあえず、ユーリは問答無用でリタの襟首つかむと、そのままひきずって歩き出した。今までの経験上、多少なりとその場を離れるのが得策だと学んだ結果だ。あわよくば逃げたいという気持ちもあるけれど、何より魔導器に近すぎると落ち着かないのである。リタが。
「ちょっと! いつまで引きずる気よ!」
「引きずられるようなことすっからだろ? つーか、今回は何なんだよ」
「何だも何もないわよ。あの子の危機だから見せろって言っただけ。なのにあの石頭、槍なんか構えちゃってさ」
「危機? あの魔導器、どうかなってんのか」
「一見何ともないけどね。でも術式が一部狂いかけてるのよ。だから放っておくと、いつか爆発しちゃうかもしれないわけ」
ユーリは爆発、と口の中で小さくつぶやいた。リタがそうよ、と肩をすくめた。
「この街くらい、へたすりゃ軽く吹っ飛ぶような爆発ね」
真実だとすれば大事だ。というよりも、リタがきっぱり言うのだ、それは限りなく100%に近い真実だろう。正直、今までのリタの暴走はと言えば、魔導器がかわいそうという理由からであることが大半。彼女の価値観からいけば順当だろうが、ぶつけられるほうとしては理解しがたいのであって(特にリタを知らない騎士たちにしてみれば)。
どうしたもんかと腕を組む。正直、穏便に事を収めると言うのは苦手だ。まして今回は知らないフリをしてしまうという手段がとれない状況であるようだし、それでいて簡単にあの騎士が魔導器に近づかせてくれるとは思えない。それだけでも考えるのを放棄したくなる事態だ。昔なら知恵熱のひとつも出ていたに違いない。かつて、こういうときは。
そしてふと、思い浮かんだ顔にため息が出た。ここでなんで思い出すかなぁ、と思いながら、今度は苦笑が漏れる。思い出してしまったら消えない。諦めて頼ろうかと、少しだけ考える。確か、こういうときのあいつは。
「あー、わかった」
「何よ」
「俺が交渉してきてやるよ」
「え!?」
あんたが、と目を見開くリタの頭に手を乗せる。
「お前が行ったら、またケンカだろ。ここは俺に任せとけって」
「……あたしにできないことを、それこそケンカっ早いあんたにできると思えないんだけど」
「少なくとも、お前より人生経験は積んでるよ」
いいからやらせろとその場で待たせて、ユーリはリタがうなずく前にさっさと背を向けた。騎士のところまで戻ると、露骨にではないけれど警戒された。……何で俺までと思わずにはいられないが、まあいいかと諦める。
「さっきは連れが暴れて悪かったな」
「暴れたレベルでは済まんのだがな。一度詰所へ来てもらいたい」
「あー、それなんだけどな。一応あいつにも言い分てのがあるんだ。聞いてやってくんねえか」
騎士はふんと鼻を鳴らして、それなら聞いたと言った。
「魔導器が暴走しかけているとかいうのだろう。貴様も見ての通り、魔導器はなんともない。一般人の小娘に何がわかる」
「ま、確かにナリは小娘だな」
そういうところは、彼女は損をしているのだろう。大人をはるかに超える頭脳と、成長途上の体のアンバランス。加えてあの性格だ。年若い娘(しかも態度でかい)にものを知らぬと言われて平然としていられる大人はいないだろう。少なくとも、頭脳の明晰さは目に見えはしないのだから。
「確かに小娘だが、あいつ、あれでも正真正銘アスピオの魔導士なんだぜ。それも魔導器専門の」
瞬時に、騎士が胡散臭そうに顔をゆがめた。まあ、にわかには信じられないよなと自分でも思う。やはりリタは見た目偉そうな小娘で、その身元を証明しようとしているのがこれまた愛想のカケラもない男ときたものだ(自分でも自覚はある)。自分だって信じない。こんな組み合わせなんか。
でも信じてもらわなければ困る。でなければ魔導器爆発云々の前に人災で街が吹っ飛びかねない。
「あんたの信じらんねえって気持ちはわかるぜ。でも、あいつが本当に魔導器のスペシャリストだったらどうする?」
「そうだったなら大事だが、あのような娘が魔導器の専門家と言われても信じられん」
「だろうな。でも一応聞くだけ聞いとけって」
これは賭けだ。
どうあがいたって、今からユーリ自身が相手に与える印象は変えられない。そして、リタが与えてしまった印象も。その中で、唯一揺るがない真実なのは、リタが魔導士であることだけだ。それも、どちらかと言わなくたって凶暴な方の。
なんて分の悪い賭けだ。あまりの状況の困難さに、思わず苦笑しそうになる。……こんなとき、あいつだったらもうちょっとマシな賭けができるのだろうな、と思う。あいつの真っ直ぐな目と表情は大きな武器だ。
「少なくとも、あいつが実力のある魔導士だってのは……見てわかったろ。その魔導士に言わせりゃ、その」
騎士の背後の魔導器を指す。
「魔導器が暴走して爆発する可能性があるんだと。そりゃもう、すぐにでもな。しかも、暴走の兆候もあるもんじゃないんだとさ。だからあいつも真剣にかみついたんだ。ぶっ飛ばされたあんたのお仲間には申し訳なかったが」
騎士は相変わらず信じられないといった顔をしていたけれど、それでもその目が少しだけ揺れていた。見えないものへの恐怖は誰しもある。それが今目の前にあるのだと言われたら、そりゃあ怖いだろうし――少しでも想像力の働く人間なら、それがどれほど危険な状況かわかるはずだ。
「あいつは魔導器の専門家として、ヤバそうな魔導器を放っとけねえんだ。だから頼む、少しだけあいつに魔導器触らせてやっちゃくれねえか」
騎士は少しばかり迷っているようだった。ユーリはそれ以上言葉を発することなく、騎士を見つめる。あまりに言葉を弄したところで、それは逆効果なのだと知っていた。言い募りたくなるのを必死にこらえる。
しばしの後、騎士がゆっくりとかぶりを振った。
「……いや、駄目だ。やはり一般人に魔導器を触らせるわけにはいかん」
「! だからあいつは、」
「あの娘が魔導士なのは理解している。魔導士であれば、専門家でなくとも我らより魔導器に詳しいだろうな。しかし、やはり規則は規則だ。お前たちを信用しないわけではないが、私の一存だけではどうにもならん」
この堅物め、と舌打ちのひとつもしたくなる。敗色濃くなる賭けの様相、それでも諦めれば、どのみちこの街が吹っ飛ばされる(魔導器か人災で)。そんな寝覚めの悪いことあってたまるかと、口を開きかけた。その矢先。
「あらあら、立派な騎士様なのね」
耳に飛び込んできたのは、揶揄たっぷり(と少なくともユーリは感じた)のセリフだ。振り向けば、いつからいたのか、ほんの少し離れたところでジュディスがゆったりと微笑んでいた。隣にはエステルの姿も見える。
「ジュディにエステル、お前らいつからそこに」
「今しがた、ね」
ヒールを鳴らして歩いてくる彼女の後を、エステルがととと、とついてくる。騎士はといえば、一点を見つめたまま身を固くしていた。一点、とは無論のことジュディスだ。しゃーねーわな、とユーリは思う。一緒にいるユーリたちですら、彼女の迫力のある美貌とスタイルにはいまだに目を奪われるわけで、それが初対面で、しかも隣に対照的な雰囲気の少女を伴っていればどれだけのインパクトがあることやら。今まで小娘とあやしい男の相手をしていたのに、次いで出てきたのが異常に露出の高い美女(と清楚なお嬢様)である。さすがに騎士の心情、察するに余りある。
騎士のすぐ前で足を止めたジュディスがいつものように微笑んだ。
「あなたが職務に忠実なのはわかるけれど、それで手遅れになってしまったらどうするのかしらね」
「……何?」
「彼女が魔導士であることをわかってて、危険かもしれないものを放置する。それで何かがあった時、あなたは責任がとれるのかしら?」
うぐ、と呻いた騎士に、ジュディスは笑みを浮かべたままでさらに続ける。
「誠実も忠実もいいことね。でも時としてそれが大きな間違いになることもある。……あなたには、その責めを負うだけの覚悟がある?」
「あの、本当に少しだけでいいんです! わたしたち、他の街で暴走した魔導器も見たことがあって……本当にそんなことになったら大変ですから。だから、お願いします!」
今度は黙っていたエステルが勢いよく頭を下げる。この連携はキツいだろうな、と思う。エステルにそのつもりはないだろうけれど、ぐさりと刺してくるジュディスのあとに真っ直ぐな瞳でただひたすらに見つめられるというのは、相当痛いものだった。自分が心から正しいと思えていないときは、特に。
騎士は黙り込んだまま、ほんの少しだけ下げられたエステルの頭を見ていた。それから、ため息とも言葉ともつかないような状態で、わかった、とつぶやいた。
「……5分だけだ」
「ありがとうございます!」
騎士の手を握って、ぶんぶんと振りまくるエステルに苦笑しながら、ユーリは離れて待っていたリタを手招きして呼んだ。さっそく魔導器をいじり始めるリタをしばらく眺めて、それからその様子を見ていたジュディスへと視線を移す。互いに目が合ったので、何とかなったなという思いを込めて肩をすくめ、ふ、と笑った。
「珍しいものを見たわね」
ジュディスが唐突な行動をとることは珍しくないので、宿のベランダで涼んでいた今、実際に隣へ来られたところで驚きはしなかった。ついでに言うなら、主語のない唐突なセリフもだ。……どうせ昼間の話だ。それ以外に、珍しいと言われるような行動をした覚えはない。
言葉に出さずに視線だけで問いかければ、ジュディスはにこやかに言った。
「あのやり方はあなたらしくなかったもの」
「大事になりかねなかったからな」
リタが騎士団を吹っ飛ばしたことは棚上げして、ユーリはさらりと言った。
実際、リタがいつもの調子で暴走――要するに、魔導器がかわいそうだからとかまあそんなような理由で突っ走ったのだとしたら、あの場から逃げて終わらせていたはずだ。厄介事はごめんで、特に騎士団相手にもめるなど勘弁願いたい(騎士団どうこうというより、それで事件がフレンの耳に入るのが痛い)のだから。
ただ今回だけは、魔導器の不調が理由だとリタが言ったから、そしてこと魔導器に関してウソなどつかない(というよりも魔導器を前にすると他に頭が回らなくなる)リタの言葉だったから、信じて騎士を説得しようと思っただけだ。放置してもし万が一にでもこの街が被害を受けるようなことがあれば、それは絶対に後悔することになる。
(ま、今回みたいなやり方したのは、そればっかが理由じゃねえけどな)
脳裏に浮かぶのは、どこかにいるはずの親友の顔だ。あの時、ふと思い出したその顔がなんとなくそのやり方まで思い出させて、それでまあらしくもない行動に出た。ただひたすらに、真摯に、まっすぐぶつかっていく。あのフレンのやり方は、ユーリに向いていないと知っている。それでも、今はあれのほうがいいのだろうと、そう思ったからだ。
「……フレン、だったかしら」
「あ?」
「あなたの友達よ。騎士団の彼」
「ああ、そうだけど……フレンがどうかしたのか?」
「彼は得意そうね」
微笑むジュディスは、そうなのだろうと直球で問いかけるようなマネはしない。なんてことはないと言わんばかりに、さらりとかすらせる。今だってそうだ。……それを知っているから、ユーリの苦笑は心の中で漏れた。顔には出さない。
「ま、あいつは見ての通りだな」
「騎士の鑑のような人みたいだものね」
「本来あるべきってつけといてくれ」
ジュディスがそうね、とつぶやく。
「彼、騎士という肩書きがなくても相手を信じさせられそうね。特に、さっきの騎士さんみたいな人は」
「あいつなら、ジュディとエステルの出る幕はなかったかもな」
「それは困るわね。……ここにいたのがユーリでよかったわ」
「だろ」
冗談とも本気ともとれない口調で、ジュディスは笑った。それから少し間が空く。何となく空を見ると、また幼なじみの顔を思い出した。よくこうして、二人で空を見上げたからだろうか。
「……彼のようになりたい?」
そんなときに投げかけられたジュディスの問いは相変わらず唐突だったけれど、ユーリは驚かなかった。
「いや」
「あら、どうして?」
わかっているだろうに、と肩をすくめる。敏い彼女がそのくらいわからないわけないはずなのに、わざわざ聞いてくる。珍しいことではあるけれど、彼女はときどきこんな聞き方をすることがあった。きっと――そう、言わせたいのだろう。めったに本心を口にしない(だって照れくさい)自分に。勝手にそう決め付けている。
「……あいつと俺と、違うから意味がある。そういうことだ」
子どもの頃に、こんなことがあった。
わりと大らかというか、細かいことは気にしない下町の住人には珍しく、ひとりやたらと小うるさい大人がいた。そいつはまあ騒いで悪さをする子供を捕まえては怒鳴り散らすので、子どもからは貴族並みに嫌われていたものだ。悪いことをすれば誰にでも怒られるけれど、それはそれで全く意味がわからないものではなかったし、少なくとも拙い子どもなりの理屈というものをきちんと聞いてくれたりもしていたから、そこにはしっかりと見守る者と見守られる者の関係が成立していた――のだと思う。そこはユーリが思うところで、本当のところ、どうなのかは知らない。ただとにかく、そいつは子どもの事情なんてお構いなしに、自分の感情で怒っているようにしか見えなかったから(そして事実そうだったのだろう)、他の大人と違って関係なんてできるわけもなかった。むしろ関係云々以前の問題で、下町の仲間としても子どもの間では認定していなかったのだ。
そんな奴が、ある日子どものひとりを捕まえて怒鳴りつけていた。細かいことまで覚えていないけれど、確かそいつが何か勘違いしていて、子どもは何もしていなかった。なのにやはり子ども側の事情なんて無視で勝手に怒っていたように記憶している。そのとき、怒鳴られた子どもの仲間の中にはユーリもフレンもいて、ユーリは濡れ衣着せんな、謝れ、とかなんとか子ども本人(少し気弱な優しい子だった)の代わりに怒鳴り返したりしたのだけれど。
――ユーリ、そんな言い方じゃダメだよ
隣にいたフレンが止めてきて、なんでだよと今度はフレンにかみついたら、いいから落ち着いてと言われた。そして、代わりにフレンが大人(下町の仲間認定されてない)に向かって口を開いたのだ。
――お願いだから、僕たちの話も聞いてくれませんか。あなたに言いたいことがあるように、僕たちにだって言いたいことくらいある。事情だってあるんです。……それに、やってもいないことで怒られたりするのは、僕らだって腹が立ちます
それまで大声でわめいていた大人(下町の仲間認定されてない)がぐ、と詰まったのに、ざまぁみろと思ったのは鮮明に覚えている。フレンの言葉は、ユーリたち他の子どもが言っていたのをもっとずっと丁寧にしただけのことだった。けれど、それをひたすら真っ直ぐな目で、誠実な態度で、正面から向き合って言われれば、自分の非に気づかざるをえない。
そんな風に、丁寧に話をするなんて、幼いユーリにはできなかった。真正面から向き合うことは不得手ではない、でも、その状態から相手の中に言葉や態度で信頼を積み上げていくようなやり方はやりたくてもできない。ユーリの気性のせいもあっただろうけれど、あれはフレンの才能の一種でもあったのだろうと思う。
だから今日のように、相手が作った心の壁を少しずつ崩していくこと。それはフレンの得意技だったのだ。
「素敵なことね」
気がつけば、ジュディスがこちらを見つめて微笑んでいた。何とも穏やかで優しい、――まるで母親のような目をしている。ほんのわずか、昔を懐かしんでいる間、口元や目元が緩んでいたと思う。そのせいだろうか。その目に見られているのが何とはなしに気恥ずかしくて、空へと視線をそらした。それにもやはり懐かしさを感じて、すぐに視線をおろしてしまったけれど。
ユーリはぐっ、と伸びをした。そのまま身をひるがえすと、ジュディスの声が追ってきた。
「戻るの?」
「明日に差し支えるだろ」
今ならよく眠れそうだとはいちいち言わない。
「ジュディも早く寝ねえと明日がつらいぜ?」
「ええ。だけど、わたしはもう少し風に当たってからにするわ」
「そっか。……ほどほどにしとけよ」
ひらひらと肩越しに手を振ると、ありがとうとジュディスが答えるのが聞こえた。
「今日はお疲れさま。おやすみなさい、……素敵な夢が見られるといいわね」
「ああ、おやすみ。ジュディも、いい夢を」
やっと書き終わったよユーリ編……でももいっちょつづきます
ユーリは壁なんてひらりと飛び越えるのが得意、フレンは壁を少しずつ崩すのが得意
……つうかエステルの出番が少ない(そしてレイヴンの扱いがひどいごめんなさい)
[2008.9.20]