空の下、どこか 1

 カプワ・トリムを訪れたのは、ヨーデルの護衛としてだ。
 他に果たさねばならないことがあるわけではないけれど、通常の任務よりもはるかに緊張の度合いは高いわけで(なんせ次期皇帝候補の護衛だ)、その分周囲の状況にも数倍敏感になる。今回の旅はお忍びで、フレン自身も連れてきた部下もいつもの騎士姿ではなく軽めの旅装だし、ヨーデルもまた平素よりは幾分目立たない服装であるから、よほどのことがなければ目立ちはしないはずだ。傍目には貴族の子弟と護衛の剣士、程度に見えるよう、考えてきたのだから。
 まあそれでもやっぱり護衛は護衛、そうと気取られない程度に周囲に注意を払っていた。もちろん、そのささやかな騒ぎに気づいたのはだからというわけではなかったし、それが気になったのもだからというわけではなかったのだけれど。

「どうしました、フレン」

 声をかけられてはっと我に返る。ヨーデルと部下に見られていたのだとやっと気づいた。完全に気を取られていたらしい、と反省すると同時に苦笑が漏れる。だめだ、護衛失格じゃないか。

「いえ、なんでも。申し訳ございません、ヨーデル様」
「謝ることなんかありませんよ。……気にしていたのはあの子どもたち、ですか」

 ヨーデルの視線が少し離れたところへ向けられている。そこは確かに今フレンが見ていた場所だった。なんてことはない、子どものケンカ。どこの街にだってある光景で、自分だって子どもの頃はあの中にいたものだ。子ども特有の高い声が、海風に負けじと青空へ響いている。
 けれどそんなことより何より、フレンはそれを見つめてしまった自分がいたたまれなくなっていた。完全に見抜かれている、そう思うことが、ますますその思いを強くする。
 その気配に気づいてか、今度はヨーデルが苦笑した。

「そんな顔をしないでください。咎める気なんてないんですから」
「ヨーデル様、」
「それよりもむしろ、僕としてはフレンのお手並み拝見といきたいところですね」

 くすり、といたずらっぽく笑うヨーデルにあっけにとられてしまったのは、無理もないことだったに違いない。
 ぽかんとしたフレンをうながすように、

「フレン隊長がどうやって市民のケンカを仲裁するのか、ぜひ見てみたいんですよ」

 さらりと言うのに、思わず苦笑した。こう言われては断れない、わかりましたと足を子どもたちのほうへ向ける。

「でも、ご覧に入れるようなものではありませんよ」
「いいんですよ。あなたも行きたそうですからね」

 やはり見抜かれていると思っていたたまれなさがぶり返してきたけれど、すぐに戻りますと言いおいて、フレンは小走りに子どもたちのところへと向かった。
 近づくにつれて聞こえてきたところによれば、原因は子どもらしいささやかなことであるらしかった。いっつもなんでそういうこと言うの、だってムカつくんだよおまえ、そんなやりとりが聞こえる。

「どうかしたのかい?」

 声をかけると、子どもたちが一斉に振り向いた。警戒心を解くように、にこりと笑う。

「結構声が響いてたよ」

 少しだけ、顔を見合せてから、子どものひとりが口を開いた。言い争っていた当事者(男の子と女の子だった)の片方である。おとなしそうな子を背中にかばった気の強そうな女の子。

「……だって、こいつがいっつもいっつも嫌なことばっかり言うんだもん」
「お前が生意気だから悪いんだろ!」

 瞬時に相手の男の子が口を開く。

「ちょっとなんか言えばすぐにギャーギャー騒ぐし。生意気だしうるさいし、お前なんか大人になったって嫁の貰い手ないぜ、きっと」
「なんであたしがあんたにお嫁さんになれるか心配されなきゃいけないの!」
「だいたいそいつだってさ」

 勝気な子の背後で隠れたままだった子(おとなしそうどころか、どうやらおとなしすぎるタイプであるようだ)に、男の子の目が向く。びくりと思いっきり震えたため、前に立つ女の子が守るように立ち位置を変えた。

「いっつも人の影に隠れてばっかりでさ。びくびくしててやってらんねーよ」
「あんたがヤなこと言うからよ!」

 またぎゃあぎゃあとケンカを始めてしまった子どもたちを眺めながら、フレンはなんとなく状況を理解した。まあ、ケンカとしてはやっぱりオーソドックスだなぁと思う。
 さてどうしようかと考えた瞬間に、脳裏を過ぎるものがあった。"あのとき"はどうしたか、確か。

「ああ、ほら、ケンカしないで」

 角突き合わせた状態の二人を離れさせ、男の子のほうだけを連れてほんの少しだけ離れた。他の子どもたちが不安そうに見てくるのを、少し待っててくれないかと笑ってとどめる。

「それで」
「なんだよ、にーちゃん」

 離れてからそっと肩を組み、フレンはいたずらっぽく笑った。

「君はどちらの女の子が好みなのかな?」
「!」

 びっくりした様子の男の子に小さくうなずいてやる。遅れて、顔が真っ赤になった。読みを外さなかったか、と少しばかり安心する。まあ、外したところでどうフォローするかも考えてはいたけれど。
 内心、安堵のため息をつきながら、ぱくぱくと口を動かす子どもの頭にぽんと手を乗せた。

「僕は、君がどちらの子が好きでも関係ないんだ」
「違うよ、別におれ、好きとかじゃ」
「みんなそう言うけどね、そう言っちゃうってことは大概そうなんだよな」

 言うと、男の子が再び黙る。

「本題に戻るよ。とにかく、それで君がどういう行動をとるとしても、僕は別に構わない。……でも、それがあの子たちに嫌な思いをさせたり、怖がらせたりしてるとしたら、それはいけないことだ」

 男の子は黙って、うつむき加減にフレンの言葉を聞いている。ちゃんと人の言葉を聞くことのできるいい子じゃないか、と思わず笑みが漏れた。
 自分や彼の幼い頃より、ずいぶん素直だ。たぶん。

「まあ、君の気持ちもわかるけどね。僕も小さい頃、そうやっていっぱいケンカしたし」
「……にーちゃんも?」
「そう。僕も」

 好きな女の子がどうとか、そういうことでケンカしたことはないけど、と心の中で付け足してみる。子どもの頃のケンカのネタといえば、危ないことするなとか――まあなんかそんなことだった。

「ケンカをするなとは言わない。ケンカをすることで得るものもある。でも、相手を傷つけるだけのケンカはダメだ」
「……きずつける」
「そう。言いたいことをきちんとわかりやすく言えることのほうが、恥ずかしがって強がるよりもずっとずっと格好いいはずだ」

 うつむいた男の子の背中を軽くたたき、フレンは何事もなかったかのように他の子どもたちのところへ戻る。男の子もついてくる。まだ黙ったままでいるけれど、それはきっとなにがしかの答えを出そうとしているからだろうとフレンは思っていた。

「君たちの友達を借りてしまって、ごめんよ」

 子どもたちの視線はフレンに向いていたり、男の子に向いていたりと様々ではあったけれど、総じて否定的ではなかった。フレンの謝罪に対しても、数人がかぶりを振って答えてくれている。
 にこりと笑っているフレンの横で、男の子がぼそぼそとつぶやいた。

「……おれ、そいつがおれの顔見るたびにびくびくすんの、腹立つんだ」

 隠れた子の体がこわばり、勝気そうな女の子の眉がぴくんと跳ねる。女の子が何か言おうとするのを、フレンが人差し指を口もとで立てて制した。少し聞いてあげてくれないか、そう言うと、女の子は不満げにしながらも黙り込む。ありがとうと笑いかけたら顔をそらされてしまったけれど。

「それに、こいつがおれが何か言おうとしただけでにらむのも腹立つ」
「だってそれは、」
「おれ、別にこいつらにいじわるしたことなんかない。そりゃ、いたずらとかするけど、でもそれはみんなにもやってる。こいつらだけにすごくひどいことしてるとか、そんなんじゃない。……そりゃ、もしかしたら、ひどいこととかしちゃったかもしんないけど、普通に、他のみんなとかみたいに遊んだりしたいだけだし」

 なのにびくびくされるし、にらまれるし、やっぱ腹立つじゃんか。
 言葉がフレンに向けられた体裁なのは、どうにも仕方のないことなのだろう。最初からお互い向き合って話ができるのなら、こんなことにはなっていまい。
 ただ、その言葉が誰に向けられているのかは関係なく、女の子は中身にさっとかみついた。

「もしかしたらじゃないもん! おんなじって言うけど、でもこの子怖がりだから……同じことだってもっといやだって思ってるんだし!」
「だからそんなの知らないんだってば!」

 やはり向かい合ってしまうとこうなるらしい。
 もしも、彼がここにいて、ここでにっと笑ったのなら、きっとそれだけで解決するだろうな。そう思って苦笑しつつも、フレンは落ち着かせるべく二人の肩をたたいた。

「これで、お互いの問題点がはっきりしたな」
「え」
「君はこの子が、君のいたずらをすごく嫌だと思ってることがわからなかった。そして君は彼が、この子がいたずらを嫌だって思ってることに気づかれてないって思ってなかった。……それはきっと、怒ってケンカをする前にきちんと伝えれば良かったはずだ」

 子どもたちが互いに顔を見合わせる中で、当事者の二人だけがうつむいて黙り込んだ。隠れていた子が困ったように二人の顔を交互に見ている。

「世界にはいろんな人がいる。みんなが自分と同じように感じているわけじゃないんだ。だからきちんと、わかりやすく伝えてあげなきゃダメだ」

 にこりと笑うと、子どもたちは困惑した(けれどそれは決して納得できないといった類のものではなかった)視線を向けてきた。真ん中の男の子と女の子は、少し嫌そうに(でもにらむんじゃなく、ちゃんと!)互いの顔を見ていた。

「うまいものですね」

 子どもたちと別れ、当初の予定通り宿へ入った。そして用意された部屋で休むべくイスにかけたヨーデルは、何よりも先にそう言った。ヨーデルの目は心からそう思っていると言わんばかりに穏やかだけれど、フレンはそれにかぶりを振る。

「きっとわかってくれたと思いますが……でも、やっぱり私にはうまくできませんでした」
「なぜ?」
「友人なら、たぶんもっとうまくおさめたはずです」

 脳裏をよぎった影に苦笑する。彼はお前にゃ勝てないと言うけれど、自分のほうこそ彼には勝てない。それを、彼は知らない。

「それは……ユーリのこと、ですか」
「……はい」

 ヨーデルはユーリに出会っている。それこそこのカプワ・トリムで。何の因果だろうと思う。ただ一度会っただけの人物を思い出すのに(まあエステリーゼを連れていたという意味ではインパクトが大きかっただろうが)、ここ以上の場所はなかったはずだった。
 まあそれ以前にヨーデルがユーリをもっと知っていたとして、それでもここで結びつけられてくるとは思わなかったけれど。それほどに親しいのだと話した記憶はない。
 実際、今のヨーデルは、ユーリの話を聞きたがっているように見えた。このタイミングでその名前を出すのは、きっとそのせいだろうと思う。……いや、そう思うのは、自分が話したいと思っているからだろうか。

「ユーリは」

 結局、その語りは自分が迷っているうちにするりと出た。

「他人に自分を信じさせることができてしまうんです。彼が話せば、誰もが信じる。慰めれば笑顔になる」
「なるほど」
「実際、昔、下町でも似たようなことがあったんです」
「今日のような?」
「ええ」

 昔を思い返せば、たとえじゃなく、昨日のように思い出せる。
 フレンたちよりもいくつか年下の仲間が、どうにも気になるらしい女の子ふたり(勝気な子とおとなしい子)につっかかってしまって、ケンカばかりしていたことがあった。原因も今日とほぼ同じ。普段はいつものことと流していたけれど、それがあまりにもエスカレートしそうになったため、一度だけユーリが間に入ったのだ。
 ユーリは興奮している仲間を少し離れたところへ連れて行って何事か話をして、それから戻ってきた。そして、思いっきり呆れた顔をして言ったセリフが。

――お前らさ、とりあえず落ち着きゃいいんだって。だって多分、話してみりゃなんてことねぇんだから。

 そして、半ば強引に話をさせて、二人の間のすれ違いを浮き彫りにすると、

――よーし、問題点ははっきりしたな。じゃ、これで解決できんだろ?

 そう言ってからからと笑った。当人たちも困惑することなく、その笑顔につられて声を上げて笑っていた。
 今日のフレンと違って、あの日のユーリは解決を本人たちに任せた。どうしたらいいのかなんて言わない代わりに、みんなで飯でも食おうぜと誘って、わいわい騒いで、何事もなかったかのように遊んでいた。そして、さよならの時間になってやっと、ひとことだけ、

――やっぱケンカより仲良くやるほうがいいわ。なぁ?

 その時には仲間のわだかまりはほぐれていたし、おとなしい子も少しずつ普通に話せるようになっていた。勝気な子は少しばかりまだツンとしていたけれど。でもそれも、数日経てばただのケンカ友達レベルに軟化していたのだから、要は簡単に折れるのが嫌だっただけなのだろうと思う。実際、今となっては彼らもすっかり仲良くなって(相変わらずケンカはしているけれど)、帰るたびに惚気られているんじゃないかと思うような姿を見せてくれる。
 きっと時が経てば、いずれは今の関係に落ち着いていたのだろう。子どものケンカなんてそんなものだ。でも、それは子どもの身にはわからない。今の自分たちなら、よほどでなければ子ども同士のケンカなんて放っておけと笑うだろう。ケンカだってコミュニケーションの一部だと知っているから。けれどそんなことなどまだ知らない幼い日のユーリは、子ども心にこれはまずいと感じて仲裁に入った。笑顔で。そしてその結果、今仲良くしている彼らがいる。

(大切なのはそこだ)

 大切なものが何なのか、直感で感じることができる。そして、いちいち言葉にしなくても、表情と行動だけで、人を包み込むことができる。その居心地の良さは、人を信じさせるきっかけになる。それはユーリにしかできない。彼固有の才能だ、とはフレンが勝手に思っているのだけど。

「ユーリはあんなにくどくど言わなくても、その場にいて笑って、ひとこと『ケンカなんてやめよう』って言うだけで、周りを納得させることができます。私にはそれはできない」
「……そう、なんですか」
「ええ。だからと言って、私がユーリになりたいわけではありませんが。ユーリにしかできないことがある、でも代わりに、私にしかできないこともある――それを知っていますから」

 思わず頬が緩むのがわかる。きっと今の自分は、嬉しそうな顔をしているに違いなかった。そんな表情を見てか、ヨーデルもまたやわらかな笑みを浮かべた。

「素敵な友人ですね」
「はい。たくさん心配もさせられますが……大切な、自慢の親友です」

 今頃どこにいるのだろうかと、窓へ近づく。のぞいた先に、先ほどの子どもたちの姿が見えた。多少ぎくしゃくしているのかもしれないが、みんなで一緒に走り回っている。一人遅れていたあのおとなしい子を、フレンに諭された男の子が待っているのを見て、暖かなものが胸の中に広がる。
 今日のようなことがあれば、やっぱり親友のようにできたならと思う。すべてがすべてああなりたいわけじゃないけれど(だってあの危なっかしさは真似したくない!)、あの存在感には憧れる。

(まったく、どこで何をしてるやら)

 空を見ていたフレンは、静かに目を閉じた。今日のことだって、ユーリならあの日のようにさらりと笑顔ひとつで解決してしまったのだろうと、仲裁に入った時からずっと頭から離れなくなっているあの顔を、目に焼き付いて消えない青の上に思い描く。
 窓の下で、子どもたちの笑顔が咲いていた。

つづきます、ていうか次ユーリ編
最初は1話に全部まとめるつもりだったけど、書いたらえらく長くなったのでわける
[2008.9.9]

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