恋するガラテア 9

 無事にリタのお手製"宙の戒典"(カロルが命名したところの"明星壱号")が発動し、周囲の魔物は打ち払えた。エアルの乱れもおそらくは安定したはずだ。……あくまで暫定的、ではあるけれど。

「おし、こんなところだろ」

 振り向けば、そこにはフレンが立っている。疲れたのか、こちらを向いたままぼうっとしていたらしいフレンは、ユーリの足元で鳴いたラピードの声に我に返った。空色がしっかりとユーリを見る。

「ユーリ」
「とりあえずはこれで問題ないだろ。さ、戻ろうぜ」

 すれ違いざまに、棒立ちのままのフレンの肩を軽く叩いた。その瞬間だった。

「フレンっ!?」

 気がつけば、ユーリはフレンの腕の中にいた。息が詰まるほど強く抱きしめられて、身動きがとれない。もともと身長差はそれほどなく、その差もブーツのヒールでほとんどなくなっているから、フレンは完全にユーリの肩口に顔をうずめる格好になっている。おかげさまでフレンの顔は全くうかがえない。

「おい、痛えって! おまっ、鎧着てんだから……ほんとに痛えっ! しかも締めすぎ! 放せバカ!」
「……った……」
「ああ!?」
「本当に、ユーリだ……!」

 聞き取れたひと言はかすれていた。ただひどく力がこもっていて、有無を言わせないような何かがあった。相変わらず腕の力は緩まなくてあれやこれやが痛かったけれど、とりあえず喚くのだけはやめた。
 ユーリが大人しくなると、今度はフレンが口を開いた。

「あの時、追いかけたらもう君はいなくて。遅いって笑ってくれるって言ったのに、君は」
「……悪かったよ。ダメージ食らってたし、ちょっとふらついたら落ちちまったんだ」
「もう一度、君とちゃんと話ができると思ったんだ。昔みたいにまた一緒に笑って話ができるんじゃないかって」
「……フレン」
「君に話したいことはいっぱいあった。君から聞きたいことだっていっぱいある。なのに肝心の君がいない」

 顔を上げたフレンが、やっと少しだけ腕を緩めた。締められすぎて半ばしびれたような感覚を腕や背中に感じながら、ユーリはそこでフレンの顔を見た。そして思わず息を飲んだ。
 なんて顔してんだ、とあっけにとられてつぶやく。いつだったか似たようなことを言った気がしないでもない(単に思っただけだったかもしれないけれど、そこまでいちいち覚えちゃいない)けれど、それとは違う意味だった。しかめられた顔は沈んでいない。ただ、泣き出しそうな子どものように、ぐしゃりと歪んでいる。

「誰が諦めても、僕は諦めたりしないさ。ただ君がいないことだけがつらかったんだ」

 怖かったんだとすがるようにつぶやいたフレンが再びユーリを抱き寄せる。さきほどよりも緩く、本当に腕を回している程度。金属のくせに不思議と温かい鎧に額をつけて、ユーリは小さく長く息をついた。

「……悪い、心配かけた」
「そう思うなら、少しは無茶を控えてくれ」
「はは、そりゃまた難しい相談だな」

 無茶、というかまあユーリたちが言うところの"ほっとけない病"はこじれにこじれて治す薬もないので。
 ゆるりとフレンの背に腕を回す。あやすように数回たたいてやると、再びフレンの腕に力がこもる。けれどそれは呼吸がつらくなるほどではなく、まるですがりつくような、それでいて包みこむかのようなやり方だった。

「フレン」
「なんだい」
「えーと、ま、ただいま」
「ああ。お帰り、ユーリ」

 あたたかい、とユーリはそっと目を閉じた。子どもの頃、いつも隣に感じていたフレンの体温が今、すぐそばにある。いつしか失くしていたそれに包まれ、ユーリはこの上なく幸せだった。そして少しだけ、二度とこれを失うことがなければいいのにと思って、何考えてるんだかと自分自身に呆れてしまった。

 ソディアに呼び止められたのは、それからしばらく後のことだ。
 ユニオンや戦士の殿堂に話をつけるべく発つ、その時のことで、正直今このタイミングで何をと思わずにはいられなかったし、また今さら何か話でもとちょっと暗鬱な気分にならざるを得ない。自分の立ち位置については重々承知しているし、それに関するソディアの心情もやはりわからなくはないのだ。それでも自分を殺そうとした相手を無条件に許せるほどユーリは優しくも寛大でもなく、またぐだぐだと思い悩むのに付き合わされるのもごめんであって、実際のところあまり顔を合わせたくはなかった。
 自分の非ではないけれど、先刻、フレンに抱きしめられていた(フレン的には感動の再会といったところのはずのアレ)身としては、また突っかかられる理由がないわけでもないのだし。
 けれど、声をかけてきたソディアは、突っかかってくる様子など微塵もなかった。

「なぜ、咎めない」

 ただ一言問われて、眉を寄せる。見つめた先のソディアの顔は、もはや沈痛を通り越して悲壮感さえ漂っていた。
 その瞳をしばし黙って見つめ、小さく息をつく。

「……前にも言ったとおりだ。俺は水に流すつもりはねえ」
「なら、なぜ」
「でも、お前のやろうとしたことやその気持ちはわかるんだよ」

 はっとしたように、ソディアが顔を上げる。

「自分が手を汚してでも守りたいものものがある。激しい感情にとらわれて、自分でも思いがけないことをしちまう」

 ユーリとソディアはまるで違う。けれど、これだけは同じでなくとも近いはずだ。
 静かにユーリは目を閉じた。思い浮かべるのは自分が手を汚したあの夜たちのこと。虐げられる人たちを守りたいと思い、強い悲しみと悔しさと、激しすぎる怒りを抱いた夜のこと。自分の手が汚れようとかまわない、大切な何かを守ることができるなら――。

「あんたはフレンを守りたかった。罪人の俺がそばにいることで、あいつにかかるかもしれない災いを取り除きたかったんだろ」
「私は、」
「俺にはその思いを否定する気はねえよ」
「……だが、罪を犯したことは事実なのに、裁かれもせず恨まれもせずなんて」

 その瞬間、ユーリは手をのばしてソディアの胸倉をつかんでいた。驚きに見開かれた赤い瞳をにらみつけながら、

「甘ったれんな」

 低い声で一喝すれば、その体がびくりと震える。
 今の感覚を言葉にするなら、ただとにかく腹立たしいの一言に尽きる。ふらふらぐらぐら、こんな覚悟じゃフレンの隣に立つには足りない。騎士としての職務を支えられるのは、同じ騎士のソディアだけだ。エステルと似合いであろうと、彼女は騎士じゃない。むしろフレンが守るべき立場の人間で、その仕事を支えてやるなんてできやしない。

「しっかり立てよ。悩みたいなら俺にじゃなく、もっと話せるやつに話せ。んで、きっちり腹決めろ」

 つかんでいたのを放すと、ソディアが数歩よろけて退がる。これで話は終いだと言わんばかりで彼女に背を向けると、小さな声でユーリとつぶやくのが聞こえた。

「……これも言ったぜ。俺はあくまで代理だ。あいつを支えられる奴が現れるまでのな」

 すがすがしく、そして柔らかく、声が出た。自然と口元にも笑みが浮かぶ。そういえば、ソディアの前ではこんな声(とどのつまりはいつもの声)でしゃべったことはなかった気がする。突っかかられるに任せ、自分もまあ似たような口のきき方をしていたから。
 そう、ユーリはフレンに必要ない。いや、必要なんてなくなるべきだと言ったほうがいいのか。エステルは恋ではないと言ったけれど、たとえ友人としてでもフレンを叱りつけて止められる彼女がいて、その仕事を見ててやれるソディアがいる。フレンがどちらを選ぶのかはわからないけれど(フレンの選択にはエステルの気持ちは関係ない)、どちらにせよもうユーリがフレンを見ていてやる必要はない。ただ時々顔を合わせて、幼なじみとして他愛のない世間話をして、笑ってじゃあなと別れればいい。どんなに離れていても、心まで離れることなく。その言葉のまま、彼をよく知る友として協力することは厭わないけれど、それ以上はもう要らない。……それをわかってるくせにあのぬくもりを今思い出すなんて、自分も大概諦めが悪い。表には出さないけれど。
 去ろうとする背中に、違うと叫ぶソディアの声がぶつかった。けれど、もう前を向いて、やるべきことに集中しだしたユーリには、それが何を意味するのかなどどうでもいいことだった。

ヒピオニア戦闘後
いろいろと幸せですっきりしてるユーリさん
[2008.11.14 執筆/2008.11.23 加筆修正]

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