恋するガラテア 10

 明日はいよいよ決戦だと思えば、普段から豪気なユーリであっても多少なりと気が昂った。このまま横になっているだけでは眠れそうにない。日暮れ前、あれだけ体を動かしたのに(おまけにフレンに勝つなんて最高の結果までついてきた)、本当にさっぱりだ。逆に興奮させられてしまったかと、盛大にため息をつきかけて飲み込む。今は深夜だ。
 結局音をたてないようにベッドから降りると、イスにひっかけていた上着と愛剣を手に宿を抜け出した。疲れからか、他の仲間たちはみんな素直に眠りに落ちている。あれだけ眠れないと言っていたカロルでさえ、すでに夢の世界へと旅立った後だったから、行動には本当に細心の注意を払った。
 もともとユーリは寝付きこそいいが眠りは浅くて、ラピードやフレンのそばでなければ起きられないほどの熟睡というのはしないタチだった。だけれどここまで眠れないのも珍しく、正直自分でもどうしたらいいのかわからない。
 羽織るだけ羽織った上着を髪と一緒に風になびかせながら、夜道を歩く。フレンに見つかったらまたうるさく言われそうだけれど、どうせあいつだって今頃は深い深い夢の中、こんなところにいるわけがない。
 空を見上げれば星が瞬いている。さっき、エステルと少しばかり話をした時にも見た空。星ばかりでなく、星喰みの不気味な群れも見える。はるか高くで波打つあれに比べ、人間一人なんてちっぽけで、近づけばきっと簡単に押しつぶされてしまうに違いない。ユーリ一人じゃあ、焼け石に水どころか、水蒸気程度の効果もないだろう。何ともまあ勝ち目のないケンカ。
 けれど、ユーリには仲間がいる。一緒に戦ってくれる仲間がいて、力を貸してくれる精霊たちがいて、自分たちを信じてくれる人たちがいて、――フレンが、いる。
 目を閉じれば、夕方見たフレンの笑顔が浮かぶ。フレンとユーリ、互いが互いにできないことを補い合う。一番近くで彼を支えられなくても、ユーリはこれからも彼とともに歩く。すべてを認めてくれなくとも、それぞれの立ち位置で生きることを納得した上での選択だ。それはユーリにとってとても幸せな結末でもある。ただまあ、何がどうなるとしても、そしてどこまでも押し隠すものであっても、この想いは変わらない。この先もずっとフレンを想う。死ぬまで想い続けて、ユーリは前へと進む。らしく生きるフレンを想うことが、かけがえのないユーリの力になる。仲間の力とこの想いの力があれば、明日もきっとなんとかできるし、その後もなんでもできる。
 けれど、その力も結局は発揮できる状態になければ意味がない。ユーリは身をひるがえすと、宿へ戻ろうと顔を上げた。

「……な」

 そこで固まる。まったく気がつかなかったのはなぜだろうと考えて、……面倒くさくなってやめた。代わりに素直に口に出した。

「おまっ、なんで」
「こんな時間に女性の一人歩きは感心しないな」

 ユーリの数歩先に、いつの間にやらやってきていたらしいフレンがいた。真夜中ですら明るい輝きを失わない髪の下、真昼の似合う双眸が微笑っている。
 鎧を外してラフな姿のフレンは、そばまで来ると、手をのばしてユーリの頬に触れた。

「冷えてる。どれだけここにいたんだか。そんな薄着で」
「そんなに寒くねえと思ったんだよ」

 大体お前だってひとのこと言えたクチか。軽装を見やって憎まれ口をたたくと、困ったものだなとフレンが苦笑する。

「僕は君ほどじゃない。そもそも明日は決戦だっていうのに、体調管理がずさんすぎやしないか?」
「……仕方ねえだろ。寝れないんだから」

 するりと素直にこぼしてやると、一瞬きょとんとしたフレンが、次の瞬間には声を立てて笑っていた。

「てめっ、何笑ってやがんだ!」
「はは、ごめん。だって、君ってば相変わらずすぎて」
「何がだ!」
「祭りとか、何かイベントがあると気が昂って眠れない。僕は何度それに付き合わされたか」
「下町の祭りと一緒にすんな! ……ったく」
「だからごめんて言ってるだろ」

 笑いを引っ込め(まだ足りなさそうではあったけれど)、不機嫌を隠していないユーリの髪を撫でる。一度は振り払ってやろうかと思ったけれど、おそらくそれは無駄なので、労力の無駄を避けようとおとなしくされるがままになる。

「眠れなくとも、せめて横にならないと。多少は疲れが取れる」
「まあな。わかっちゃいるんだけど、それでもちょっと外の空気が吸いたかったんだよ」

 言うと、ユーリの手をフレンがとった。利き手である左手は、血に濡れた手。エステルが人を守る手だと言ってくれたそれは、人に触れられてももう気にならなくなっていた。それはもうユーリの気持ちがマヒしてしまったからなのか、本当にエステルのあの一言に救われたからなのかはわからない。
 フレンがその手を自分の額に押し当てて、目を閉じる。

「すまない」
「は?」
「君に何もかも背負わせてるな、僕は」
「……お前なあ、そりゃ昼間話したろ。お前が背負えないもんを背負ってるだけだって」
「それでも。君のこの手に負わせたものがわからないほど、僕はバカじゃないつもりだ」

 一度ちゃんとお礼が言いたかった。
 そう言うフレンにユーリは少し目を細め、小さく息をつく。

「だからお前が気にすることじゃないんだって」
「気にしたいから気にするだけだ。……やっぱり君のしたことは許せないけど、でもこの手が僕には守れなかったものを守ってくれたことはわかってる」

 ありがとうとつぶやくフレンの頭を軽く小突くと、ユーリはバカと笑った。

「だからいいんだよ。俺はお前ができないことやれただけで満足だ」

 悪戯っぽく笑えば、まったく君はとフレンがため息をついた。そして何事か言おうとしたその瞬間風が吹いて、思わず身を震わせる。それに慌てたフレンが、

「引き止めてすまない。これ以上冷えては困るし、もう戻った方がいい」

 横に体をずらし、ユーリの背中をフレンの指がそっと押した。合わせて一歩、ゆっくり前に踏み出して、そのフレンの顔を見る。真摯な瞳がこちらを見ていた。

「ユーリ、今回の一件が片付いたら……少しゆっくり話をしないか」
「は?」
「話がしたいんだ。君と、二人で」
「別に話なんか、そんな改まらなくたっていつでも」
「頼む」

 真っ直ぐな目に射抜かれ、ユーリは小さく息をつく。ユーリはフレンのこの目に弱い。フレンに限らず、頼られたりすがられたりするのに弱いのだけれど、ことフレンに至っては特別苦手だった。寄せた想いもあるけれど、幼い頃から一緒にいるせいで必要以上に感情が読み取れてしまうから、というのもある。

「わかったよ。全部終わったらな」
「ああ」
「フレン」
「なんだい?」
「ヘマすんなよ」

 代わりに叩いた短い憎まれ口でも、フレンには十分伝わる。それをユーリは知っている。かつてのように、それだけでユーリの意思をくみ取ってくれる。
 歩き出した背中に、そっちこそと投げかけられ、一度足を止めたユーリは振り向いてにやりと笑った。同じように笑うフレンが追いついてきて、すっと拳を突き出す。それを見るより先に、ユーリはコンと自分の拳をぶつけてやって、次いで手のひら同士を打ち付けた。ぱんと、夜気の中に乾いた音が響く。久々にきちんと交わす独特のハイタッチ。笑みを含んだ視線が絡んだ。昔と変わらないそれが幸せだった。

「んじゃ、おやすみ」
「おやすみ、ユーリ」

オルニオン、決戦前夜
これが考えすぎるのをやめたユーリの一番幸せなかたち
[2008.11.13 執筆/2008.11.23 加筆修正]

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