恋するガラテア 8

 帰ってきたエステルが真っ先に笑って、ユーリは勘違いをしてますと言ったのにひどく驚かされた。
 あれだけひどい目にあわされて帰ってきて、落ち着いて最初に口にしたのが勘違いしてるだなんて、いくらユーリといえども驚かざるを得ないのだ。

「わたしはフレンに恋したりはしてませんよ?」

 ずっと言いたかったんです、と言ってエステルはいつもの花のような笑顔を浮かべた。
 彼女にまさか気づかれたのかと思ったけれど、それとはまた違うらしい。

「あの時はわたしも頭の中ぐちゃぐちゃで、言えなかったですけど……ノードポリカで、ユーリはわたしのためにフレンに怒ってくれましたよね? わたしがフレンのこと好きだって、そう思って」

 わたしはユーリとフレンがケンカするほうがいやです、と言われて、別にそれだけで怒ったわけじゃないんだけどなあと複雑な気持ちになる。
 けれど、なんだか少しだけ気持ちが軽くなった気がした。エステルがあれで思っていたより傷ついていなかったのだと知ったのと、……もうひとつは自分が思うような失恋なんてなかったのだと知らされたせいだった。
 ――それが起こったのは、そのすぐ後のことだ。

 近づく音にフレンかと振り返った瞬間、脇腹に感じた衝撃と、遅れてやってきた激痛。かは、と息を吐き出し、ぐらついた体にもう一度力を入れようとして失敗する。後ろに一歩よろけたその足元で、金属の落ちる音がした。視界が急速に霞んでいく。
 何もかもが流れ出していくような感覚の中、ユーリは少しだけ顔を上げた。そこにはフレンの部下の……ソディア、とかいったか。何かと突っかかってくるあの女が、真っ青な顔で震えながら立っている。フレンよりも軽装とはいえ、やはり騎士の鎧姿。聞こえた音はこいつかと心の中で苦笑した。見開いた目と、一瞬だけ視線が合う。

(刺されるほど嫌われてたとはな)

 思いながら、まあ当たり前かと思う。傷は痛いし、容赦なく血は流れだしていくから、思考はろくに定まらない。それでも、いまさらながら気づいた事実について考えることを止められない。
 きっと彼女の背中を押してしまったのは、先ほどフレンがユーリをかばってケガをしたことなのだろう。急所は外れていたし、何よりその場にはエステルもいたから大事には至らなかったけれど、見ている側にとっては心臓をわしづかみにされるような心境だった。フレンの無茶を見慣れていて、彼の実力も把握しきったユーリですら寿命の縮む思いをしたのだ。フレンという人間の根っこの部分が見えていないソディアにとって(それは今までの旅の中で気づいていた)、あの光景は全身を貫かれるような衝撃だったに違いない。彼女の抱くものが尊敬であれ、恋慕であれ。
 ……もし恋慕だったなら、ユーリは思う。それこそ自分の存在は目障り以外の何物でもないだろう。
 ソディアにしてみれば、罪人のユーリがフレン本人の公言してはばからないの親友であることも我慢ならないことだろう。だからこそ突っかかってくる。加えてフレンはその親友のためならば必要以上の無茶をする。そして、時には騎士としてあるべき姿から外れたりもする。ユーリはそちらの方がフレンらしいと知っているけれど(無茶をされてはとても困るのでそこは除外)、騎士の鑑としてのフレンを見慣れているソディアにはユーリのせいでフレンが道を外れているようにしか見えないはずだ。
 ――そりゃあ、殺意も覚えられるか。

(死にたかねえけど、こりゃ、ヤベえかな)

 罪を重ねながらも、未だにフレンへの想いを振りきれずにいる自分への罰がこんなところでやってきたのかもしれない。もう少しだけ待ってほしかった気もするけれど(せめて星喰みをなんとかするまでとか)、下ってしまった以上はどうにもならない。こちら側には自分と、ソディアしかいないのだ。相変わらず真っ青な顔で、震えたままこちらを見ている堅物の女騎士しか。

(こんなことしなくたって、フレンの隣に立てんのはお前しかいねえのに)

 自分は罪人で、フレンに想われることなど望んでいない。幸いにもフレンもまたそういう対象として自分を見ていないはずなのだから、彼女が気をもむようなことなど何もないのに。
 ぐらりと揺れる体が宙に浮く。落ちるという感覚が来る前に、ユーリの意識は闇に飲まれていく。
 下に残してきたフレン(今はこちらへ向かっている最中かもしれないけれど)に、遅いと言って笑ってやりたかったのに、とりあえずそれは叶わなそうだ。救いがあるとすれば、最後に見たフレンの顔が以前のように笑っていてくれたことかと、もはや弛緩して力の入らない口元で微笑んだ。

ザウデ不落宮、アレクセイ撃破後
落ちる間際に考えたこと
[2008.11.11 執筆/2008.11.23 加筆修正]

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