恋するガラテア 7

「まんまと利用されやがって……!」

 襟首をつかみ、引き寄せる。全身に渦巻く怒りに、握りしめた布地が小さく軋む。少しばかりユーリより高い位置にあるフレンの目は、心の痛みにか、沈んでいた。なんてシケた面だと舌打ちのひとつもしたくなる。
 脳裏を過ぎるのは、ノードポリカの夜と、本当に日の傾いたダングレスト。ベリウスとドン、まだ失われるべきじゃなかった命が消えていった日のことはまだ記憶に新しく、時折首をもたげては胸を容赦なく締め付ける。それがよりにもよってアレクセイの仕業であり、フレンも知りながら加担していたなど――腹を立てずにいられるか。

「ヨーデルがアレクセイを信用してたからか」
「違う。殿下は関係ない、アレクセイを信じた僕の責任だ」

 だろうな、と思う。そしてほぼ同時に、ざまあない、とも思う。
 それがフレンのいいところでもあり悪いところでもある。フレンはまじめで純粋だ。下町育ちだからすれたところはあるものの、それにしたって下町に育ったわりには破格の純粋さを保ったまま大人になっていた。疑いを抱くより信じようとする思いが先に立つ。無条件に振りまかれるものではないからと心配などしたことはないけれど、一度信じてしまえば多少それが盲目的に、……少なくとも視野を狭めてしまう傾向があったのを忘れていたのは誤算だった。

「国への忠節、たいしたもんだ」
「アレクセイは昔はああじゃなかった。君だって知っているだろ!」
「でもそれで自分のやるべきことを見失ってちゃ世話ねえぜ」

 フレンがはっきりと刺されたような顔をした。
 口調や中身が自然ときつくなるのは仕方がない。忠義の騎士と言えば聞こえはいい、でもその実は考えることを止めてしまって、ただ従うだけの人形だ。疑問も何もかも飲み込んで、ただ職務を果たすだけの。フレンにそうなって欲しくなかった(ユーリが好きなフレンはどこまでもどうすればいいのか考える優しく強い男だ)し、そもそもなりはしないだろうと思っていたのに。
 けれど、とユーリは小さく息をつく。渦巻いていたものが少しだけ流れて軽くなる。フレンだけを責められない。誰よりも知っているからと、ユーリも彼の行動を微塵も疑ってこなかった。それにユーリだって結局はエステルを奪われていて(なんだかんだと気をつけてはいたけれど、それでもどこかでレイヴンを信じていた)、この状況を作り出した張本人の一人であることに変わりはない。

「ユーリ、僕に責任を取らせてくれ」

 フレンが言うのを、バカと押しとどめる。
 こんなときに個人の感情を交える男じゃあないと知っているけれど、くぎを刺さずにはいられない。したっきり、ほとんど意識もしていなかった忘れていた失恋を思い出して(なんせ、する前と後で全く変わったものがないのだから、いちいち忙しい最中にあれやこれやと意識するはずもない。表に出るのはあくまで無意識の産物だ)、ユーリはフレンの顔を射ぬくように見た。

「エステルを助けに行きたいんだろうけどな。悪いが、あいつを助け出すのは俺たち"凛々の明星"の仕事だ」

 彼女を守っていたのは"凛々の明星"。そしてみすみす連れて行かせてしまったのもそう。自分たちの責任は自分たちでとる。ユーリがフレンに対して怒鳴ったのと、これとはまた別の問題。

「お前にはお前のやることがあるだろ」
「しかし!」
「天然殿下のお守りとかな」

 やっといつもの軽口をたたいて、ユーリはふっと笑った。あっけにとられたフレンも、わずかに遅れて微笑んだ。その瞳はいつものように澄んだ空色で、真っ直ぐに強く輝いていた。人形じゃない、本物のフレンだ。
 久しぶりにフレンの前で笑った気がする。そして、フレンの笑顔を見るのもやっぱり久しぶりだと思う。それだけでもユーリはまた笑えそうだった。

「ありがとう、ユーリ」

 去り際に手を出され、ユーリがきょとんとすると、無理やりフレンがその手をつかんで同じ高さへ持ち上げて、強引にハイタッチをした。あっけにとられながらも、そう言って笑ったフレンの顔に、思わず笑いがこみあげる。お互いなと答えて、もう一度きちんとハイタッチをやり直した。
 歩きながら少しだけ目を閉じる。あの日のあれは決別ではなかった。思わず口元がほころぶ。今の状況は決してよくはなく(むしろ悪い)、やらなければいけないことも山積みだ。エステルを思えば、時間の猶予はない。それでも、まだフレンと同じものを目指して歩けることが、ユーリにとっては救いだった。フレンはやはりフレンのままで、自分はもちろん自分のままで。ならば大丈夫だ。きっとなんとかできる。
 暗雲が立ち込める中に、ほんの少しだけ光が見えた気がした。

ヨームゲン(廃墟)にて
ちょっと浮上してきたユーリさん
[2008.11.12 執筆/2008.11.23 加筆修正]

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