恋するガラテア 7.5

 大人になった今でこそ、ユーリはあからさまに感情を表に出さなくなっていたけれど(もちろん素直じゃあないし感情で動くことのほうが多い)、もともとの、幼い頃の彼女は、感情を素直どころか駄々漏れに表に出す感情的な印象の強い少女だった。もっとも根底は今も変わってはいないはずで、ただ変わったのは感情をうまくコントロールして流す術を知ったということだけだ。彼女は彼女のまま、その時感じたものに背を向けられない真っ直ぐな心のままでいる。
 現に、今目の前にいるユーリは、まさに幼い頃の彼女そのものだった。紫黒の瞳を燃やし、全身から怒りの炎を吹き上げる様は、だからこそ少しばかり懐かしくもあった。
 彼女の怒りの向かう先はどこだろうか、と頭の中で誰かがつぶやいた。非道なアレクセイか、ふがいない自分へか。……きっと後者なのだろうな、と顔には出さずに自嘲した。
 ずっと、彼女が知ったらなんて言うのだろうと思っていたこと。アレクセイの歪みを知りながら、糾弾せずにいたこと。そのとらわれない正義の瞳に、法の正義を語る自分はどう映っていたのかということ。

「でもそれで自分のやるべきことを見失ってちゃ世話ねえぜ」

 痛烈だった。
 怒りと、その中に強い呆れを混ぜ込んだ瞳がフレンを射抜く。一点の曇りもない正論は、フレンに言い返す余地なんて与えない。……いや、そもそもそんなものは最初からなかったのだけれど。
 ユーリのしたことは間違いだ。今でもそう思っている。法から外れることは許されない。今のユーリが帝国の法の及ばぬ場所にいるにしても、彼女が害した相手はまがりなりにも法に守られた者だった。ゆえに彼女の行為は許されない間違いでなくちゃあいけない。
 けれど、彼女自身は何一つ間違っていないのだと、フレンはもう気づいていた。彼女は道を踏み外したりなんかしていない。遠く先を見据えたフレンの正義では救えないものを、法という言葉に縛られないユーリの正義はあっさりと救う。彼女は彼女のやるべきことを見失ったりしていない。血に濡れても、ただ真っ直ぐに進むだけ。フレンの道とは遠く隔たったようでいて、その実、すぐ近くを走る道の上を。

(まさに道化だ。何も知らず気づかず、操られるままに役割を演じていたんだ、僕は)

 アレクセイの嘲笑が耳に蘇る。任務に忠実に徹してきた結果がこれだ。これで、自分を笑わずにいられるか!

「ま、俺も偉そうなこと言えたもんじゃないんだけどな」

 ユーリがため息交じりにそうつぶやいたのは、自嘲の笑みを浮かべようとしたその矢先のことだった。その顔は苛立ってこそいるものの激情は消えている。大人になったユーリの顔だ。

「俺もみすみす、エステルを連れて行かせた。お前のこと言えねえよ」
「……いや、それも元はと言えば僕がアレクセイの目的を見抜けなかったせいだ。君が悪いわけじゃない」

 フレンは目を閉じて考える。アレクセイの造反。さらわれたエステリーゼ。多くの命の上に得た力で、アレクセイがしようとしている何か。皇家に代わり、世界を支配しようと哄笑するあの男の為そうとしているものが、世界にとっていいこととはとてもじゃないけれども思えない。

「ユーリ、僕に責任を取らせてくれ」

 言った瞬間、ユーリは目を見開いた。夜空と同じ色の瞳がばちばちと瞬く。
 エステリーゼの救出と、アレクセイの野望の阻止。今まで道化を演じた分、これから取り返さなければいけない。
 けれどユーリは、やはり呆れたように、きっぱりすっぱりバカと言った。少しだけ不機嫌そうに、

「エステルを助けに行きたいんだろうけどな。悪いが、あいつを助け出すのは俺たち"凛々の明星"の仕事だ」

 そう言ってから、お前にはお前のやることがあるだろと彼女はふっと笑った。久々に見たユーリの笑顔だ。

「天然殿下のお守りとかな」

 彼女らしい軽口とヒネた笑みに、つられてフレンも笑みをこぼす。ぐちゃぐちゃと混乱したままになっていた頭が途端にすっきりして、全身に力が戻ってきた。きっとユーリの笑顔が見られたからだ。失ったはずの彼女の笑顔が、再びフレンの中で色づいて輝く。それがフレンに力を呼ぶ。

「ありがとう、ユーリ」

 去り際のユーリに声をかけると、振り向きもせず、彼女はお互いなとだけ答えてきた。
 かつてのように笑い合える、そんな関係に戻れたことが、フレンには本当に何にも代えられない喜びだった。状況はよくない(というよりもこれ以上悪い状況なんてあり得るのだろうか)。ヨーデルを守り、混乱した騎士団をまとめ直し、アレクセイと戦うであろうユーリたちのバックアップを。時間の余裕はないし、余計なことを考える余裕もない。
 それでも、フレンの心はさっきよりもずっと軽くなっている。彼女に許されたことがフレンにとっての大きな救いだった。
 間違ったならば正せばいい。そんな簡単なことを、ユーリに指摘されるまですっかりと忘れていた。

「行こう。ユーリに負けてはいられない」

 ソディアとウィチルを引き連れ、フレンもまた廃墟を後にする。彼女は何があろうと自分の道を間違ったりしない、自身ももう自分の道を見失うようなことはない。ならば問題ない。エステリーゼも世界も救える。
 完全に輝きを取り戻した瞳は、どこまでもまっすぐに前を見ていた。

もう一回仕切り直し
[2008.11.29 執筆/2009.1.7 修正]

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