恋するガラテア 6.5

 できることなら会いたくはなかった。こんな自分を見られたくはなかった。
 呆然とするエステルを背にかばい、ユーリは怒りと悲しみに揺れる目でじっとフレンを見つめていた。けれど、努めてフレンはそれに何も感じないようにしていた。彼女の顔を見ても、自分が揺らがないように。

「こんなこと、俺に言わせるな」

 低く、言葉が吐き出される。懇願するような響きをらしくないと思う。……ああ、らしくないのは自分の方か。
 続けて、何のために騎士を目指したんだよ、と絞り出された声は硬い。きっと、ユーリはフレンがおかしくなったとでも思っているに違いない。フレンがユーリを知るように、ユーリはフレンを知っている。その声はそのまま鈍器となってフレンを襲うけれど、心に鎧を着せてしまったフレンには届かない。
 ……いや、届かない、ふりをした。

「なら、僕も消すか」

 言った瞬間、ユーリの形のいい眉が跳ねた。

「ラゴウやキュモールのように、僕も消すと言うか」

 ユーリの向こうにいる、彼女の仲間――カロルと言ったか。あの少年が小さく息を飲むのが聞こえた。そうか知らなかったのかと思うけれど、だからといってそれに何かを感じる余裕もない。
 月明かりと街灯と、光の下に照らし出されたユーリは、いつも通りの彼女とほぼ変わりないように見えた。以前ここで会ったときに感じたあのらしくない雰囲気は消え、マンタイクでのあの昏い瞳も見られない。フレンの前でもう隠す必要がないからか、それとも仲間たちが一緒にいるからか。後者だろうと思う自分は、相当嫌な奴だ。吐き気がする。
 その彼女に、幼なじみを消すのかなんて言い放つ段階で、もう嫌な奴なんてレベルじゃ済まないはずなのだけど。
 ユーリは淡々と(それこそ少年が息を飲んだのにも構わずに)、ああと光る目を細めた。

「お前が悪党になるならな」

 風が吹いた。強い潮風に、彼女の美しい髪が巻き上げられる。そのせいで、そう言った瞬間のユーリの顔を見ることはできず、またそれを聞いた瞬間のフレンの顔を見られることもなかった。
 彼女がどう答えるかなんて、聞くまでもなく知っていた。真っ直ぐで強い彼女は、相手がフレンだからと許したりしない。フレンがユーリだからと許さないのと同じように、決して特別には扱わない。……いや、逆に特別だからというべきなのだろうか。
 同じ夢を見た幼なじみだからこそ、道から外れていく相手が許せない。いつでも、正しい道を歩いてほしいと願うのだ。
 魔導士のリタが、ケンカならあとにしてとユーリを叱りつけて、一行はそのままフレンの横をすり抜けて船の方へと走り去る。フレンの体は動かず、また動かそうとも思わず、去っていくのを黙って見逃すだけだ。隊長、とソディアの強い声が、どこか遠く聞こえた。
 アレクセイの欲する物が、命を代償にするものなのだとはおおよそ気づいていた。あの魔狩りの剣が狙うものだ、おそらく魔物か何かを倒すことで得られるものなのだろうと、様々な条件を鑑みれば推測するのは簡単だ。ただ、その倒す”何か”は、魔物の一言で片づけられる存在ではなかった。フレンはその正体について、正確には知らない。けれど、誰にも知られずとは言え、ノードポリカの統領として街を守り続けてきたのだとはもうすでに知っていた。そんな存在を、魔物と呼んで簡単に倒してしまっていいのだろうか。命を代償にして、アレクセイは何をするつもりなのか。
 それに答えは出ていない。フレンはアレクセイではないし、情報が少なくて推し量るすべもない。ただ確実に言えるのは、ユーリの言葉通り今の騎士団はどこかおかしい、それだけだ。
 ユーリが悪党を斬るというなら、フレンは斬られるべきだった。街のために命を賭すものをもてあそんだ存在を、結果として許しているフレンだって結局は同じなのだから。

「君の目に僕はどう映ったのかな」

 ソディアがきょとんとして振り向く。たぶん中身は聞こえなかっただろう。小さな声は簡単に風にさらわれる。

 ――お前は何のために騎士に。
 ――世界を変えるんじゃなかったのか。

 そうだよ、とフレンは思い起こしたユーリの言葉に胸の奥で答えを返す。誰もが幸せに、平等に暮らせる世界がつくりたい。今だってその思いに変わりはない。でも、君の目にはそんな風には映っていなかった。
 あの正義の女神の瞳はきっと、フレンの中の正しくないものを、はっきりと映していた。フレン自身が気づこうともせずに放置し続けてきたものを、しっかりと見ていたはずだ。

(もう、いっそのこと斬られてしまいたかった)

 心に着込んだ鎧も、内側で暴れるものはどうにもならないのだ、とはいまさら気づいたことだった。もう二度と、ユーリの手を取ることができない気がする。彼女の笑顔も見られない気がする。昔のように彼女と二人、寄り添って笑いあうなんて、もう二度とかなわない夢のような!
 胸の奥に激痛が走って、フレンは思わず顔をしかめた。痛い。寒い。まるで魂を半分持っていかれてしまったみたいだ。あれほどまでに思い浮かべるのが簡単だった彼女の笑顔が急に色褪せ、あっという間に見えなくなっていく。代わりに、あの冷たい目と怒りと、隠しきれない悲しみの色ばかりが濃く現れてフレンの胸を締め付ける。
 驚いて駆け寄ってくるソディアとウィチルになんともないと無理やり笑顔を作って、それからそこで初めて振り返る。けれどユーリたちが乗り込んだ船はもう遠く、その輪郭も見えなくなっていた。

彼女の隣にいられなくなるのがなによりつらい
[2008.11.26 執筆/2009.1.7 加筆修正]

5.5<<  back  >>7.5