近づいてくる気配に、ユーリは振り向きさえしない。振り向かずともそれが誰なのかはわかりきっていて、別にわざわざ振り向いてやる必要などなかった。ただその代わりに、星を見つめながらつぶやく。
「仕事はいいのかよ」
「とりあえず、今やるべき分は片付いてる」
断りもせずに隣に立ったのをちらりと見れば、フレンは手すりに手をつき、体を預けて夜風に金髪を揺らしていた。昼間見た鎧姿ではなく、薄いインナーだけの軽装だ。宿のテラスは大人が二人並んで立てるくらいの広さしかなく、つまりはもう満員で、寄り添うようなかっこうになっている。だからこそ間近で真昼の空と同じ色をした瞳が夜に染まることもなくはっきりと見えた。真っ直ぐに空へ向けられている。ユーリと同じく、星を見ているのだろう。
エステルとフレン、再会の直後に抱きあう(正確にはエステルが抱きついた)姿を見て、やっぱりなあ似合うよなあなんて思った直後ではあるけれど、悲しくもなければ痛くもない。むしろ、ここにいていいのか、なんて思う。エステルとだって久々の再会だろうに、一緒にいなくていいのか。少なくともエステルは話したいこともあるだろうに。
それに、あの……ソディアとかいったか。フレンの副官を務めている女。彼女もきっとフレンのことが好きなのだろうなと思う。単純に恋慕なのか、尊敬が高じたものなのかまでは知らない。もちろんユーリに突っかかるのはそればかりではないだろうけれど、あれだけ露骨に女の顔をさらしていても、フレンはさっぱり気づいた様子がなかった。どんだけ鈍感なんだこいつはとちょっと思う。
考えこんでいたユーリを現実に引き戻したのは、フレンのこぼした一言だった。
「きれいな星だな」
「……ガキんときはよく見たろ」
フレンがつぶやいたのを拾うつもりはなく、けれど自然に言葉が出た。それにフレンが返してきて、しばらくやりとりが続く。
「でも最近はご無沙汰だった」
「忙しすぎんだよ、お前が」
「君に分けてあげたいよ」
「謹んで遠慮しとく」
「そう言わずに」
「これでも忙しくしてたんだよ」
「どうだか」
「失礼なことぬかしてんなよ」
「出まかせじゃないさ。この間は昼まで寝ていておかみさんにたたき起こされたんだろ」
「……テッドのやつ」
「ちくったんじゃない、当然の報告をしてくれただけさ」
澄ました横顔をにらむと、フレンは空を見たまま微笑んだ。星明かりの中にそうしたのが、ちゃんと見えた。
それから話の続きだとでも言うように、フレンが別の話をした。それはあまりに自然で、何の違和感も抱かせなかった。
「君が賞金首になったから、本当に素直に喜べはしなかったけどね」
「だから誤解だっつったろ」
「脱獄に関しては事実だろ」
「それだって戻ろうと思ってたんだよ」
「普通は戻ってこないから、信じる人間はいないな」
「はいはい、すいませんでした」
「……そういう話をしたかったんじゃないんだけど」
「じゃあなんだ」
「嬉しかったんだよ。複雑だったけど」
は、と目を瞬かせると、フレンは振り向いて苦笑した。
「賞金首なんて言われたから、喜ぶより先に怒りが湧いちゃったんだ」
「久々に再会した幼なじみに斬りかかってくるくらいにな」
「でもその再会が帝都じゃない場所だったこと自体は本当に嬉しかった」
向けられる視線は真っ直ぐだった。ああ本当に喜んでくれたのかこいつと、少しだけ頬が緩む。
再び遠くを見たフレンの視線が、さっきよりも少しだけ下がっていた。あそこには夜に染まった海が広がっている。
「ユーリ、」
「ん?」
「海、どうだった?」
「……お前の言ったとおりだった」
答えると、今度こそフレンは心底嬉しそうに笑った。ガキみたいとはさすがにかわいそうで言わなかったけれど、でも本当に嬉しそうで幸せそうで、真夜中に太陽が昇ってきたようだと、まぶしさに目を細める。
「きれいだっただろ」
「ああ。すっげぇきれいだった。青くて、広くて、透き通ってた」
「時々光るのもきれいで」
「だな。潮風も心地いい。……あの中潜ったらどんな感じなんだろうな」
「また違った風にきれいだよ」
「そか」
少しだけ沈黙が落ちる。ユーリは少しだけ直前のやり取りを頭の中で反芻して、それからあーあとつぶやいた。
「悔しい」
「悔しい?」
「お前に先越されてんのが。また勝てない」
そればかりじゃないけれど、とは口に出さない。出せない。
フレンと一緒に見られなかったのが悔しいのだとは、まるで自分の想いをすべて吐き出すみたいで、言えやしないのだ。
夜風に髪を遊ばせておいたら、ほんの少しだけ引っ張られるような感覚があった。横目に見ると、フレンがこちらに手をのばしていて、きっとばさばさと揺れていたのが気になってつかまれたか何かしたのだろうと、思った。ねこじゃらしか俺の髪は、とは認めたくないので浮かんだ瞬間消去した。
「相変わらず無頓着みたいだけど」
「何がだよ」
「身だしなみとか。潮風は気持ちいいけど、髪にはよくない」
「別にいいって。旅してんだ、そんなことにかまってる余裕ねえし」
「せっかくきれいなのに、もったいない」
冗談なのか本気なのかわからない口調でつぶやいたフレンが、手にしたひとふさに口づけるのが見えた。思わず心臓が跳ねて、顔に熱が集中しそうになるのを無理やりこらえて散らす。昔からフレンはこういうキザなことを無意識にやるところがあって(そしてそれが似合うから、下町時代には他の女の子たちから王子様だのなんだのと言われていたのだ)、それを主にユーリに向けて発揮してくれていた。今あるこの想いはそのせいじゃないかと思ったこともある。ただ、以前ならまたやってるで済ませていたそれが、今回に限って妙な力をもってユーリの心をぶん殴った。久々の再会だからか、感情のコントロールがきかない。
心臓に悪い、とは口に出さずに心の中で叫んだ。思わせぶりなことすんな、とも口に出さずに心の中の悲鳴にとどめた。どちらもユーリの勝手な感情だったから。
顔に集まりそうになる熱を散らそうと、そんなのはエステルにやってやればいいのに、とやっぱり口に出すべきではない気がして言えないことを思う。この鈍感は、きっと自分に向けられる好意になんて気づいていないに違いない。だとすれば、それをユーリが言ってしまうのはルール違反だった。
代わりに、キザなやつ、とだけ呆れ声をつくってつぶやいてやった。そうするのがやっとだった。
カプワ・トリムの宿にて(捏造)
このふたりが会話するの楽しい
[2008.11.5 執筆/2008.11.23 加筆修正]