恋するガラテア 11

 いちおう、正面玄関からでも入れてはもらえるのだけれど(エステルの友人でフレンの幼なじみで、あげく皇帝のお墨付きなので)、それは面倒だし嫌だ。
 ……というわけで、結局ユーリは城に出入りするに当たっては、木登りして窓というベタでありながら確実性が割と高い手段をとっていた。まあ、こんなに簡単に侵入されるような城でいいのかと思わないでもないのだけれど、少なくとも自分にとってはありがたいことなので、いちいち指摘するつもりはない。のだけれど。

「……だから、どうして君はそこから入ってくるんだ」

 頭が痛いと唸るのは、部屋の主のフレンである。
 ひょいひょいと窓から侵入を果たしたユーリは、すとんと部屋の中へ降り立った。そして何気なく、ようと片手を上げる。

「すっかり疲れきってるみたいだな、騎士団長殿?」
「それより僕の話を聞いてくれないか、君は」
「んだよ。楽なんだからいいじゃねえか」
「よくない。毎度毎度、泥棒みたいな真似を」

 ため息交じりに、窓を閉めようとするフレンの手をつかんで止める。

「ユーリ?」
「見ろよ、いい月だぜ」

 ユーリが見つめる先には、丸い月が煌々と輝いていた。その金色の光はフレンの髪の色と同じで、なんて奇妙なつながりだと少し笑いたくなる。
 結局、ユーリの思い通りというか望み通りというか、フレンとの関係はつかず離れず、幼なじみ程度に落ち着いている。時折感じた違和感も感じることがなくなった。まあまだ情勢が安定しないのだ、実際どうなっていくかはまだわからないところであるけれど(なんせフレンもユーリも落ち着いたとは言えない)。ただ、少なくとも今の状態は居心地がよくて(それがいいのか悪いのかなんて考えるのはやめている。頭を使うのはやっぱり苦手だ)、誰にもたぶん迷惑をかけてはいないだろうから、まあいいんじゃないかと思っている。
 隣でそんなことを思われているなんて知る由もないフレンはといえば、不思議そうに首をかしげていた。

「確かにきれいだけど……どうして窓を開けっ放しにする必要があるんだ?」
「外出るからだよ」
「! ……来たばかりでもう帰る気か? しかもまた窓から」

 小言モードに突入しそうになるフレンを、違うそうじゃないと止めて、ユーリはにっと笑った。

「お前も一緒にだよ。……ほら、オルニオンで、この前の一件が片付いたらゆっくり話しようって言ってたじゃねえか」
「ああ、そういえば……そう言ったな」
「俺もまあ、ゆっくり話ができる程度には落ち着いたんでな。お前はまだ忙しいのかも知んねえけど、息抜きも兼ねてどうだ?」

 夜の散歩といこうぜ。
 そう言ったら、フレンは一瞬あっけにとられたような顔をして、それからしかたがないなとちょっとだけ困ったように笑った。

 ただし、窓から出るのだけはどうにもこうにも許してくれなかった。

「ほんと気持ちいいな」

 並んで歩きながら、ひとつ伸びをする。
 夜風は冷たくもなく、ときおり木を揺らして音を立てさせる。静かな夜の光景は、幼い頃に少しだけドキドキして楽しかった夜更かしを思い起こさせた。
 ちらりと横目にフレンを見る。凛とした横顔は、前に見たよりも多少やつれているように見えた。魔導器がなくなったあの日以来、帝国もギルドも皆忙しくしているけれど、騎士団のトップに立って誰よりも精力的に働くフレンの仕事量は半端じゃあないはずだ。おまけに、フレンはもともとユーリと似たタイプ(考えるより動くのが得意)なのだから、書類とのにらめっこは必要以上に疲れるに違いない。やつれるのも仕方がないとはいえ、無茶をしているのではないかと思ってしまう。

「なあ、フレン。お前ちゃんと休んでんのか?」

 手をのばして頬に触れる。かさついて、柔らかさのない肌に眉をしかめた。

「……あー、聞いた俺がバカだった」
「心配するのかけなすのか、どっちかにしてくれ」
「そいつは無茶してねえ奴のセリフだろ」
「それはそのままそっくり返すよ」

 のばしていた手をつかまれ、引き寄せられる。じっと見つめてくる視線が気まずくて、でも目をそらすと負けのような気がしてそらせない。

「……君も痩せたね?」
「おいおい、堂々とセクハラかよ」
「幼なじみを心配することのどこが?」
「発言内容を再確認してこい」
「するほどの内容じゃない」
「じゃ、認めんだな」
「誰が」

 他愛ないやり取りをして、一瞬空気が凍りかける。昔からのノリで、本気でこそないけれど(それは二人にとってのスキンシップなので)盛大にケンカをしてやろうかと思って、止めた。ここでケンカをすると騎士がすっ飛んできそうだし、何より天然皇族コンビに即座にバレてまったりと叱られるのだけは勘弁だった。いくら本気じゃないとは言っても、あいつらは納得しまい。
 長く息をつく。それから話を変えて、切り出した。

「で、話って何だよ」
「え? ……ああ」
「わざわざ話したいって言うくらいだから、なんか大事な話なんだろ? ……あ、もしかしてやっと女でもできたか」

 ニヤニヤと冷やかしのように言葉を並べる。最後の一言は自分を傷つけるんじゃないかと思ったけれど、意外となんともなく、自然に言葉が出た。
 むしろ胸の奥がずきりと痛んだのは、フレンが口を開いてからだった。自覚症状の問題だろうかと思いながら、ユーリはフレンを見つめる。彼は小さく違うとつぶやいてから、でもそういうことになるのかなと小さな声で言った。

「好きな女性ができた、とでも言うべきかな」
「ほーう?」

 言いながら、胸がひどく痛むのを必死にこらえる。伝わらなくとも何ともないと思い続け、今まで自分がいた位置に誰かが立つのを待ち続けていたはずなのに、心臓はきりきりと痛むばかり。相変わらず諦めの悪い、なんて自分自身に苦笑したくなる。それを無理やり笑顔にして、フレンの脇腹を肘でつついた。。

「どこのお嬢さんだ? 生まれてからこっち、恋愛のれの字も知らねえで生きてきた朴念仁が惚れたのは」
「……ユーリ、いくらなんでもそれ傷つく」

 事実だろうと言うと、フレンは大きなため息をついた。

「相手は誰なんだよ。こうやって話すくらいなんだ、いまさら隠す気じゃねえだろ?」
「ああ」
「よし。で、エステルか? それとも副官の姉ちゃんか?」

 それにフレンが目を瞠る。やっぱり図星か? 強がる代わりににやりと笑おうとした瞬間、フレンが憮然としたようにつぶやく。

「どうしてそこでエステリーゼ様とソディアが?」
「お前の周りの女なんてそのくらいしか思いつかねえ」
「……そんなことだろうと思った。だからユーリ、それは僕だって傷つくんだって」
「じゃ、もうちょっと甲斐性のあるとこ見せてみろよ」

 言いながら、実のところまあショックではあった。この様子だと、その相手というのはエステルでもソディアでもない。二人しか思いつかないというのは事実であったけれど、でも実はあんまり周囲に女をうろうろさせていてほしくないというまあ多少女らしい感覚(もちろん幼なじみとして子どもの頃からあまり変わらずにいてほしいというのも事実)があったことも否めなかったりする。相変わらず痛む胸を持て余しながら、ユーリはいつものように強気な言葉を口にした。
 その軽口にはフレンは乗ってこなかった。珍しいと思って、思わず眉を寄せる。どうしたと口を開きかけた矢先、声が詰まった。
 小手に包まれたままの(思えばなんでこんな時間に鎧着てやがんだこいつは)左手が、そっと黒髪を梳き上げながら頬に触れた。長い指先が抑えるように後頭部にかかる。近づいてきたフレンの唇が額に触れるのを、ユーリはあっけにとられたまま受け止めた。

「フレ、ン?」
「まあ、君の言う通り、僕の周囲にいる女性なんて数えるくらいだけど」

 君はひとり、一番近いのを忘れてる。離れたフレンが薄く微笑む。切ないほど、何かをいとおしむような淡い笑みが、ぞくりとユーリの心を泡立てた。しばらく感じていなかった違和感が、強烈な波になって押し寄せる。
 その瞬間にこの先を聞くべきじゃないと頭の中で誰かが言ったような気がする。けれど、特にとらわれてもいないはずの体はしびれたように動かなくて、逃げるどころか耳をふさぐのもままならない。なんてこった、と半ば呆けた心の中でつぶやく。
 こちらをじっと見つめているフレンが、言った。

「好きだよ」

 びくりと体が震えた。フレンは相変わらず、笑みを浮かべたまま。

「君が好きだ。幼なじみじゃなく、ひとりの女性として、君が好きなんだ」

 全身どころか脳髄までしびれた感覚の中、全力を振り絞り、やっとのことで声が出た。

「フレン、お前、頭大丈夫か」
「僕は至って正気だ、言っておくけど。それと、簡単には逃がさないからそのつもりでいてくれ」

 どうしたらいいのかと考え続けていた頭を、フレンの一言がぶん殴る。簡単に逃げさせてはくれないらしい、とは最初の雰囲気から感じてはいたし、逃げるのもまずいだろうとは思っていた(それに事実、体が動かないから逃げられない)けれど、何とかうまいことフレンを説得して思い直させようと考えていたユーリには結構ダメージが大きかった。
 それでも、いつもの冷静さを保ったユーリであれば、何となく切り抜けられる場面であったはずだ。ユーリ自身もそう思っている。それほどヤワな生き方をしてきたつもりはない、このくらい切り抜けられずに、修羅場を生き抜くなんて不可能だ!
 だというのに、今のユーリは完全に冷静さを失っていた。思考がいたずらに空転して、焦りばかりが増していく。それというのも、幼い頃から一途に想い続けていたユーリは一度だって自分が彼に想われるなんて事態を想像したことがなかった(いやまあ全くとは言わないけれど、それはあくまでユーリのがらじゃあない女の子のかわいらしい夢の世界のお話だ)。何があってもまあなんとかなるみたいなスタンスを続けてきたユーリでも、完全想定外の事態には揺らぐし、困りもする。挙句の果てには逃げ道もふさがれたとなれば、もはや打つ手がない。

「だってフレン、お前」
「僕が相手とか、考えたこともなかった?」
「そりゃそうだろ、だってガキの頃からずっと一緒にいたんだぞ」

 それは真実だ。ずっと隣で、いろんなものを分かち合って生きてきた。いわば戦友でもあるフレンに愛をささやかれるだなんて、やっぱり女の子のかわいらしい夢の世界のお話ならともかく、現実を見据えて生きてきたユーリにはありえないことだった。そもそもユーリの恋は、フレンが幸せになればそれでいい、自分のことなど二の次の一方通行だったのだし。

「でも、好きになっちゃいけないわけじゃないだろう。僕は君を……君のしたこともしたいことも全部ひっくるめて好きだ。もちろん、君のしたことすべてが許せるわけじゃない。それでも君を失うことを考えたら、怖くてもう狂いそうだった」

 強張る表情は、きっと、ザウデのことなのだろうなと思う。あの時はそんな風に傷つけてしまったのかと思えば、いまさらながら改めてちょっとだけ申し訳なくなった。

「それを愛情と呼ばずになんて呼ぶ?」

 ……申し訳ないのはさておいて。
 それは確かにそうだ。そうだけれど。でもだからといってこれは。
 自分に都合のいい夢なんじゃないだろうかと、ユーリは自分の手で空いている方の頬を力いっぱい抓ってみた。……悲しいかな、痛い。
 フレンが少しさみしそうにつぶやいた。

「そんなに信じられないかい」
「当たり前だろ」
「じゃあ、これなら?」

 フレンの右手がユーリの腰に回り、引き寄せる。この間、手放したくないと思ったぬくもりを感じる間もなく唇が重なって、ユーリの心臓がどくりと音をたてた。
 フレンとのキスなんていまさら意識したものでもないはずなのに、意識せずにいられない。角度を変えながら緩急をつけて続く、でも触れるだけのそれは、明らかに今までのそれと異質だ。押しのけようとしてもフレンの体はわずかにも動かず、体を引こうにもフレンの手が力強くてかなわない。口をふさがれ、呼吸が思うようにいかなくて、少しばかり苦しくなる。
 真っ白になった頭に、ダングレストの地下牢でのことがフラッシュバックする。あの日のキスで感じた違和感。それだけじゃなく、カプワ・トリムでの仕草もそうだ。ユーリは気づかなかったけれど、もしかしてあの頃すでにフレンはユーリを想ってくれていたのだろうか。
 最後に軽く下唇を吸われて、それからフレンが少しだけ離れた。ユーリは息が上がったままでその顔を見返す。互いの前髪は混ざり合ったままの距離、そこでちゃんと見たフレンの顔は、旅立つ前よりも精悍さを増していた。彼特有の甘さが失われることなく、うまくバランスを保ったまま大人びてきた美貌に、見慣れたユーリでさえ思わず息を飲む。その中で、夜にも侵されない空色が、見たこともない色に――愛情と不安をごちゃまぜにして、静かに揺れていた。

「これでも、信じてくれないか? 約束のキスのつもりはないんだけど」
「なんだよ」
「好きだよって、愛情のキス」

 こんな距離で、こんな瞳で、にこりと笑われてしまっては、もうだめだ。
 伝わらなくていいと思っていて、この手を汚したあの夜からは一生伝わってはいけないと思っていた想い。けれど想われてしまった以上は素直になるべきなのかと心の中で誰かに問いかける。答えなんて返ってくるはずもないけれど。
 急に笑いがこみあげた。何がおかしいのかはわからない、けれどただもうおかしくて、声を上げて笑いたい気分だった。けれど驚きのあまり固まったままの顔は動かず、声も出なくて、は、と息が漏れるだけ。

「ユーリ、返事をもらえないか?」

 顔を上げれば、フレンが苦笑いしている。なかなか怖くて辛いんだけどとつぶやかれた。
 そのフレンが笑えて、先ほどからこみ上げたものとも相まってユーリの強張ったままになっていた頬がやっと緩んだ。

「……結局、お前を幼なじみだと思ってたのは俺の方だったってことか」
「え?」

 聞こえないというフレンになんでもねえよと首を振る。そしてその腕の中から手を伸ばし、そっとその金髪を撫でた。フレンが少しだけ目を細める。子どもの頃から、この感触が好きだった。柔らかくからみつくそれを握って引っ張ると、痛いと悲鳴が上がる。

「何するんだ!」
「返事が欲しけりゃ、俺をもっとちゃんと納得させてみろ」

 あんなキスだけで納得すると思うなよ。
 でももうそれは半ば答えだなと思いながら、紫暗の瞳をいたずらに光らせてユーリは微笑う。結局なかなか素直になれはしない。おまけに幼い頃からずっと秘めてきた想いを口にするのはなかなかに勇気が要った。少しでいい、少しでいいから、素直になるための勇気がほしい。
 そんなユーリの思いが伝わったのか、フレンはわかったとうなずいて、先ほどよりほんの少しだけ深いキスをくれた。優しく抱きしめて、長く、甘く、21年の人生で積み上げられたユーリの意地が溶けて流れてしまうような、幸せなキスを。ユーリの腕が自然とフレンの首へと回る。
 長いとも短いとも思えるようなキスの後、上がった息を整えながら、ユーリはフレンの目を改めて見つめた。絡んだ視線からは少しだけ緊張が感じられて(もう緊張するまでもないだろうに!)、少しだけ笑ってしまってフレンをへこませる。それにまた笑いながら、二度と言わないからよーく聞けと小さく息を吸い込んだ。

ED中ザーフィアス城
思いっきりのハッピーエンド!
[2008.11.14 執筆/2008.11.23 加筆修正]

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