恋するガラテア 10.5

 この世界の命運のかかった日の朝は、いつものように穏やかに明けた。
 昨夜、ユーリと話をしたあと、これ以上ないほどに心地よく眠れた。外にユーリの姿を見つけて、どうしても話がしたくてとっさに飛び出したのだけれど、それはあながち間違いじゃあなかったらしい。おかげで、気分はすっきり、体も軽い。激動の今日一日も、これならきっと楽に乗り越えていけるはずだ。
 それはユーリも同じなのか、街の出口で挨拶を交わしたその顔は明るく、これから決戦へ赴くというのに気負いがなかった。昂って眠れないとか言っていたのはどこへ行ったやら。

「よーし、行くか」

 すっかりと身支度を整えたユーリたちが、顔を見合わせ、うなずく。フレンもユーリと目が合ったとき、同じようにうなずいた。
 行ってこい、そんな気持ちを込めて。

「そんじゃ、ま、行ってくるわ」

 こちらに背を向けたユーリがあんまりにものんびりと手を振るもんだから、思わず笑いがこみ上げた。でもそれはおかしいだけじゃなくて、半分くらいは安心感が生んだものだ。大丈夫、いつものユーリなら、世界の危機だってぱぱっとなんとかできるはず。……そう思って、途中で違うなと思い直した。いつものユーリとフレンなら、だ。
 フレンはフレンの道を、ユーリはユーリの道を歩く。それは互いが互いのできないことを補うことでもある。今回の作戦だって、どちらが欠けても成功しやしないのだから!

「……ラピード、ユーリを頼むよ」

 一番後ろにいたラピードの首を撫でて微笑うと、彼はわおんと吠えてしっぽを大きく揺らした。心配するな、任せておけと言わんばかりの真っ直ぐな目が2回瞬いて、それからくるりと背を向けて、仲間たちを追っていく。当たり前のようにユーリの隣へ追いついたその体が、しっかり寄り添うようにテンポを合わせて歩いている。
 ラピードが羨ましい。いや、羨ましいのは彼だけじゃなくて、エステリーゼもだ。レイヴンもリタもカロルもジュディスも、みんなが等しく羨ましい。すぐ無茶をするユーリを守り、めったに他人に素を見せないユーリが甘える仲間たち。心がどんなに近かろうと、物理的に隔たるフレンにはできないことを、彼らはやれる。すぐそばで彼女を見守ってやれる。どんなに想っても、こればかりはどうしようもない。
 だって、フレンが愛したのはその人形めいて美しい容姿じゃない。自由で決して何者にも侵されない、澄んだ魂に恋をした。人形を愛でたところで満たされるものなど何もなくて、でも世界さえ魅了できるに違いないあの輝きを想うだけで、フレンの心には力が漲る。つくられた微笑は要らない。その心が生み出す笑顔が欲しい。だから、彼女から自由を奪って手元に置いても、フレンは決して満たされない。そんなのただ悲しいだけだ。
 自覚した瞬間に、こんなに狂おしいほどの恋情がこみあげるようになるのだから、我ながら現金なものだと思う。思わず苦笑しそうになるのは、すんでのところで耐えた。ああでも、本当に彼女の仲間たちに嫉妬するなんてどうかしている。

「行ってこい、ユーリ」

 ユーリたちの乗り込んだ船が、始祖の隷長にひかれて空へ舞う。
 それが遠ざかるとフレンはすぐに後ろを振り向いた。そこにはソディアとウィチルをはじめ、騎士たちが顔を揃えている。これ以上去りゆく船を見ていたら、本当に視線がはがせなくなる気がした。

「さあ、僕たちも行こう。のんびりしてはいられない」

 ユーリがあの、空を覆う魔物を斬り裂くための剣を用意するのがフレンの仕事だ。いわば作戦の要。
 引き締まる空気の中、フレンは少し離れてこちらを見ているヨーデルをちらりと見た。彼もまた静かに笑顔でうなずく。私のことは気にせず、頼みますと、そのひとことは今この場に立つ前にもういただいている。
 指示を受け、散っていく騎士たちを見送り、自分もまたオルニオンに背を向けて、ただ想う。昨夜、二つに増えた約束を守るためにも、フレンが成し遂げなければならないことは途方もなく大きい。もちろんユーリもそれは同じだけれど。

(僕が成し遂げ、君が帰ってきたら)

 ずっとずっと好きだったと伝えたい。
 こんな時に不謹慎だとはわかってる。でも、フレンにとってそれは今日への覚悟でもある。伝えるためにはまず未来を。また変わらない明日を迎えられるように、今日という一日と世界の危機を乗り越える。その先にはきっと。
 昨夜、額に押し付けた手の感覚を思い出す。あの華奢な手に誓った。この手に恥じることはしない、この手にかかるようなこともしない。
 ――ただまっすぐ、君と一緒に、僕らの夢をかなえよう。

それぞれ出発するふたり
[2008.12.2 執筆/2009.1.7 加筆修正]

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