恋するガラテア 11.5

 丸くて愛らしい額に口づけ、好きだよ、と言った。
 呆然としている彼女に微笑みかけると、ありえないものを見るような目で見返された。

「フレン、お前、頭大丈夫か」
「僕は至って正気だ、言っておくけど。それと、簡単には逃がさないからそのつもりでいてくれ」

 正直ちょっとだけ失礼だなあユーリは、とか思ったけれど、雰囲気をぶち壊すこと請け合いなので黙っていた。

「だってフレン、お前」
「僕が相手とか、考えたこともなかった?」
「そりゃそうだろ、だってガキの頃からずっと一緒にいたんだぞ」
「でも、好きになっちゃいけないわけじゃないだろう」

 一緒だったからこそ、いいところも悪いところも知り尽くして、その上で愛していると断言できる。
 そして胸の中をよぎるのは、マンタイクで感じた激情と、ザウデで覚えた喪失感なんて生易しいものじゃない寒さ。

「僕は君を……君のしたことも全部ひっくるめて好きだ。もちろん、君のしたことすべてが許せるわけじゃない。それでも君を失うことを考えたら、怖くてもう狂いそうだった」

 その瞬間、ユーリがはっきりと刺されたような顔をした。いつでも強気な彼女にしては珍しい。そんな顔をさせたかったわけじゃないのに、ひどく申し訳なくなる。ただ、この気持ちが伝わればと思っただけなのだから!

「それを愛情と呼ばずになんて呼ぶ?」

 訊くと、今度は困った顔をする。
 困った顔で、力いっぱい自分の頬を抓り始めるものだから、それを見たフレンのほうがなんだか悲しくなってきた。

「そんなに信じられないかい」
「当たり前だろ」

 返事は素早く、すっぱりと返ってきた。ますますもって悲しさが増す。
 どうしたら信じてもらえるかと考えて(どれだけ言葉を尽くしたところで、この調子じゃ彼女に信じちゃもらえまい)、ふと思い付いた。それが浮かんだのは、今までにも感じてきた衝動みたいなもの、だと思う。フレンの内側で渦巻く想いを伝えられるかもしれないやり方。それは特別ではないかもしれない、けれど特別にもできるかもしれない方法。
 じゃあ、とフレンはユーリの腰に手を回して引き寄せた。驚く彼女が声を上げるより先に、その唇に自分のを重ねる。重ねた先で、小さく息を飲んだのが振動になって伝わってきた。

(好きだよ)

 愛しい。恋しい。好きで好きで好きで、本当にもうどうしようもなく好きだ。
 角度を変えながら、それでも触れるだけにとどめるキス。それはまあ、……フレン(の健全な21歳男子としての理性と忍耐力とっていうかもうむしろ精神力全般)にかなりの負担(要するに我慢)をもたらすものではあったけれど、約束を意味するそれと違うところでその柔らかい唇に触れているのは、それだけでも幸せだった。できることなら、こうしている間にこの想いが伝わっていけばいい。
 最初のうち、ユーリは少しばかり抵抗していたけれど、それはしっかり抱きしめることで封じ込めた。突き放そうとするのも、身をよじって逃げようとするのも全部。それも少しずつおさまって、されるがままになっていく。

「これでも、信じてくれないか?」

 最後だけ、そっと下唇を吸ってやって、少しだけ離れた。けれどその距離は果てしなく近い。互いの前髪が混ざり合うほど近くで、ユーリの顔をしっかりと見つめる。多少強さと鋭さは増したようだけれど、相変わらず人形めいて美しい。白く滑らかそうな肌がほんのりと色づいて(この年齢にこの美貌ですっぴんのはずだ彼女は)、長い睫毛が落とす影の下、真っ直ぐにフレンを映す黒目がちの瞳はほんの少し潤んで煌めいている、薄い朱唇も上がった息を吐き出すためにうっすらと開かれていた。さっきのキス、さすがに息苦しかったかなあと少しだけ反省してみる。
 ともすれば欲情してもおかしくないほど艶めいた美貌を前にしても、今のフレンはそれどころじゃあなかった。自分の行動に後悔はない。ただ衝動のままに口づけてはみたけれど、これで想いが伝わったかどうかなんて結局のところわからない(あたりまえだけど)。これは想像以上にきつい、と心の中でだけため息をついた。
 断られたってかまわない、なんて思っていたはずなのに、いざそうなったらこんなにも怖い。

「約束のキスのつもりはないんだけど」
「なんだよ」
「好きだよって、愛情のキス」

 全身の力を振り絞って微笑うと、ユーリの目が緩く見開かれた。その表情は怒っているような笑っているような、複雑な様相に強張っている。唇が何度か開くけれど、そこから漏れるのは息だけで、明確な音は出てこない。すっと視線が下げられる。

「ユーリ、返事をもらえないか?」

 もう拒否されちゃったようなものかなと思わず苦笑いすると、気配を察したのかユーリが再び視線を上げた。

「なかなか怖くて辛いんだけど」

 はっとしたようなユーリの顔が、そこでやっと崩れた。いつもの笑みを取り戻していく顔に、安心のあまりため息をつきたくなった。この想いを告げたかったのは事実だけれど、だからと言って彼女を困らせたいわけじゃあ、決して、ないのだ。
 目を伏せた彼女が、ため息交じりに何ごとかつぶやいた。

「え? 聞こえなかったんだけど……なんだ?」
「なんでもねえよ」

 気にするなと首を振って、ユーリが少し身じろいた。その手がするりとフレンの腕から抜け出すと、そっと金色の頭に伸ばされた。ゆっくりと優しく撫でられる感覚がくすぐったくもあり心地よくもあり、思わず目を細める。――だからくるくるとからめながらもゆったりと遊んでいたはずのユーリの手が、急にぐいっとフレンの金髪をつかんで引っ張った時は完全に油断していた。

「何するんだ!」

 抗議に睨めば、ユーリはにっこりと微笑んだ。紫暗の瞳がいたずら小僧よろしく、きらりと光る。

「返事が欲しけりゃ、俺をもっとちゃんと納得させてみろ」

 思わずきょとんとするフレンに、ユーリがさらに続けた。

「あんなキスだけで納得すると思うなよ」

 あっけにとられながらも、フレンは見た。いたずらっぽく光るその奥で、瞳が静かに揺れている。彼女も何かを怖がっているのだと直感するには、やっぱり共に過ごしていた時間の長さは十分すぎるほどの効果を持っていて、すぐさま彼女の望むままに、もう一度キスを贈る。
 長い長い旅をして、今もまた好んで世界を飛び回る細い体を、優しくしっかり抱きしめてやったら、ユーリの腕もフレンの首へと回された。触れるだけの先ほどとは違い、ほんの少しだけ、もっと互いを近く感じるようなキスをする。意地も恐怖も何もかも、砕けてしまえばいい。幼なじみの前ですらなかなか素直になれない、……というより今回はまあフレンの前だからこそなのかもしれないけれど、とにかくそんなこと気にしたりなんてできないくらい、別のことで頭がいっぱいになればいい。
 少しだけ名残惜しいと思いながら唇を離すと、こちらを見つめる瞳と視線がぶつかる。上がった息を少しだけ整え、ユーリがにやりと笑った。

「……二度と言わねえからよーく聞け」
「そうするよ。……それで?」

 彼女が小さく息を吸い込む。

「勘違いすんなよ」

 その言葉を認識した瞬間、ずきりと胸が痛んだ。頭が理解するより先に、心が感じたらしい。断られたんだと思うだけで、恐怖にも似たものがフレンの胸を覆っていく。断られたって変わらないだけ、またただの幼なじみとして仲良くしていられればと思っていたのに、やっぱり受け入れてもらえないというのは想像以上にきつかった(それこそもっとひどく突っぱねられるかもしれないと思ったりもしていたのにたったこれだけでこんなにも痛い)。自覚して日の浅い想いは想像以上に大きくなっていたらしい。だから、そりゃあまあ、そんな都合のいいことはあるわけないよな、なんていうのは、たっぷり10秒くらい経ってから湧いてきた。
 けれどそんなフレンの様子に気づいているのかいないのか、目の前のユーリは、にこにこと笑ったまま。

「想ってた長さならお前にゃ負けねえぜ」

 妙に楽しそうな顔でそう言った。

「……は?」

 今度は心も頭も、理解するまでに時間が要った。
 何度も何度も瞬いて、微笑う顔をじっと見つめる。ユーリが楽しそうに目を伏せた。

「好きになったのなんか、もういつのことだか覚えてねえよ」
「ユーリ、それは」
「ガキのときに、何の間違いか惚れちまったんだよなあ」

 その楽しそうな顔がひどく幸せそうに見えるのは、フレンの自惚れだろうか。

「それからずっと。……一途だなあ俺、どんだけ乙女だって話だよな」
「ユーリ」

 抱き寄せて力を込めると、バカ痛い、と柔らかな抗議が返ってきた。でもあまりに嬉しすぎて、力が入るのを止められない。お前ってホント体当たりだよなあとかため息をつかれても、痛い苦しい話最後まで聞けアホーとか悪態をつかれても、こればかりはどうしようもない。
 だってこうなったらいいと思っていたにしても、これはなんて幸せな。

「ユーリ、好きだよ」
「……俺だって好きだよ」

 照れくさそうにそっぽを向いて、初めて真っ直ぐな言葉をくれたユーリを、フレンは満面の笑みでもう一度しっかりと抱きしめる。

「そこで大好き、とか言ってくれればいいのに」
「言えるかバカ」
「僕は言えるけど?」
「体当たりが十八番のどっかの騎士団長と一緒にすんな。俺は回り込むのが得意なんだよ」
「回り込むのはいいけど、そればっかりじゃ伝わらない」
「いいんだよ。……伝わってんだろ?」

 じっと見つめてくる瞳に微笑って、フレンはさあねと肩をすくめた。

「ねえ」
「ん?」
「もう一度、ちゃんと約束していいかい。……ヒピオニアでは怒られたことだし」

 ユーリは答えない。ただその瞳が面白がるようにフレンを見ていた。彼女がこういう顔をしている時は肯定だと、フレンはちゃんと知っている。

「"たとえどんなに離れていても、心まで離れることなく"」

 豊かな黒髪を指で梳いてやると、

「君はギルドで、僕は騎士団で」
「いっちょ頑張りましょうか、ってな」
「離れていてもずっと一緒に」
「……お前なんでそんなこっぱずかしいセリフ堂々と吐けんの」
「……君こそ少しくらい雰囲気作ってくれてもいいんじゃないか?」

 じーっと互いに見つめ合い、それからにたぁと二人で笑う。ユーリが何事か言おうとした瞬間に、フレンは強引に口づけて言葉ごとその吐息を飲みこむと、情緒のカケラもない幼なじみで親友で、――そして恋人になった彼女を黙らせた。

まさか(?)の告白返し、でした
[2008.12.3 執筆/2009.1.7 加筆修正]

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