サキゾメ #1

 デスクの向こうにあるテレビからは、さざめきのように歓声が聞こえている。どうせならもう少し大きくしたっていいのに、と思うのだけれど、どうにもこうにも椿は遠慮が勝る性格であるからしかたがないのだろう。こちらに背を向け、じっとテレビに見入る背中にため息をつく。
(むしろ音量上げてくれないかなー……)
 何度も何度も見た試合でも、気に入っているならばやはり目は引かれる。音も聞きたくなる。このあたり、有里も大概フットボールバカだ。達海たちプレイヤーとは違う方向に、ではあるけれど、そう言われても反論できない程度にサッカー漬けになっている。
 ただまあ、仕事をやりかけのままに音量上げてというのは何か違うし、何より椿が気遣って下げてくれているのをぶち壊すのはもっと違う。
(それにしても、椿君がここまでハマってくれるとは思わなかったなあ)
 たまたま持っていたかつての達海の試合のビデオを見せてやって以来、有里はときおり椿に録画テープを貸している。ときおりというのはもうあからさまに違うか。なんせ椿が事務室にいる光景はあまり珍しくなくなっているのだから。
 昔からあまり熱中して見ることも見たこともない、サッカーは自分自身がやるものだという椿が、こうして借りてまで昔の試合を見るのは彼なりに達海のプレーに感じるものがあったかららしい。それは達海のファンである有里にとっては大変喜ばしいことだったし、選手として勉強の一端になるとも思えば、レンタルするのに否やはなかった。とはいえ椿の自宅にデッキがあるわけでもないので、自然、彼はクラブハウスでビデオを見ることになる。そしてクラブハウスで調子のいいビデオデッキがあるのは有里もいる事務室である。
 最初のうちはテレビの音量どころか事務室を使うことさえも遠慮してかちこちになっていた椿だけれど、そこは気にしないのほらさあどうぞ、とぐいぐい引っ張りこんで座らせた。座らせるのにも、肩を押さえつけて実力行使が必要だった。それを繰り返しているうちに諦めたか慣れたかした椿は、スイマセンおじゃましますと頭を下げて事務室を使うようになってくれて、今に至っている。
 前半も終わりに近づいた頃、有里の手元の仕事が片付いた。特に急ぎだったわけでもないけれど、あとこれだけだからと鑑賞会は後回しにして続けていた書類整理だ。
 手早くファイルをしまい、自分の分のマグカップを持って椿の隣へ移動した。いいところに間に合ったわ、というのは何度も何度も試合を見て展開を知っているがゆえに出たつぶやきである。
 ロスタイム突入後に、得点こそならなかったものの、かなりいい形のプレーがある。その中心は達海で、実は有里お気に入りのプレーのひとつだったりするのだ。
 中盤でボールを受けた達海が、一度サイドへ振る。振られた選手はそのままサイドを抜いて、クロスを上げる。その先にいたのが駆け上がっていた達海で、目の前の選手をひとり、くるりとかわして右足を振り抜いた。
 ギリギリのコースを狙ったのだろう達海のシュートは、惜しくもポストに阻まれて明後日の方向へと飛んでいく。
「あー!」
 わかっていても声が出てしまうのは、もはや治しようのないフットボールバカの性分である。
 このとき、有里はため息をつきながらちらりと隣の椿を見た。まっすぐに画面を見ている椿も、小さくだが息をついている。ただそれは有里のように決まらなかったことを惜しむため息ではなくて、詰めていた息を吐き出したような、そんな風情だった。まるで自分がひとプレイ終えた後みたい、とは有里の勝手な感想だが。
 ――そう、椿はよく、ビデオを見ながらこんな顔をする。真剣に、キラキラと、楽しそうに、嬉しそうに。気付いたのは一緒にビデオを見るようになって、だいぶ経ってからのことだけれど。
 明後日へと飛んだボールが看板に勢いよくぶち当たったところで、ホイッスルが鳴った。前半終了。
「あーあ、ほんとに惜しかったのになあ……」
 このセリフだって、もう何度つぶやいたかわからない。
「もうちょっと、左だったら入ってたッスね」
 有里に答えてそう言った椿だけ見れば、ごく普通に観戦していたようにしか思えない。それでも。
「そーなのよ! あーあ、ポールのバカー」
「いやあの、ポールに罪はないと思うッス……」
 ハーフタイムを早送りせず、前半のダイジェストを流したまま話をする。椿は言葉数の多いほうではないし、しゃべるのも得意なキャラではないけれど、こうして話していると不思議と落ち着いて、それが楽しい。なんだろうこれ、アレか、犬とかと戯れてると癒されるやつ。アニマルセラピー?
 口に出せば椿ががっくりとうなだれそうなことを考えながら、有里の思考はふとさっきの椿の表情に飛ぶ。
 ときおりゲーム中に見せる、サッカーしか見えていないようなあの顔。声を上げないのはきっと、集中しきっているからだ。たいてい、横で有里が声を上げれば相槌くらい打ってくれるのが、ああいう顔をしているときはまったくない。
 視線はゲームの展開を追っているが、有里と違って達海一人を見ているわけではないらしい。ひょいひょいとあちこちへ飛ぶのには独特のリズムがあって、それがなんとなくいい形ができるときのリズムに近いから、ゲームを見ながら頭の中で自分もプレーしている感覚なのだろう。本人に確かめたことはないけれど、彼の様子を見ている限りではあながち外れではないと思う。日々イメージトレーニングを欠かさず、またサッカーは見るものじゃなくやるもの、な椿らしい観戦法だ。
 ただそれは、ハーフタイム中の会話と同じく有里を楽しくさせる。それだけのめり込んでくれていると思えばファンとしての仲間意識も出てくるし、選手として集中していると思えばそれはそれで、椿のプレーに期待している有里としては嬉しいことこの上ない。
 アニマルセラピーかどうかはともかく、有里は有里なりに椿とビデオを見る時間を気に入っている。

クラブハウスデート(バッキに全力で否定されます)
[2010.6.21]

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