とりあえず自分から出てくるまで絶対放っておいてくださいと念を押され、一行は箒星へと戻ることになった。
正直なところ、最長1週間(不確定)という足止めを食らった一行はどうすればいいのか分からず、下町で途方に暮れるしかない(ジュディスはちょこちょことバウルと一緒に散歩に出ていたようだけれど)。
それでもまあ、なんとか下町の仕事を手伝うなりなんなりで(リタだけはユーリ並みに宿にひきこもって研究に没頭していた)、それぞれに時間をつぶしていた。
――そして、3日目の夜。
一行は、それぞれ一人一室をあてがわれている。もともと安い宿ではあるけれど、通常一行は男性用と女性用の二部屋しかとらない。けれど箒星だけはめったに客もないからと、おかみさんの好意で一室ずつ与えられている。その中で、エステルの部屋はユーリの部屋の隣だ。
その日、疲れてはいるはずなのに眠れず、エステルはぼんやりと窓の外を眺めていた。月明かりが心地よさそうな、晴れた夜だ。
なんとなくその空気に触れたくて、立ち上がって窓を開けようと、その木枠に手をかけた。そこではっとして止まる。
窓から見下ろした先に、月明かりを弾く金色があった。フレンだ、とはよく見なくともわかる。鎧姿ではなさそうだけれど(光を弾いているのが髪だけだったから)、こんな所を歩いているなんて珍しい。
窓の下を通りすぎたフレンは、すぐに横の角に消えた。同時に、階段がわずかにきしむのが聞こえる。
(もしかして、ユーリを訪ねてきたんでしょうか)
他に、フレンが今ここへ来る理由が思い浮かばない。けれどユーリのあの状況は、フレンももう知っているのに。
よくないとは思いつつも、エステルはそっと壁に近づいた。できるだけ気配を消して、こっそりと。フレンがむざむざ枕の餌食になることはないだろうけれど、だからと言って絶賛他人拒絶中(めんどうくさくて)で幼なじみさえ攻撃するユーリに何の用か、気にせずにはいられない。
「入るよ」
ノックをして開けた瞬間、案の定枕が飛んできた。そんなの昔から知っていたし、何よりそれが見切れないようなフレンではないから、さっと首を横に動かすことでかわし、飛んできた枕を左手でキャッチして投げ返す。部屋の隅の質素なベッドで、うつぶせになっている影に向かって。
影は振り向きもせずにやはり右手で飛んできた枕をたたき落とした。
「……何しに来た」
低く抑揚のない声がつぶやく。くぐもって聞き取りにくいそれを無視して(だってユーリは理由なんてとっくの昔に知ってるはずだ)、フレンは声をかける。
「調子はどう? 相変わらずそうだけど」
「……最悪、よりちょっとマシ」
尋ねれば、存外素直な返事が返ってくる。相変わらず抑揚はない、けれど返事があったことにフレンは薄く微笑む。ほんの少しとはいえ、回復の兆しがある証拠だ。
「そうか。それはよかった」
「よくねえ」
「少しはよくなってるということだろう?」
「悪いもんは悪い」
いつにもましてぶっきらぼうな返答だけれど、それはしかたのないこと。
フレンはそっとベッドに近づく。真っ暗な部屋に溶け込むような黒ずくめ。その傍らにたたき落とされた枕を拾い、黒髪の頭のすぐそばにぽんと乗せた。自分はその場に腰をおろし、ベッドに背を預ける。
「……みんなどうしてる」
黙っていたら、ユーリのほうが口を開く。
ちらりと見やれば、腕の上に少しだけ瞳が見えた。いつもの冴えた輝きはなく、どこか濁って曇った、それでいて針のように鋭い瞳が、フレンをじっと見ている。今の彼には見るということさえ苦痛だろうにと、絶対に彼に触れないように注意しながら手をのばして、そっと視界を遮ってやった。
「心配しなくていい。それぞれに過ごしてるから」
「そっか」
「……君のことは、とりあえず適当にごまかしておいた」
ユーリは何も答えない。フレンは見えていないと知りつつも(だってフレン自身がその手で彼の視界を覆っているのだから!)、表情だけで微笑った。
「一定周期で怠けたがってひきこもるって」
「もうちょっとマシな嘘」
「神経過敏になる持病だなんて言ったらみんな、問答無用で押しかけるよ。レイヴン殿を盾にしてでもね」
彼の目を覆っていた手をどけると、すでにもう瞳は閉ざされていた。意味のなくなった手をわずかにさまよわせ、そっとその髪に触れさせる。頭ではなく、あくまで髪、それも毛先に。なのに瞬間、その体がびくりと震えた。完全に復調するまでにはあと丸二日くらいかかるか、と今までの経験でフレンは見当をつける。一度軌道に乗れば復活は早いのだけれど、そこまでの道のりが長いのだ。
ユーリのひきこもりがただの怠惰などではないのだと、フレンは知っていた。知っていて、わざわざユーリを心配して訪ねてきたエステリーゼたちに嘘をついた。それがユーリ自身の望みであり、また彼に負担をかけないための方法だから。
ユーリは周期的に、突然体調を崩す。まあ突然とはいっても本人いわく少しだけ前兆みたいなものがあるらしいのだけれど、ユーリでないフレンにはそんなことわからない。ただ長い付き合いの中、そろそろ来るんじゃないかなあとは思う。ちなみに今までその読みは外れたことがない。
ユーリの体調不良は、はっきり言えば原因不明。未だにどうしてこんな風になるのかわからない。どこが悪いというわけじゃあないらしく、ただ神経がものすごく過敏になる、のだとか。触れられるのはもちろん、においや音、光なんかにも敏感になって、何もかもつらくなる。つらくなるせいで自分の殻に閉じこもってしまう。もちろん味覚も例外じゃあないから、においと味のダブルパンチな食事などもってのほか。摂れるものと言えば水だけだ。
「……今回帝都に戻ってきたのは、前兆があったから?」
「ああ」
「まあ、旅先でこうなるわけにはいかないもんな」
直接体に触れたわけじゃあない、髪を引っ張るでもなく撫でるでもなく、ただその毛先に触れる、それだけで、いちいち反応して体をこわばらせる。普通の生活さえままならないこんな状態で、旅に耐えられるはずもない。本当のことを話せば、彼の仲間たちもきっと回復するのを何も言わず待ってくれるのだろうけれど、そんなことで心配させるのはユーリが最も嫌うことだ。……まあ正直、そこで強がらずに言えればいいだろうに、とフレンは思う。
「まあ、最長一週間で元に戻るって言ってあるから、よくなるまでは彼らも待ってくれるだろう。ゆっくり休むといい。こんな時でもなければ、君は休もうとしないしね」
「……お前に言われたくない」
病んでいるくせに可愛くないことをいうのに苦笑して、フレンは立ち上がる。立って、でも前に進めなかった。わずかに感じた、手に何かが触れる感触。
「……ユーリ?」
振り向くと、力ない腕がフレンに伸ばされ、白い指先が少しだけフレンの手に触れていた(たぶんその程度の接触が今のユーリには限界なのにちがいない)。
「悪ぃけど、もう少しいてくれ」
「一人で休んだ方が楽じゃないのか?」
僕は様子を見に来ただけなんだけどと首をかしげる。
二人で暮らしていた頃は、この期間だけフレンがおかみさんなりハンクスなりのところへ厄介になってユーリを一人にしてやっていた。ときどき水を差し入れるのと、3日目の夜に様子を見に行く以外は、絶対に近寄らない(ユーリの枕攻撃をあっさりかわせるのはその頃からの積み重ねによる)。それはユーリのためであり、……正直弱ったユーリを見るのがつらいと思う、幼いフレン自身のためでもあった。
その頃から考えても、ユーリが自分からそばにいろなんて言うのは珍しい。小さい頃なんか、問答無用で追い出されてたのに、とフレンは苦笑した。
「まあ、君がいろと言うならいるけどね。甘えてくれるのなんて珍しいし」
「……やっぱいい。帰れ」
「いちいちわがままにつきあってられないな」
再び床に腰を下ろす。するとおずおずと(いつものユーリなら絶対しないようなおとなしさで)フレンの髪にユーリの手が触れた。絡めるでもなく、今度は問答無用にただぎゅっとつかまれ、痛いとつぶやく。
「ユーリ、痛いんだけど」
訴えても返事はない。
そう言えば一回だけ、こんなことがあったなあと思う。ケンカしたまま体調不良期間に突入してしまったとき、3日目の様子見に行ってこんな風に髪をつかまれたことがあった。決してこっちを見ないまま、手だけが伸びてきて髪の毛をわしづかみにして放さない。痛いと言っても放してくれないユーリにまた腹が立ちかけたけれど、それでもすぐに気づいた。おそらくフレンの細く柔らかい髪は本当にぎりぎりで彼が触れても我慢できる範囲で、触れることで離れてしまってる親友がすぐそばにいると感じて安心したいのだと、説明されたわけでもなく気づいてしまった。力の入らないはずの腕にぎゅっと力を込めて、精一杯フレンの髪を握りしめるため、腕がわずかに震えていたから。
「そんなに握らなくてもそばにいるから大丈夫だよ」
豪気なユーリでも、体調がすぐれなければ弱気になる。弱気になれば甘えたくなる。普段どんなに強くたって、結局ユーリも人間でしかない。
そんな姿を知っているのはきっとまだフレンだけなのだろうなと、引っ張られる痛みに苦笑しながらフレンは暗い天井を見つめた。
エステルはそっと壁から離れた。ベッドへ戻り、ぼすんと座る。
やっぱりユーリとフレンの間には他者の立ち入れない絆があるのだと思った。久々に聞いたユーリの声は弱々しくて、聞いているほうがつらくなる。いつだって不敵で諦めないユーリの弱い姿など想像もつかない。でもそんなことより何より、
(やっぱり立ち聞きなんてしなければよかった、です)
ユーリにそんな持病があるなんて。
そりゃあ、ユーリだって人間なのだから病気になることだってあるだろうけれど、いまいちイメージとして結びつかなかった。まあ普段が普段なのだから当然だ、とはいえないのがエステルだ。彼女はそこで自分の至らなさをひたすら思う。
ユーリはあの性格だから、絶対に自分の持病を打ち明けたりなんてしないだろう。今回だって、誰にも言わずに済ませるつもりでいたはずで、きっとエステルたちが騒がなければ、すべてが終わった後で適当にごまかして殴ったり蹴られたりして終わらせるつもりだったに違いない。ああよく寝た、とかなんとか言って。
(ユーリはいつでもそうやってわたしたちに何にも教えてくれないんですね)
ユーリは誰にも何も言わない。進むも戻るも立ち止まるも、何もかも自分ひとりで決めてしまう。フレンはユーリが一人で進んでもそれに寄り添えるくらいに先が読める。下町の住人たちも見守る程度にそれができる。ユーリも、彼らには少しばかり甘えているのか、先読みする隙を与えてくれる。けれど、エステルたちにはそれができない。付き合いの短さだけじゃあない、ユーリは絶対に自分たちには甘えてくれない。最初の頃ほどではないけれど、それでもまだ。
(心配させたくないと思ってくれるのは嬉しいですけど、)
やっぱり淋しいと思ってしまうのは、きっとエステルだけではないはずだ。
でもだからと言ってユーリの望まないことなんてできないわけで、エステルは小さくため息をついた。
ユーリがひきこもってから6日目の朝。
エステルは部屋を出て、階段へと向かう。外付けの廊下と階段は、朝の澄んだ空気を味わえて、実はこれも少しばかり気に入っている。
階段へ向かう途中で、一瞬足を止める。固く閉ざされたユーリの部屋の扉を見るのがもう日課になり始めている。
フレンが言った一週間は、もうすぐ。けれどユーリの様子には何の変化もない。フレンを信じないわけじゃあないし、こんなの誰にも言えないけれど、もしかしてユーリの体調はこれまでのどのときよりも悪いんじゃないだろうかと心配になる。
けれどそこで立ち止まってばかりもいられず、エステルはゆっくりと階段を降りた。後ろ髪をひかれるどころか猛烈に引っ張られる思いで。
1階の扉を前に、エステルはひとつ深呼吸をする。沈みかけた気持ちを浮上させる魔法だ。朝の空気を胸いっぱいに吸い込んで、エステルはよしと胸の前でぐっと手を握る。それから元気よく優雅に(ここがエステルらしい)扉を開けた。
「おはようございま」
す、という最後の音だけが、音にならなかった。
扉を開けた瞬間、広がったのはあたたかないいにおい。そしてそれと同時に、真っ黒な人の姿をしたものが目に飛び込んできた。
「……あ」
「おはよ。相変わらず早いな、エステル」
ここ数日、ずっと見たかった姿がそこにいた。
いつもの通り、強気な笑みを浮かべて、おかみさん特製のサラダをテーブルに置いたりなんてしながら。
「ゆっ」
「ん?」
軽く首を傾げた彼を思いっきり指さして、エステルは叫んだ。
「ユーリが出てきてますーっ!」
その瞬間、2階でどたんだのばたんだのだだだっだの、あらゆる騒音がけたたましく鳴り響く。近所迷惑レベルで。
あいつらうるさいなーとか呆れたようにつぶやいてから、ユーリはじっとエステルを見た。
「……で、なんだよエステル、その出てきてますってのは」
「えっ、いえあのまさか下にいるなんて思ってなくて」
「んだよ、目が覚めたから起きたんだけど」
んーっとユーリが伸びをしたところへ、やっぱりけたたましい音(近所迷惑レベル)でダッシュしてきたカロルやリタが飛び込んでくる。
「あああああっ、ユーリだー!」
「あんたいったい今まで何してたのよっ!?」
飛び込んでくるなり叫びだす二人の後ろから、遅れてジュディスとレイヴンも顔を出す。
「あらま、青年出てきたのねえほんとに」
「本当。ずいぶんとゆっくりお休みだったものね?」
「はは、悪い。なんか寝過ごしちまったみたいでな」
「……寝過ごすぅ?」
その途端、ゆらりとリタが揺れた。カロルも急に剣呑な光を目に宿らせ、ジュディスといえば口もとはいつもと変わらず笑っているくせに目がちっとも笑ってない。
「あんた、散々あたしらに気を揉ませといて、言うに事欠いて寝過ごした?」
「ユーリ、ひどいや……ボク、ユーリはそういうやつじゃないって信じてたのに」
「まあ。大変ね、首領の信頼を裏切ってしまったわよ、ユーリ?」
ジュディスの両手がバキボキとすさまじい音を立てて鳴らされる。
「あーあ、青年てばついてないわねー、朝っぱらから。ま、おっさんも乗っかる気満々なんだけど?」
「……えーと、そりゃああれか? 呪いの森再来とかか?」
顔をひきつらせるユーリを、4つの影(朝なのに!)がぐるりと囲んだ。じりじりと朝食がいいにおいを立てるテーブルから離れながら、ユーリを壁際へと追い詰めていく。
「だいたい、寝てたって言うならアレはなんだったのよ。ドア開けるなり枕やら本やら飛ばしてくるアレは!」
「あ、俺ときどき寝てるときに物投げたりするクセがあるってフレンに苦情言われたことが」
「あんなタイミングでピンポイントに投げるくせに寝相で片づけるわけ!? ……あっそう。まあいいわ。どっちにしたってあんなピンポイントで悪い寝相とかめっちゃくちゃ義に反してるわね。制裁には十分よ」
「は!? おいリタなんだその理屈! だいたいお前、ギルドのメンバーじゃないだろ!」
じり、とさらに輪が狭まる。
「ちょっ、お前ら」
「問答無用!」
悲鳴こそ上がらなかったけれど、とりあえず朝の食堂には似合わない乱闘騒ぎの音が響き渡った。
エステルは壁際でぐったりしているユーリ(なんかもうボロッとしてる)にそっと近づいた。影が落ちて気づいたのか、ユーリ(ボロッとしてる)が顔を上げる。
「……あー、どした、エステル」
その場にちょこんとしゃがむと、エステルは少しだけ考える。ボロッとしてるのは早く治してあげたいし、何よりユーリにだって事情があったのだとエステルはもう知ってしまっている。心なしか、やつれた顔がいたましい。5日間水しか口にしない(それだってきっと最低限にとどめているはずの)ような生活じゃ、当然と言えば当然だった。
けれど、それを知っているのだと誰にも悟られてはいけない。黙っていて教えてくれないユーリにもちょっとだけむかむかする(その辺は彼をボロッとさせたみんなの気持ちがよーくわかる)。だから、
「ていっ」
ぺし。
華奢なその手で、ユーリの額にチョップしてみた。彼の目がきょとんと瞬く。
「みんなに心配かけた分、です!」
「……そ、そか」
チョップが当たったあたりを手で押さえる(さっぱり痛くなんかないだろうに)ユーリに、治癒術を施す。さすがにいつまでもボロッとしてるのはかわいそうだし、傷ついたものを放っておけないエステルにはやっぱりユーリも放っておけないのであって。
「おー、ありがとな」
ぐるぐると腕を回したりしながら、ユーリが身も軽く立ち上がろうとする。そのとき、彼の顔がエステルに近づいて、
「……サンキュ」
ぼそりと耳元でつぶやいた。瞬いて振り向くと、口元が嬉しそうに笑っている。けれど同時に、真っ直ぐに前を見ている視線が少しだけ申し訳なさそうに見えるのは気のせいだろうか。
黙っててくれたろ、とは本当に小声で、絶対にエステルにしか聞こえなかったはずだ。
「ユーリ、もしかして」
気づいてたんですか、とは言えなかった。言うより先に、立ち上がってしまったユーリはさっさと仲間たちの方へ戻ってしまい、さあ飯にすっかなんてカロルの髪をぐしゃぐしゃとかきまわしている。
気づいて当たり前だったのだろうな、と今さらながら思う。わずかな音にも敏感になっているのなら、隣の部屋で息を殺していたエステルにだって気づくだろう。やっぱり聞くべきじゃなかった、とため息が出そうだった。
でもきっとそうやってエステルが自分を責めることはユーリの望むことではなくて、知った上で知らないふりをしたエステルに感謝をしてくれている。それなら。
「エステルも早くおいでよ!」
呼ぶカロルにはあいと立ち上がって、エステルはいつものように微笑んだ。
とりあえず、ただどういたしましてと言って、こうやっていつものようにただ微笑っていればいい。本当にもうなんともなさそうだし、とは横目にユーリを見てちょっと思った。
絵茶宿題"ひきこもりユーリ"の続き
前編のギャグがどこへやら、シリアスになっちゃった!
ええとこんな感じになっちゃったんですが、夏野さまとさとうさまに捧げます…
[2008.12.14]