天岩戸が開くまで(前編)

 ユーリの下宿先である"箒星"はごく普通の宿であり、その1階は食堂兼酒場になっている。けれど"凛々の明星"一行にとってはむしろユーリの家という意味のほうが強くて、おかげさまで普通以上に親しみを持っていた。だからというわけでもないけれど、一行が帝都を訪れた際にはここで厄介になるのがお決まりになっている(なぜだかエステルまで一緒に)。なんせおかみさんは幼いころから知っているユーリをいまだに可愛がっているし、そのユーリの仲間だからと一行のことも快く迎え入れてくれるから、居心地がいいのだ。
 そんなわけで今回もまた帝都に立ち寄った一行は、一晩"箒星"で世話になって、今はちょうど朝食を開店前の食堂でとっているところだった。ユーリの絶品料理に慣れた一行でも、おかみさんの手料理は帝都を訪れる楽しみにするくらいのお気に入りだ。

「本当におかみさんのごはんは美味しいです……!」

 エステルが歓喜のあまりに恍惚として感想を述べた。美味しいものなら城で食べ慣れていただろうに、エステルはユーリやおかみさんの家庭料理を喜ぶ。彼女にしてみれば、一流の料理人が丹精込めてつくってくれたものももちろん美味しいけれど、何より愛情のこもった手料理は格別なのだから当然のこと。けれどおかみさんはそんな貴族のお嬢さんが美味しい美味しいと連発してくれるのが嬉しくも珍しいらしく、少しばかり照れた顔をしていた。
 そんなおかみさんを見ながら、レイヴンもうなずく。

「青年が料理得意になったのは、近くにこういう師匠がいたからだねー。いやー、美味い」
「あはは、ありがとうね。まだまだあるから、たくさん食べなよ!」
「ええ。遠慮せずにいただくわ」
「おっさんは歳なんだから控えめにしなさいよ」
「えっ、ちょっとリタっち酷ッ!」

 約一名に冷たいながらも、まあそんな感じで朝食は概ね和やかに進んでいった。
 ……大慌てのカロルが飛び込んでくるまでは。

「大変だよみんなぁ!!」

 カロルの顔を見た瞬間、リタがげっと呻いた。

「うわ何なのよそのきったない顔」

 カロルの顔は泣いたせいで真っ赤で、あげく涙と鼻水でぐっしょぐしょになっていた。そこへリタのとどめが入って、ひどいよーとますます歪めるカロルに、エステルは拭くもの(慌てたせいでつかんだのがテーブル雑巾だった)を持って駆け寄る。泣きじゃくる顔(涙と鼻水でぐしょぐしょ)を拭ってやりながら、エステルは落ち着いてとまだ小さな背中をさすってやった。

「どうしたんです? カロル」
「少年、青年起こしに行ったんじゃなかった?」
「そ、そうだよう!」
「あら、でも彼の姿が見えないようだけれど」

 ジュディスが周囲を見渡す。室内はもちろん、カロルが開けっ放しにしたドアの付近にも誰もいない。ただでさえ、あの黒髪黒ずくめは昼間にあってはひどく目立つというのに。
 そもそも、ユーリがこんなに起きてこないというのも珍しい。なんだかんだとユーリはやっぱりしっかり者だった。先に起きていつだってみんなが起きてくるのを待っている。だからこそ様子がおかしいと、カロルを起こしに行かせたのだけれど、さすがにこんな態で戻ってくるとは思わなかった。
 ちょうどそこへ、ラピードがのそりとやってきた。音もなく歩いてくると、くあ、とあくびをしてリタの足元にうずくまる。思わずそれに集中した視線が、カロルの叫びで再び彼の方へと戻された。

「ユーリが部屋から出てこないんだよー!」

 その瞬間、全員の目が点になった。あらあらと口もとに手をあてたジュディスとしっぽを揺らしたラピードを除いて。

 だからといって、全員で部屋の前に押し掛けるのもどうかと、正直リタなんかは思ったりもするのだけれど。

「出てこないだなんて、ユーリどうしたんでしょう……」

 エステル(小声)が心底心配そうにドアを見つめる。それは今この場にいる全員の心中でもあり、押し掛けた理由でもあった。エステルほどではないにしろ、らしくないユーリの行動はそれぞれに気にかかるわけで(だってあのじっとしてられないユーリが部屋から出てこないだなんて!)、自分だけ階下で待っているなどという選択肢はありえない。
 リタ(小声)が胡散臭そうにカロルを見た。

「具合が悪いとかじゃないの? あいつだって人間なんだし、ほっとけばいつまでもそういうこと隠しとくやつだしね」
「それならそれであんなにびっくりしないよ……ちょっとは慌てると思うけど」
「そうね。ユーリのことだから、よほどのことじゃない限りは、それほど心配しなくても大丈夫だとは思うけれど。でも、気にはなるわね」
「……あーもう! とにかく引っ張り出せばわかるわけでしょ!」

 言うなり、リタがドアノブに手をかける。あっとカロルが声を上げるけれど、それが制止に続く間もなくドアがあっさりと開かれる。カギはかかっていなかった。

「何よ、開くんじゃな――」
「危ない、リタ!」

 拍子ぬけするのとほぼ同時に、カロルが横からリタにタックルする。華奢なリタには12歳の少年を受け止めることなど出来るわけもないから、うきゃあと悲鳴を上げながら横倒しに倒れることになった。さらにその顔の横をびゅんと何かが通り抜けて、そっちにまたびっくりしてひやっと再び悲鳴が上がる。後ろでばすっという柔らかい割に痛そうな音と、げふっという苦しそうな声が上がったけれど、リタにはそんなものどうでもよかった(声の主がレイヴンだったせいもある)。

「何すんのよバカ!」

 何より頭に来て、すぱんとカロルの頭をひっぱたくと、

「だ、だって危ないと思ったから……!」

 言って、カロルが指す方を見る。
 指されたのはレイヴンだ(まあどうでもいい)。げほげほと座り込んでむせているそのすぐそばに、真っ白なものがぽてりと落ちている。触って確かめるまでもない。

「ま、枕、です」
「枕も高速で飛べば凶器になるのね」

 恐ろしく真剣な顔で枕を拾うエステル(小声)の横で、ジュディスが楽しそうにつぶやいた。
 リタの顔の横を通り抜けたのはこの枕であることは間違いない。まあ要は、リタの顔に当たるはずだったそれが、彼女がカロルによって強制的に避けさせられたがために、その後ろに立っていたレイヴンの喉を直撃した悲劇(本人的)ということだろう。そりゃ不意打ちで枕が喉を直撃すれば苦しい、のだろうけれど。

「そんなのどうだっていいのよ! なんであいつの部屋から枕が飛んでくんのよ!」
「……ええと、攻撃、でしょうか」
「あたしを!?」

 考えこんでしまったエステルの代わりに、カロル(小声)が深く深くため息をついた。

「リタをじゃなくて、僕もだよ。さっき顔面で受けちゃった」
「だから、カロルはリタを助けられたのね」

 ジュディスはいつの間にか閉まっていたドアを見つめ、

「……攻撃、というよりは拒絶という感じだったわ。あまり言いたくない言葉だけれど」

 言いながら、そこで少しだけ言葉に詰まる。そんな彼女に3人の視線が集中した。それを感じた彼女が、滑らかな肩を小さくすくめた。

「らしくない、わね」
「閉じこもってる段階でじゅうぶんあいつらしくないわよ。普段はほっといたってあっちこっちふらふらしてるくせして」
「……やっぱり、心配です」

 エステル(まだ小声)がぽつりとつぶやいた。ユーリはすぐに無理をして抱え込んで何にも言ってくれないんですから、なんてぼそぼそつぶやいているのが聞こえる。そしておもむろにドアの前に立つと、止める間もなくドアを開けた。……素早さがウリのジュディスですら反応できないほどの速さで。

「うえええちょっとエステルー!?」
「ユーリ、どこか悪いんですか!? 悪いのなら内緒にしないで言ってくださ」

 カロルの悲鳴をよそに、半ば叫ぶように言ったエステル(遠慮なし)が、最後まで言わせてもらえずに、気配を察知したジュディスの手で横手へ引っ張られていった。きゃあなんて可愛い悲鳴が上がる。それと同時に何かがまたびゅんと通り抜け、やっと復活してきたところだったレイヴンの顔面を直撃。めきょ、みたいな音がした気がする。そしてどさどさっと重たいものが倒れる音、と落ちる音。

「うわあレイヴンに命中したぁー!」
「ご、ごめんなさい! レイヴン、お願いですしっかりしてください!」

 揃って、完全に失神したレイヴンに駆け寄るカロルと治癒術を唱え始めるエステル。二人を見ながら、ジュディスがあらと微笑んだ。

「今度は本ね」

 レイヴンを直撃したきり、床に落ちていたのはわりと装丁のしっかりした厚めの本。ユーリの部屋には似合わないので(なんせ自分から本なんて読まん要らん無理!というユーリなのだから)、あの幼なじみあたりの持ち物なのかもしれない。

「拒絶にしたって限度があるわよ! なんでエステルまで狙うわけ!?」

 リタが今にも魔術をぶっ放しそうな勢いで叫んだ。彼女はエステルにはとことん甘い。
 とはいえ、リタの言葉もまあもっともではあった。ユーリはなんだかんだと言いながらも、厳しいくせして甘いところがあって、それはことエステルに対して盛大に発揮されていた。おそらくは彼女の純粋さが庇護欲をかきたてるのだろう、とはメンバー(当人たちを除く)全員の一致したところである。
 そのエステルを、ユーリが攻撃。それが衝撃でなくてなんなのか。

「……少なくとも、ここで考えてわかることではなさそうね」

 扉を再び閉めながらジュディスがつぶやく。

「わたしは2,3日様子を見てもいい気がするけれど。きっとみんな放ってはおけないのでしょうね」
「特にエステルはね。さっきのだって、ユーリもユーリだけどエステルだって無茶もいいとこだわ」
「じゃあ、専門家に話を聞きに行ってみましょうか」
「専門家? ……ああ、あいつ。帝都にいるといいけどね」

 騒ぐカロルとエステルを眺め(まだ意識が戻らないらしい。まああんな凶器が直撃すれば脳震盪も起こすだろうに)、リタとジュディスは同時に同じ人物のことを考えていた。

「ユーリがひきこもった?」

 ええ、と婉然と微笑んだジュディスの前で、彼はあー、と困ったような顔をした。
 ジュディスいわく、"専門家"――たまたま(エステルたちにとって)タイミングよく帝都に戻っていたフレンは、この世の終わりと言わんばかりに不安そうなエステルと、完全に落ち込んでいるカロルを見て、少しだけ笑った

「気にしなくても、すぐ元のユーリに戻りますよ」

 瞬時に顔を輝かせた二人に、ただ、とフレンは苦笑する。

「数日は近づかない方がいいと思いますけど」

 その視線がレイヴン(顔のど真ん中に、長方形のきれいなあざっていうか痕がくっきりしっかり)に投げられる。それからゆっくりと戻ってきた目が気まずそうに伏せられていた。

「……レイヴン殿の二の舞になりますから」
「ちょっ、そんな憐れむみたいな言い方しないでちょうだいよ! だいたいおっさん被害者なんだから!」
「被害者ならおとなしく憐れまれなさいよ。うすら寒いおっさんなんか憐れんでくれんの、フレンだけよ」
「リタっち酷いー……」

 不満そうなレイヴンは放っておいて(この辺彼女は容赦がない)、リタはそんなことよりとフレンにずずいと詰め寄る。

「近寄ったらどうなるのかなんてもうわかったからいいの。あたしたちはなんであいつがひきこもっちゃったのかが知りたいのよ。あんたなら理由知ってるでしょ」
「そりゃあ、まあ。でもたいしたことじゃ」
「教えて」

 さらにずずいと近づく。リタが小柄なために顔が近いということには決してならなかったけれど、その周りに漂うオーラが異様な雰囲気を醸していて、仮にも騎士団の要職に就くフレンが圧されて一歩後ずさった。カロルとレイヴンがそれに慄いたりしたけれど、当のリタはそんなものお構いなしだ。
 フレンはにこやかに(でもちょっとだけ頬がひきつっているように見えた)、ゆっくりと口を開いた。

「単純に怠け者になっているだけだよ」

 一瞬あっけにとられたはずのリタが、うつむいて呪文を唱え始めた。

「きゃああリタここで魔術はだめですー!」
「リタ! だめだってばリタ! そもそもフレンが悪いわけじゃないってば!」
「そうね、吹き飛ばすならユーリでしょうね」
「いやあのジュディスちゃん、それ青年への死刑宣告になっちゃうから」

 逆にあっけにとられるフレンの前で、エステルとカロルがなんとかリタを止める。そもそも止めようとしなかったジュディスはにこにことやり取りを見つめるだけ、レイヴンはとばっちりを恐れてかあまり話に入ってこない。

「あの、フレン。リタが怒っちゃいますから冗談は……」
「冗談じゃありませんよ、エステリーゼ様。……普段動きすぎる反動とでも言うんでしょうか」

 フレンはどこか遠い目をして、

「ユーリは一定周期で、どうにもならないような怠け者になるんです。1週間も経たないうちに元に戻るんですけど、戻るまではテコでも動かない」
「う、動かないってあんた」
「言葉通りにとってもらっていい。それに干渉するだけ、怠け者期間も延びる。本当に放っておくのが一番だ。それに干渉したところで」

 フレンの視線がレイヴン(顔のど真ん中に、長方形のきれいなあざっていうか痕がくっきりしっかり)へと向かい、それに導かれるように見られた本人以外の視線も動く。一瞬止まって、それからまたもとの位置へ。

「……あんな感じだから。それにユーリは相手を選んでいるわけじゃない。気配を感じてオートで物を投げてる。僕でも近寄れば投げつけられるし、それはラピードでも同じことだ。彼の場所を侵そうとする者には容赦がないから。ついでに言えば、確認するのもめんどうだから誰に投げたのかも意識してない」
「それはまた筋金入りね」
「でも確かにそれだと骨折り損のくたびれもうけだね。だってどうやったって今のユーリには近づいたら」

 カロルの視線がレイヴン(顔のど真ん中に、長方形のきれいなあざっていうか痕がくっきりしっかり)へと再び向かう。導かれて本人以外の視線も動き、一瞬止まってからやっぱりまたもとの位置へ戻った。

「……ああなっちゃうわけだし。ボクも枕攻撃痛かった」
「骨折り損なんて、お子さまの割にはいいこと言うじゃない。至る経緯がバカっぽいけど」
「バカにすんない! ボクだってそのくらいわかるもん」
「あの、二人とも? レイヴンがすすり泣いてますからそのくらいに……」

 エステルはとりあえず、二人に話しかけてみた。まあ、エステルが控えめに止めたくらいじゃあ、リタとカロルが止まるわけもないのだけれど。それでも、止めずにはいられない。
 だから気づかなかった。フレンが、少しだけその笑顔に苦いものと悲しげなものを混ぜ込ませていたことに。

先日の絵茶での宿題いっこめ、"ひきこもりユーリ"
書いてたらめっさ長くなったのでわけてみます
前半ちょっとギャグっぽく
[2008.12.14]

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