タイムマシン199X (3)

 どのくらいボールを蹴っていたのか、はっきりとしない。
 ただその中で、達海が「やっぱりフットボールって楽しいよな」と見たことのない無邪気な笑みを浮かべたのが、ひどく印象に残った。
 ――夢から覚めても、消えないくらいに。

 次におい椿、と聞こえた声は、いくぶん呆れを含んで、――そしてひどく耳になじんだ。
「つーばーきー」
「……へ」
 目を開ければ、達海に見下ろされていた。
「起きた?」
「……達海さん?」
 うん、とうなずいた達海は、プレーヤー用のジャージではなく、いつもの、Tシャツにジャケットといういでたちだった。
 いつも、の。
「……っうわあああ!」
「うわっ、何いきなり」
「かっ、かかか監督っ」
 否定の言葉はない。そりゃそうだ、今の達海は監督で、選手じゃない。これは現実だ。覚醒し始めた頭は、夢との違いやらなんで自分はこんなところにいるのかわからないとか、とにかくあれやこれやで混乱しっぱなしである。その混乱の大部分が達海の存在によっているのは、椿が椿たる所以として仕方のないところであるけれど。
「そんだけ慌てるってことは、自分がやってたことに対する自覚アリと思っていい?」
「えっ、あ、えと」
 あわあわと手を動かすと、達海がため息をついた。呆れられている。
「お前さー、仮にもプロでしょ。こんなとこで寝て身体冷やしてどーすんの」
 言われて初めて気がつく。椿がいるのはETUの練習用グラウンドだった。見下ろされているのも当然、ゴールポストに背を預けて座っていて、達海は目の前に立っている。
 なんでこんなとこで俺、混乱しきりの椿の頭をくしゃりとやって、達海は持っていたボールをその手の中に落とす。
「身体大事にすんのも仕事。ほれ、さっさと片付けて帰れ」
「あ、す、スイマセン!」
 慌てて立ち上がり、ボールを片付けに走る。
 その後からゆっくりと達海がついてきて、椿はまだ何かしたっけと少しばかりびくびくしながら振り向くと、達海がところでさあ、と言った。
「お前が俺の名前呼ぶとか珍しいね」
「え?」
 言われて一瞬考え、途端、脳みそが沸騰した。目覚めて一発目、夢現の椿は現実の達海を達海さん、と確かに呼んだ。達海さん。いつも監督としか呼んでないのに、名前で。
「あっ、あああああスイマセン! いや、ああああの俺寝ぼけて」
「別に怒ってないし気にしてもないよ」
 慌てるどころか盛大にキョドってしまった椿を制する達海はいつも通りの顔だ。とはいえもとから何を考えてるんだかさっぱり読めない男だ、言葉がどこまで本心なのかつかみきれない。
「ちょっと珍しいと思っただけだし。つか寝ぼけて俺の名前って、何お前、俺の夢でも見てたの」
 余計なことを言ってしまった、と思ったのはいまさらだった。慌てていたとはいえ、もう少しうまく言えなかったのかと思わざるを得ない。
 若い頃の監督と夢の中でボール蹴ってました、なんて絶対に言えない。頭わいてると思われる。
「え、えーと、その、ボール蹴ってて、それで」
「夢ん中でもボール蹴ってたのお前」
「ウ、ウス」
「お前も大概フットボールバカだね」
 まあいいことだけど、と付け加える達海は、どことなく嬉しそうに見えた。本当にこの人サッカーが好きなんだな、なんて思ったら、少しばかり落ち着いた。
 ボールを片付け、クラブハウスの玄関までの短い距離を、つかず離れず、二人で歩く。
「で、楽しかった?」
 突然達海がそんなことを言って、椿はきょとんとする。何が、と少し考えて、さっきの話の続きだと気付いた。
「ウス。……楽しかった、ッス」
 目を閉じれば思い出せる。これほどまでに夢の中身を覚えていることも珍しい。椿はわりと、夢を見ても目を覚ませばすぱりと忘れる性質だ。だというのに、今回の夢は強く強く、記憶に焼き付いている。
 楽しそうにボールを蹴り、操り、放つ姿。ビデオで初めて見たときには思ったけれど、人のプレーに魅了されたのは初めてで、俺もこんなふうに、と思ったのも初めてだった。……そしてそんな達海とするサッカーはとてもとても、楽しかった。
 知らず、口もとが緩んで口角が上がる。目尻が下がり、胸の奥が暖かくなった。とくんとくん、穏やかな自身の鼓動が心地よく響く。思い出すだけでもこんなに幸せになれる。
 達海がふうん、とつぶやいた。視線を向けた先で、いつもの笑みを浮かべている。
「よかったな」
「はい」
 答え、それから達海に見えないようにそっと顔を伏せる。本当は、楽しいだけで話は終わらない。幸せな夢を思い返し、湧き上がるのは喜びと幸せばかりではなかった。ちりりと走った胸の奥の痛みもまた確かで、無視などできない。
 あんなに楽しくサッカーをしていたこの人と、現実で、一緒にピッチを駆けることはできない。魅せられたからこそそれが悔しい。何に? 達海猛のプレーと、彼とともにプレーをする喜びにだ。
 どんなに焦がれても、永遠に夢物語でしかないのはわかっている。それでもどうしてと思ってしまうのが人間で、椿もご多分に漏れず、できたらよかったのにと詮ないことと知りつつも考えてしまうのだ。
 どうした、と声をかけられて、椿ははっと我に返る。思ったよりも考え込んでいたらしく、無意識に動かしていた足はいつの間にかクラブハウスの玄関前に着いていた。
 怪訝そうな達海に、なんでもないですと言ったら特に追及されることもなく、身体大事にしろよとだけ言われて終わる。肩越しに振られた手を最後に、そのままそこで別れた。クラブハウス内へ消える達海を見送って、止めていた足を再び動かす。
(夢でも一緒にやれただけいいかな。それに、見るだけならできるし)
 自宅に着く前に少しでも沈みがちな気分を上向かせようと、胸の内でつぶやいた。
 一緒にプレーできないならせめて、そのプレーが見たい。そう思うのが自然なのか、椿にはよくわからない。ただとりあえず、明日は練習後に有里に頼んでビデオを借りようと思った。

タッツとサッカーするバッキがかきたかったんです
夢オチかファンタジーかはご想像におまかせ
[2010.6.6]

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