夢の中で、ああこれ夢なんだな、とわかることがあるらしい。
らしいというのは椿自身にそういう経験がないからなのだけれど。……いや、そこは
もうなかったから、というべきか。
そうでなきゃ、今この状況をどうやって説明したらいいのか、さっぱりわからない。
呆然と前を行く背中を見つめて、椿は少しばかり途方に暮れた。
おーい、だいじょぶー、いきてるかー。
声をかけられ、はたと気づけばすぐ目の前に人がいる、というシチュエーション。いきなりそこからスタートで、驚かないはずもない。
「うわぁ!!」
「おっ、起きた」
驚きすぎて後ろにひっくり返りそうになった椿の前で、驚く原因になった人間はのんきにつぶやいた。その声になんだか聞き覚えがあるような気がして、椿はおそるおそる顔を上げた。
「……か、監督っ!」
目の前に立っていたのは、椿もよく知る、というより知らないはずのない、達海猛である。じっと見下ろしてくるその姿形に椿の無意識はなんとなく違和感を覚えたけれど、驚くので精いっぱいの椿に、自分のそんな無意識に気づける余裕があるはずもない。
だから、監督と呼ばれた達海が首をかしげて、
「えーと、寝ぼけてんの?」
言われて頭がさらにパニックを起こす。
えっだってどう見たって監督なのに、とは声にならずにただ口をパクパクさせるだけ。
けれどふと気付く。
(監督、なんでプレーヤーのジャージ着てるんだろ)
ここでやっと違和感に気付いた。プレーヤーのジャージを着ている達海は、全体的にいつもと何か違う。なんていうか、そう、――いつもより近い。
「え、えと」
混乱しっぱなしの頭で、なんとか言葉をひねり出す。
「あの、スイマセン。……達海さん、ですよね。ETUの、7番の」
達海のことは監督としか呼んだことがない。そもそも監督と選手として出会うまでその存在をほとんど知らなかった椿である。言い慣れない名前を口にして、その違和感で心臓がよけいにばくばくと音を立てる。
けれど達海はそんな椿の心の中なんて知る由もない。
「うん」
あっさりうなずく。もちろんそれが椿をさらに混乱に落とし込むなんてそれこそ知る由もなく。
椿は頭をでかい鉄の塊でぶんなぐられたような気分に陥っていた。さらに混乱なんて、生易しいものじゃない。大恐慌だ。世界恐慌レベルだ。
(ETUの7番でうんてことは、選手ってことだし! なんで現役!? 俺ビデオでしか見たことないのに!)
夢に見るなんて、どんだけビデオで見たものに想像をつけ足したのか。自分にあったらしい無駄に豊かな想像力が恥ずかしくなる。穴掘りたい。埋まりたい。今すぐ埋まりたい。ほんとマジで。つーかもうどっかその辺に穴とかあいてませんか人ひとり埋まれるくらいのやつ。
「おーい、だいじょぶかー」
心配されるのは本日二度目である。
顔を上げると、いつも通りの飄々とした顔で達海がこちらを見ていた。そういえば顔もちょっと若い気がする。いやそもそも35歳という年齢を考えればもともと十分若いのだけれど。でもそういうのとは違う。やっぱり近いというのが一番しっくりくる。"近い"のだ。誰に? ――椿自身に。
そこでふと思った。もしかしてこの達海は35歳で現役やってるとかいう椿の想像上の達海じゃなく、もしかして、いやもしかしなくても、
(うわあああそれこそ大丈夫なのか俺の頭ー!)
ある意味恐ろしい可能性が浮かびそうになって、椿は真剣に頭を抱えた。もういいです、たらればのパラレルワールドだと思っておきます。それが一番優しい。主に心臓に。
「見たことない顔だけど、フットボール好きなの?」
「……え?」
とりあえず椿の慌てる様子を見ているんだかいないんだか、よくわからない達海はマイペースにそんな質問を投げてくる。
「何キョドってんのか知んないけど」
前言撤回。慌ててるのは伝わってた。
「俺のこと、ETUの7番て言ったろ」
思わずきょとんとして達海を見る。椿にしてみれば、ETUの7番を背負っていた達海しか見たことない(有里の持ってくるビデオはETUの試合ばかりだった)のだから、現役の達海に対するイメージはそれしかないのだけれど。
「そんなにフットボールに興味ないやつだとさ、代表のイメージのほうが強いっぽいんだよねー。俺」
言われて、そういえばだいぶ前に清川がそんなことを言っていたのを思い出す。短い間だったけど、日本代表のゲームメーカーだったとかなんとか、そんな話をしていたような。
「だからフットボール好きなのかなーって」
「……は、はい。あの、好きです。ただ、その」
「ん?」
「見るのより、やるほうが、好きなんですけど」
言った瞬間、達海の目が光った。少なくともそう見えた。椿には。
「フットボールやんの好きなの?」
「え、えと。はい」
「ふーん、そっかー、フットボールすんのかー」
達海が笑う。ニヒー、というそれは椿も見慣れたものだ。この笑い方、昔から変わらないらしい。そこになんとなく感じる嫌な予感。
「えーと、名前は?」
「え」
「名前ー。お前の」
「あ、つ、椿です」
「おっけ。んじゃ椿」
「は、はい」
「今ヒマ?」
「ひ、ヒマっていうか」
眠って夢見てる最中です、なんて言えるわけもない。
「ヒマならさ、ちょっと付き合って」
「付き合う、って、何にですか?」
また達海がニヒー、と笑った。やっぱり嫌な予感がした。
ちょっとつづきます
[2010.6.4]