物語のように、物語よりもつくられた物語

 出会ってすぐに一目ぼれ、なんてことはありませんでしたけど、わたしはフレンに恋をしました。……恋をしたというより、憧れたという方が正しいでしょうか。フレンは姿かたちだけではなくて、心の中まで物語に出てくる騎士のような、本当に素敵なひとでした。優しい彼にはわたしも心を開くことができましたし、彼もまたわたしには心を開いてくれましたから、二人でいろいろな話をしたものです。
 その話が積み重なっていく中で、わたしは憧ればかりの恋が失恋に終わるのを感じていました。フレンがしてくれる話は主に彼が幼い頃から騎士団に入るまで過ごした下町のことで、その下町の話をする時には必ず出てくる名前があったのです。
 "ユーリ"という女性の名前でした。男性の名前だけれど正真正銘女性なのだと、一番最初にフレンは教えてくれました。その女性はずっと支え合って生きてきた幼なじみで親友だと、いつも楽しそうに心配そうに、そして隠せないほど幸せそうに、話してくれたものです。
 その時のフレンを見るたびに、わたしはかなわない恋なのだと知らされていったのです。彼は自分でも気づかないまま、心からその女性を愛していました。気づかないのは本人ばかり、……少なくとも、わたしはすぐに気がつきました。話すときの、いとおしいと言わんばかりの優しい目は、侍女たちが恋人の話をするときのそれとよく似ていましたから。
 初恋が終わると同時に、わたしは少しだけ興味を持ちました。こんなにも優しいフレンが、愛してやまないユーリという女性。彼女はいったいどんなひとなのだろう。一度でいい、会ってみたい。
 けれど、立場と地位にがんじがらめにされていたわたしには、それは到底かなわない望みでした。城から出るどころか、自由に城内を歩くことすらままならないわたしに、一時は所属した騎士団をすでに辞めて下町で暮らすという彼女に会うなんてことはできなかったのです。
 ……そのはずだったのに、運命というのはおもしろいものですね。

 ひょんなことから、わたしは彼女に出会うことができました。
 わたしはフレンに会うため、騎士たちから逃げている最中。彼女はこっそりと脱獄する最中のことでした。出会った瞬間、本当に驚いたんです。そのときはまだ彼女が"ユーリ"なのだとは知らなかったのですが、とてもきれいな女性だったから、思わず。わたしを追っていた騎士たちも、一瞬目を奪われたほどです。長く美しい黒髪に、ぱっちりとした黒目がちな瞳、薄い唇、真っ白な肌。凛とした声も相まって、黒衣をまとった姿はまるで女神さまのようにも思えました。それでいて騎士たちをあっさりと叩き伏せていくのですからそれはもう驚いたものでしたし、その直後に脱獄と聞いてますます驚きましたけど、まあそれはいいんです。少し話をするうちに、そんなものでその本質が損なわれるような女性ではないのだとすぐにわかりましたから。
 ユーリはフレンの言う通りの女性でした。嫉妬など感じません。優しくて強くて、フレンがあれほどまでに想うのもうなずける、美しい女性。わたしが彼女に憧れ、懐くのに時間はかかりませんでした。

 ユーリはあまり自分の本心を表に出しませんでした。けれど、ときどき――それこそわたしが先を歩いて、彼女の顔を見ることができないような時なんて、ふと考えていることが顔に出ていることがありました。どうしてそれを知っているのかって? それは、本当に気付かれないようそっとそっと、後ろを窺ったりしたからですよ。どうしても知りたいことがありましたから。
 彼女がフレンをどう思っているのか。わたしの次の興味はそれでした。できることなら、一度は憧れたフレンの想いがかなったらいい、そう思っていましたし、ユーリは本当に自分の真意を人に悟らせないよう隠すのがうまかったから、どうしても知りたくなったのです。
 けれどそれはすぐに知れました。彼女もまた、フレンのことが好きでした。きっと誰よりも誰よりも、フレンのことを想っていました。気づいたのはハルルに着いた頃です。ふふ、早いですか? だって、村長さんからフレンがハルルで人々のために剣を取ったと聞いて、心から嬉しそうに微笑んだユーリを、わたしはそっと見ていたんです。おそらく、ユーリは見られたことになんて気づいていなかったでしょう。それはいつも皮肉ばかりで素直な気持ちを口にしないユーリの、珍しい素顔でした。
 わたしも嬉しくなりました。大好きなふたりがまだ知らないとはいえ、互いに想いあっている。それ以上の幸せがどこにあるでしょう? その後も、ユーリはフレンと出会うたび、いつもの皮肉の影でひそかに嬉しそうに微笑っていました。きっといつか、この二人は幸せになるのだと、わたしもこっそり微笑っていました。
 世間知らずだったわたしは、単純にそう思っていたのです。ユーリがわたしとフレンの仲を誤解しているなんて知りもしませんでしたし、またこれから起こることも想像していませんでしたから。

 ダングレストでラゴウが消えた夜から、ユーリは少しだけ様子が変わりました。普段はいつもの彼女なのに、ふとした瞬間に自分の手のひらを見つめては、悲しそうな怒ったような、そんな顔をしているのです。わたしはそれに気づいていたけれど、なぜだか触れてはいけない気がして、言い出せませんでした。触れたら、ユーリが壊れてしまいそうな気がしたのです。
 それからというもの、ユーリはフレンと会っても淋しそうで悲しそうで、見ているわたしも切ない気持ちになりました。自分のことで精一杯のはずなのに、わたしはなぜかユーリのことが気がかりで仕方なかったのです。このままではわたしが触れなくても、いつか彼女は壊れてしまうんじゃないだろうか、そんな風にも思い始めていた頃でした。
 ユーリがフレンとケンカしているのを、わたしは偶然見つけました。マンタイクで夜中にこっそり出かけるユーリに気づいて、わたしはあとをつけました。そして、湖のそばで、二人を。何を話しているのか、はっきりとは聞き取れませんでしたが、ラゴウやキュモールの名前に加えて、暗殺という単語が聞こえて、わたしは悟りました。それが間違っているとは思いませんでした。事実、それは正しかった。
 ラゴウとキュモール、その二人をユーリが殺したのだと。ユーリが自分の手を見て悲しげだったのは、汚れてしまった手ではフレンに触れることはできないと思ったからなのだと。
 最初、わたしもほんの少しだけ、ユーリを怖いと思いました。けれど、そのすぐ後に彼女の顔を見て、そんなものはどこかへ飛んで行ってしまいました。悲しいどころか、何か諦めてしまったような顔。一時でも彼女を怖いと思った自分を、わたしは叱りつけてやりたくなりました。
 その時触れた彼女の手はあたたかくて、いつもと何も変わりありませんでした。何があっても、……それこそ血を浴びても、やっぱり彼女は何者にも侵されることなく、彼女のままだったのです。
 でも、フレンは真っ直ぐです。だからこそ、きっとユーリのしたことが許せないでしょう。彼の守る世界にはユーリもいます。むしろ、ユーリが彼の世界そのものだったのかもしれません。愛する女性がその手を汚した、それもきっとフレンにとって大きなショックだったはずです。それは何より守りたかった人を、守れなかったということに他なりませんから。
 でもショックだったのは、ユーリも同じ。きっと彼女は、フレンに知られたくなかったはずです。いずれ知られるにしても、それが遠い未来であればあるほど良かったはずでした。けれど、その願いはかなわず、すぐにバレてしまったのです。そしてケンカ。あの時のフレンの言動。それはこの上ないほどの大きなダメージを、彼女に与えました。ノードポリカを離れる船の上、ときおり悲しそうに水面を見つめる彼女の姿が、切なくて切なくてたまらなかった。
 もしこのまま、二人が離れてしまったら。そう思うと、わたしも悲しくて涙が止まりませんでした。

 その後、アレクセイに捕らわれたわたしには、具体的に何があったのかはわかりません。リタから少しだけ話を聞いたのですが、その時の彼女はわたしを助けることで頭がいっぱいになっていたらしくて、……ああ、これは後からユーリやジュディスに聞いたのですけど、それでリタはあまり他のことなど覚えていないようでした。
 けれど、次に彼女と一緒にフレンに会ったとき、二人の様子は多少ぎこちないながらも元に戻っているように思えました。
 当たり前のように狙われたユーリをかばうフレンと、フレンを支えて気遣うユーリ。少なくとも、二人が話す口調から棘は消えていて、以前のように言葉を交わせているようでした。
 けれどほっとしたのもつかの間。ユーリが姿を消してしまいました。フレンの部下であるソディアの話では、ユーリは海へ落ちたというのです。それも、大量の血の跡が残るくらいの、大ケガを負って。
 信じられませんでした。せっかくもう一度、一緒に歩けそうな二人だったのに、どうしてこんなことに。わたしはそう思わずにいられませんでした。だって、あんな出来事さえ乗り越えたのです。ならば二人一緒に、幸せになることだってできるかもしれなかった。なのに、ユーリはいなくなってしまったのです。
 表情を固くして、ユーリを捜すと言ったフレンに、わたしも従いました。みんなで一生懸命、彼女を捜しました。昼夜問わず、特にフレンは誰かが無理やりにでも止めなければ、寝ることも食べることもそっちのけで、ひたすら彼女を捜し続けたのです。それはあなたも知っていますよね? 自分の仕事の合間を縫い、寸刻を惜しんで海へ出て、出られないときは情報を集めて。ただ必死にユーリが生きていると信じて、捜すことを止めませんでした。その時のフレンの憔悴ぶりといったらなくて、結局はわたしたち全員でフレンを止めました。ユーリは必ず生きている、だからそれまでにできることをしようと。星喰みの脅威に世界がさらされている中、ユーリ一人に時間を割いていると知ったら、きっとユーリは激怒するはず。
 きっと、いつものフレンなら、わたしたちより先にそのことに思い至ったはずです。なのにそうでなかったということが、フレンの想いの深さと辛さを如実に物語っていて、わたしは心臓をわしづかみにされたような気がしていました。

 その後、ユーリは無事に見つかりました。
 どういうわけか、ケガをして下町の自室に戻っていたのにラピードが気づいたのです。わたしたちは喜んで、もちろんフレンにも知らせました。フレンがその知らせを受け取って、どんな顔をしたか、その場にいなかったわたしは知りません。けれど、きっと泣きそうなくらいに顔をゆがめて、すごく喜んだのだろうと思います。
 実際、二人が会えたのはもっと後――ヒピオニアで危機に陥ったフレンを助けに行った時のことです。みんなは魔物が打ち払えた喜びで、とはいってもリタは実験結果を見て表情を固くしていたのですけど、とにかく誰もフレンやユーリのほうを見ていませんでした。わたしをのぞいて。
 二人に駆け寄ろうとして、わたしは途中まで行って止めました。フレンがユーリを抱きしめているのが見えたからです。ユーリは最初、何事か悲鳴を上げていたようでした。でも、そうしながらフレンの腕の中でどことなく幸せそうにしている彼女の邪魔なんて、できはしません。
 そこでやっと、わたしは大丈夫だと思いました。
 フレンはきっと、もう自分の気持ちに気づいているのでしょう。彼ならきっとその想いをユーリに伝えるはずです。ユーリはもちろん、自分の想いを告げたりはしないでしょう。でももう、汚れた手だからと振り払うようなことはないはずですから。
 やっと幸せが来る。そう思うと、わたしもとても幸せな気持ちになれました。

「……そうして、今に至るというわけですね」

 夜、中庭に面した2階の部屋。
 そこから外を眺め、今やこの城の主となった遠縁の青年――ヨーデルがつぶやく。その表情はやはりというか、嬉しそうにほころんでいる。エステリーゼはにっこり笑ってうなずいた。

「はい。その通り、です」

 二人が眺める先には、寄り添う二つの人影がある。長身に鎧をまとった金髪の青年と、同じく長身の黒衣に黒髪の女。
 フレンとユーリである。
 まさかこんな所から見ているとは思ってもいないのだろう、ユーリを抱きしめたフレンが静かに何事かをささやいている。それに、ユーリがほんの少し恥ずかしそうにしながら答えていた。

「数多の辛苦を乗り越えてきたからこそ、この幸せはひとしおでしょう。フレンもユーリさんも」
「それもそうですけど……なにより、二人で幸せにならなくちゃいけないんです」

 エステリーゼの大好きなふたりは、ずっとずっと回り道をして、山や谷も乗り越えてやっとここまでたどり着いたのだ。幸せになって、いっぱい笑っていてくれなくては困ってしまう。

「二人の幸せのためなら、わたし、なんだってします。ユーリとフレンが笑っていてくれないと、悲しいですから」
「ええ。僕も微力ながらお手伝いしますよ。二人には、一生かかっても返せないほどの恩義がありますし……まあ、そんなものないと言われてしまうのでしょうけれどね」
「ユーリとフレンですから」

 ヨーデルと顔を見合せて笑う。
 あの幸せそうな二人の顔を、エステリーゼは生涯忘れない。何があろうと誰にも邪魔させない、そんな決意とともに、これからさきずっと。

「それにしても」

 不意にヨーデルの声に苦笑がまじって、エステリーゼはきょとんと首を傾げた。

「夜中の中庭で人気がないとはいえ、フレンもよくあれだけキスをしますね」
「あ」

 見下ろす先で、先ほどよりも二人の影がくっつき、重なっている。明らかにキス(しかもけっこうしっかりと)をしている雰囲気が読み取れて、エステリーゼは思わず頬を赤くした。幸せなのはいいけれど、あまり近くで見守りすぎるのは問題なのかもしれない。
 ヨーデルが事実は小説よりもと言うけれど、と言って、苦笑った。

いちばんよくみていたエステル
[2009.5.7]

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