物語のその後

 母親の膝の上、子どもはおとなしく降り注ぐ声を聞いている。
 やわらかな母の声に包まれて、白い手に支えられている絵本の挿絵を見つめる。淡いパステルカラーの絵は子どもたちのお気に入りだ。

「『こうして、凛々の明星と満月の子は再び手を取り合って、精霊たちと一緒に世界を救ったのです。』……はい、おしまい」
「ふわ〜」

 思いっきり肩に力を入れていたに違いない、子どもたちが揃って声を上げた。それが愛らしくて、思わず微笑む。
 本を閉じて手を伸ばし、そばのテーブルの上に置いた。子どもたちの視線がじっと本を追う。それにくすくすと笑いながら、メガネをはずして同じようにテーブルへ。書き物をするときと読み物をするときだけはこれを愛用している。

「ふふ。ふたりとも、本当にこのお話が好きですねぇ」
「だって、ブレイブヴェスペリアがかっこいいんだもん」
「まんげつの子もすてきだよ」
「うふふ、そうですか」

 そういえば、と子どもの片割れがくにっと首をかしげた。黒いさらさらの髪が一緒に揺れる。

「ねえねえ、おかあさん」
「なんです?」
「おとうさんのギルドもブレイブヴェスペリアっていうよね。おんなじなまえだよ、なんで?」
「ああ、それはね、お話からもらったんですよ。お母さんがお父さんたちに薦めたんです」
「えー、でもそれじゃおかしいよ。このおはなし、おかあさんがかいたのに」

 子どもたちはまだ幼いけれど、ちゃんと知っている。賢いなぁ、どっちに似たのかなぁ、と思わずにはいられない。自分たちの母親が名の知られ始めた童話作家(ひよこ)で、父親がギルド"凛々の明星"のメンバーだと知っていて、その中身ももう、……まあまだなんとなくだろうけれど、わかっているらしい。さすがにまだ、父親が実はたまーに出張騎士をしている(というか頼まれてしぶしぶやる)ような人なのだとか、母親が正真正銘のお姫様だとか、そのあたりの事実は知らないだろうけれど。でもこの調子ならいずれはバレるだろう。
 それでもやはり子どもは子ども、知らないことはたくさんある。たとえば、

「ええ、このお話の半分を書いたのはお母さんですけど」
「はんぶん?」
「ぜんぶじゃないの?」
「そうなんですよ? お話の半分はね、お母さんが小さい頃に読んだ昔話を参考にしたのです」

 いつだったか、旅の中で語った凛々の明星と満月の子の物語。旅の中でそれが真実を秘めていたと知って、さらにその後、自分たちの戦いはまるでそれをなぞらえたようだと運命の妙に少しばかり感じ入った。
 だから旅の後で、あまり知る人もいなくなっていた古い物語を、新たなお話――つまりは自分たちの旅の話も付け加えて書き直した。それが今や代表作ともなったこの物語というわけであって。

「とてもすてきで、優しくて、切ないお話なんですよ」
「ふぅん」

 そこには子どもたちの興味はないらしい。あんまりにはっきりした態度に、思わず苦笑する。

「それよりねえ、おかあさん。どっちにしてもはんぶんはおかあさんがつくったんだもんね!」
「そうですよ?」
「じゃあ、ブレイブヴェスペリアとまんげつの子はそのあとどうなったの?」
「え?」

 驚いて、目をぱちぱちさせる。

「だってー、おかあさんがかいたおはなしならしってるよね!」
「あのね、きになるんだよ。せかいがだいじょうぶになって、ブレイブヴェスペリアとまんげつの子とせいれいがどうなったのかーとか」

 ……困ってしまった。
 ストレートに説明することはできる。できるけれど、でもこの年頃の子どもたちに、実は物語のモデルになったのはお父さんやお母さんたちの旅なんです、なんて説明しようものなら、子どもの夢を壊すこと請け合いである。ましてやいわばそれは夫婦の馴れ初め的なものであって、子ども相手に説明するのは多分に恥ずかしい(ましてそれをご近所でぺらぺらしゃべられてはことだ。いくら賢くてもその辺は普通の子どもだから!)。
 えーあーうーと散々フリーズして悩みまくった挙句、子どもたちに向かってこう言った。

「……それはお父さんに訊いてください、です」

「……凛々の明星と満月の子のその後?」

 タイミングよく(訊かれたほうとしては激悪で)、たまたまその日数日ぶりに帰宅した父親は、家に踏み込むなりその質問をぶつけられることになった。当然だけれど頭の上にはハテナが飛び交う。

「そう、おはなしのあとどうなったのー?」
「しりたいー」

 口々に言う子どもたちにまとわりつかれる。まとわりつかれるのは構わないが、頭は完全にパニックである。普段から冷静さがウリで、子どもの相手だって慣れたものであっても、この状況には負けたらしい。

「あー、ちょっと待て。それなら、あの話書いたのはお母さんだろ。お母さんに訊け。ほれ訊いてこい。レッツゴウ!」

 さっきから姿を現さない妻のほうへと追いやろうとする。帰ってきているのには気づいているはず(だって息をひそめているような気配がする)、なのになぜか出てこない。この騒ぎの中、寝ているとも思えないのに。
 その答えは、すぐさま子どもたちから教えられることになる。

「だってね、おかあさんがいったの」
「は?」
「おかあさんが、おとうさんにきいてくださいですって」
「おとうさんのほうがくわしいはずっていってたよ」

 ……出てこないのはつまりそういうことですか、奥さん。
 どうやら先手で押し付けたのが気まずいだかなんだかで、お出迎えもできない、そういうことらしい。彼女らしいと言えば彼女らしいが、正直今はやりやがったという気分が拭えない。
 きっと彼女は、このドストレートな質問をぶつけられて、心底困り果てたのだろう。実はそのモデルがお父さんとお母さんで、本当にあった出来事がもとになってるんです、なんて、まだ幼い子どもたちには言えなかったに違いない。ただでさえ馴れ初めそのものの話だ。気持ちはよくわかる。わかるけれど。

(だからって俺に振るかコレ!)

 あー、と頭をがしがしとかく。ほんの少しだけ考えて、核心だけ伏せようと、ため息交じりに決意した。要はそれが自分たちだとわからなければいい。あくまで物語の世界のことなのだから。

「凛々の明星と満月の子はな、ちゃんと幸せになったんだよ」
「しあわせ?」

 黒と桜色の頭に手をのせて、大きくうなずく。

「そうだ。たくさんの仲間や精霊たちと一緒にな、仲良く幸せ〜に暮らしてんだ」

 とりあえずウソはついていない。事実、みんな幸せにやっている。

「今だってどこかで、きっと元気にしてるぜ」
「そうなの?」
「そーなの」
「おとうさんは会ったことあるの?」

 思わずうぐ、と呻きかけて、すんでのところで飲み込んだ。
 賢い子どもたちの前で変な呻きでもあげようものなら、いくらでも追及されるに違いない。性質の悪いことに、誰に似たのか好奇心旺盛で、一度興味を持ったことは延々追い続けるという性格だ(しかも二人揃って)。子ども特有の現実と物語をごっちゃにする視点と、性格と。ある意味凶悪な組み合わせである。
 内心で流れる冷や汗がじわりと外へ吹き出そうになった。

「あー、さすがにないなー。お父さんが旅をしてるって言ってもな、まだ行ったことないとこだってあったりするわけだし」
「そっかぁ、ざんねん」
「なーに、そりゃ、お前らが大人になったら探しに行きゃあいいさ」

 がしがしと力いっぱい頭を撫でてやると、子どもたちはきゃー、痛いー、と笑って叫んで逃げ出した。

「……ありがとうございます、です」

 夜、すっかりベッドの真ん中で寝入ってしまった子どもたち(帰宅した父に散々かまってもらってはしゃぎ疲れた)を挟んで、小声で言葉を交わす。それはもう、今の関係に落ち着いてからすっかり当たり前になってしまった光景である。

「何がだ?」
「えと、この子たちにうまく説明してくれてです」
「ああ、それか」

 すっと手が伸びて、軽く握られた指がこんと桜色の頭をたたいた。

「まったく、さりげなく人がいない隙に押しつけやがって」
「あう、ご、ごめんなさい」

 しゅんとしおれる(きっとうさみみだのねこみみだのがついていたら、一緒にへたりと下を向いているに違いない)のを、今度は開いて伸ばした指先で軽く撫でてやる。昔からこれを嫌がられたことはなく、むしろこういった触れかたを気に入っているようなので、慰めるときはいつもこうしていた。

「ま、言いづらすぎることではあるしな。夢ない上に、事実としちゃあ軽くどころか相当ショックだろ」

 空を、うねる星喰みの群れが覆う様は、見て気持ちのいいものであるはずがない。話を聞いて想像するだけでも、特にこの年頃の子どもにとっては軽くトラウマになりそうな光景である。事実、あの一件の後で、うねる雲を見ておびえる子どもがあちこちで出て、まったくもって予想外の後遺症に驚きながらも奔走したことさえあった。さらにはこれを題材に物語を書く、という話が出た時も、その描写をどうするかで頭を悩ませたりもしたものだ。

「はい。それもあるんです。あるんです、けど……」
「それにまだちっこいガキに馴れ初めを真面目に話すなんて恥ずかしくてやってられないよな」
「はい、本当にその通りで……って、え!?」

 思わず大きな声を出しかけたその口を、伸ばした手でふさぐ。もご、と何事か言った彼女が、顔を真っ赤にしてわたわたと手を振り回した。

「ほーら落ち着け。こいつらが起きちまうぜ」
「もご」

 こくこくとうなずく仕草は、出会った頃と変わらない。

「そういうリアクションするってことは、やっぱそう思ってたんだな」
「そ、それは思いますよ! だって、普通に話すならともかく、童話のモデルのお話から入ってかなくちゃいけないなんて、恥ずかしすぎます!」

 ある意味、童話並みにベタな出会い方(まあ、男のほうがその場にいた理由が牢屋にぶち込まれてこっそり出て戻ろうとしてたからというのはベタではなかろうが)をしているのは、この際どうでもいいのだろう。
 すうはあと数回深呼吸をして、やっと落ち着きを取り戻す。その間、夫は寝ている子どもたちの寝顔を見ていた。

「あの、」
「ん?」
「この子たちが大人になっていったら、あのときのことや物語の真実を知る日が来るんですよね。きっと」
「……そうだな。まあ、まだ遠い先の話だろうけど」
「わたし、この子たちに聞かれたとき、思ったんです」

 自分とおなじ桜色の髪に指を滑らせる。柔らかい手触りが心地いい。同じ色をしているのに、どうしてこんなに違うのか。子どもだからか、はたまた髪質が父親に似たからか、どちらにせようらやましい。

「いつか、この子たちがあの時のことを知る。そのとき、この子たちが肩身の狭い思いをしなくて済むような世界を、これから作っていかなくちゃいけないんだって」
「まあな。魔導器に頼らないで生きてかなきゃいけねえ。こいつらは魔導器なんて知らねえだろうけどさ、それでもいつか知ったとき、それを後悔するような世界にしちゃなんねえよな」

 でも、と微笑う。

「あんまり堅く考えすぎることもないだろ。みんながみんなってわけじゃねえけど、魔導器なくたってちゃんと立ってる。幸せつかむ奴は、ちゃんと掴んでる」
「……はい」
「それに、俺はこいつらにウソ教えたわけじゃないしな」
「え?」
「『凛々の明星と満月の子は今幸せに暮らしてる』」

 手をのばして(子どもたちを絶対に起こさないように!)細い妻を抱き寄せた。驚く彼女に微笑いかけると、戸惑いながらも幸せそうな笑顔を返してくる。その笑顔が互いに好きで、今もこうして一緒にいる。

「少なくとも、ここで俺たちは幸せに生きてるよな?」

 つぶやいて、明星はうなずく満月の額に優しく、そっと口づけた。

おとなというのはこどもの他愛ない質問にすさまじく動揺させられるいきものです
……ていうかいきなり子どもこさえててごめんなさいすみません
[2008.9.6]

back