「悪戯させてください!」
ユーリが面食らったのは無理もない。出会い頭に、真剣な顔で、……まあそれはいい。ただ、旅が終わった後はしまわれていたはずの魔女っ娘スタイル(+天使の羽付き)で全身固めて、あげくその口から出た言葉が悪戯させろでは、平静でいる方がおかしいはずだ。ていうかもう絶対におかしい。おかしくないわけあるもんか。ていうか彼女は城からこのカッコで、それをここまで言いに来たのか。この寒そうなコスプレ全開のカッコで。城から、ここまで。
ちらりと外に視線を投げれば、平穏のどかないつもの下町の風景が見える。天気もいいし、今日の夜は祭りらしく(その辺は今朝方テッドがうきうきとわざわざ教えに来た)、少しばかり人も多いし騒がしくはあるけれど、まあだいたいはいつもの通りだ。ただ、その中で時折知り合いたちがちらりちらりとこちらを見上げてくる(そしてユーリの姿が見えた瞬間にさっと目をそらす)のだけが異質だった。その意味がわからないはずもなく、これは何の羞恥プレイだと頭を抱えたくなる。
とりあえず、ほんの少しだけ痛みを訴えてきた額を押さえて、ユーリは目の前のお姫様を見た。お姫様、つまりは副帝殿下という肩書きをもつ本物の姫君であるところのエステルは、本当に真剣な顔をしている。その視線はユーリの顔を射抜きそうなほどまっすぐで、ウソなどカケラも見えやしない。……もともと、器用にウソがつけるような性格ではないのだから(器用とかそれ以前の問題で、ウソがヘタなのだし)、それほどに力を込めなくとも、彼女が真剣で真面目でとてつもなく本気なのだとはわかるのだけれど。
「エステル」
「はい!」
「……なんでお前、そんなおかしなことを真顔で頼んでんだ」
エステルが大きな目を瞬かせた。
「おかしい、です?」
「いや、おかしいだろ」
小首をかしげて見せるしぐさは彼女らしくて大変可愛らしいのだけれど、今の問題はそこじゃあない。
彼女が世間一般で言うところの天然(箱入り純粋培養娘19年物)であることはいまさらだ、けれどこの発言を天然のひとことでくくって済ませていいのだろうかと思わずにはいられない。だって悪戯させてくださいなんて、正面きって言う言葉じゃあないはずだ。
「あのなぁエステル、普通悪戯させてくださいなんて頼んだりしないもんだろ」
「だって今日は悪戯する日ですよ?」
「いや、だからそういう問題じゃ……は?」
一瞬、今日が何の日なのかを考えて――ああ、と気がついた。
そういえば、街を行き交う連中の荷物の中に、カボチャやらランタンやらが見えていた気もする。いちいち気に留めなかったから(だって自分には関係ないと思ってたし)、まったくその意味に気づかずにいた。そういえば、子どもの頃はフレンと二人、前の日から楽しみにして準備して、宵っ張りで街中駆け回ったっけといまさらながら思い出す。甘いものに目がなく、また悪戯なんかも(するのが)大好きだったユーリにとっては、それこそ夢のような時間でもあったし。自分だって楽しんでいたくせに、「まったくユーリってばしかたないなぁ」なんて、フレンはいつもちょっと大人のふりをしていたっけ。悪戯だってユーリがびっくりするようなことをしたりもして。
と、そこで開け放した窓から少しばかり冷えた風が流れ込んで、我に返った。思わず思い出の世界に逃避しかけていた自分に苦笑する。
「……にしたって、悪戯なんざ人に頼んでやらせてもらうもんじゃねえって」
「ユーリはきっとお菓子を用意してると思ったんです。でも、わたし、悪戯してみたくて」
「だから直接悪戯させろって頼んだ?」
「はい」
目の前でちょっとしゅんとしている(でもやっぱりまだエネルギーが漲っている)エステルの、ハルルの花と同じ色をした頭を見ながら、ユーリはやれやれと内心ため息をつく。
「で、悪戯って?」
「え?」
「悪戯したいんだろ? 何がしたかったんだ?」
ぱぁっとエステルの顔が輝いた。嬉しいときって、本当に顔って輝くもんなんだなぁと思うと、笑いがこみあげてくる。悪戯されるのなんてと思っていたけれど、こんな風に喜んでくれるのなら、まあ、いいかもしれない。
エステルは嬉々として、ここに座ってくださいとベッドを指した。さあ何をされるやらと腹をくくって座れば、今度は目を閉じろと言われる。「はいはい」、二つ返事で言われたとおりに。
「いきます!」
「おー、こい」
悪戯する前に掛け声かけるなよと突っ込んでやりたいのを抑えて答える。そして一呼吸置いて。
ふわりと鼻孔をくすぐったのは甘い花の香りだ。エステルの髪が漂わせるものだとは、長くなり始めた付き合いの中で知っている。それにまぎれるように、柔らかなものが頬に触れた。
……なるほど。
「も、もういいですよ!」
盛大に上ずった声で言われて、ユーリはゆっくりと目を開けた。それほど長くなかったとはいえ、一度暗い世界を見た目は、昼間の明るさをいつもよりも(そして必要以上に)鮮明に伝えてくる。まぶしいと思うほどじゃないのは、室内だからか、それとも季節柄柔らかくなった陽射しのせいか。だからと言うわけでもないけれど、すぐそばに立っているエステルが真っ赤になってうつむいている(この場合逆に隠せないだろうに)のは誇張された視覚とは無関係にはっきりと見えていた。
頬へのキス、それでもこの純情可憐なお姫様には一大決心なのだろう。平気で誰彼構わず抱きつくくせに、こういうことには免疫がない。それをユーリは知っていたし(なんせ箱入り純粋培養娘19年物だ)、それが意味することにも気づいていた。恋人とは言わずとも、旅をしていた頃よりはずっと親密になって、エステルがあからさまに(とは本人は思っていないだろうけれど)ユーリへと好意を寄せるようになった今だ。自分が彼女に釣り合うとは思わないし、それこそ刷り込みに近いんじゃないかと思わないでもないけれど(なんせ出会う前の彼女にとって歳の近い親しい異性といえばヨーデルとフレンくらいなもので、あれだけ長く一緒にいたのなど自分が初めてだったに違いない)、それでもこんな決心をするくらいに好かれているのだと思えば、それはそれで嬉しい。ユーリだって健全な成年男子であるわけだし、こんな可愛らしい悪戯なら大歓迎だ。
……ただ同時に、勇気を振り絞って好きなのだと全身で伝えてくる少女に気づかないふりをし続けるのも、そろそろ限界に近いのだとも思わされる。
「終了か?」
「ふえっ!?」
「悪戯」
「……え、あ、ええと、あの、はいっ」
動揺しきりのエステルに、思わずくつりと笑いが漏れた。頬にキスをしただけでこうでは、真正面からなんて到底無理だなと思った瞬間、押さえつけていた笑いがこらえきれずに爆発する。普通に上がった笑い声に、なんで笑うんですかと彼女が怒る。真っ赤な頬を膨らませた様が完熟のリンゴみたいだとまた笑いそうになったけれど、さすがにそれは必要以上に事態をこじらせるからと必死の思いでこらえておいた。代わりに謝って、隣をぽんぽんとたたく。少しばかり逡巡した後、エステルはほんのちょっとだけ距離を置いて、ベッドに腰かけた。
相変わらず真っ赤のまま、エステルは一言もしゃべらない。オーバーヒートでもしたかと勝手に想像する。何がって、彼女の中のいろんなものが。
まあ、そりゃ緊張もするだろうな、と古びた天井を見ながら思う。一大決心でキス(ほっぺに)をした相手の隣に座るのだ、色恋の免疫のない彼女にはひどく緊張することのはずだ。やり逃げすらできないくらいに。さてどうしたものか。やられっぱなしというのも性に合わず、かといって子どもの頃にやっていた悪戯と言えばひもトラップだのひざかっくんだの一撃入れて逃げるだのといった、悪ガキ全開の仕様。フレン相手ならいいけれど、エステル相手にやれる悪戯のストックなどない。ここはベタに行くべきかと、ぼんやりと考える。
「あの、ユーリ」
「トリック・オア・トリート、だったか?」
やっとエステルが口を開いたのと、ユーリがつぶやいたのとはほぼ同時だった。きょとんとしたエステルが大きな眼を瞬かせる。
「はい?」
「お決まりのやつ」
「そうです、けど」
なぜだか不安そうにうなずかれる。頭のいい彼女は、なんとなく次に訊かれることがわかっているに違いない。
「んじゃ、エステル。トリック・オア・トリート」
赤みの引きかけていたエステルの顔が、今度はさっと青ざめた。何で青くなるんだと思いながら、反射のように突然立ち上がったのを見上げる。
「ゆ、ユーリっ」
「なんだ?」
「それ、選択肢がありませんっ」
「なんで」
訊けば、一瞬口ごもり、再びベッドにへなりと座る。うつむいて小さくなりながら、か細い声でつぶやいた。
「……お菓子なんて、持ってきて、ない、です……」
「そーか」
まぁそんなところだろうと踏んでいた。きっと悪戯することで頭がいっぱいで、自分がやられることなんてさっぱり考えていないだろうなんて、少し彼女を知っていれば想像がつく。だからこそのベタな作戦でもあるのだけれど(まあ、甘いものがもらえたとしたら、それはそれで大の甘党であるユーリにはラッキーだ)。
「で、トリックとトリート、どっちだ?」
「………る、です」
「んあ?」
「ユーリ、いじわるです」
ぷうと頬を膨らませる顔の色は、少しばかり色を取り戻している。その唇がもごもご動いて、ぽつぽつと音をもらした。
それがなんだか可愛らしくて、思わず手をのばしてその頭を撫でてやる。
「おーし、よく言えました」
「よく言えました、じゃないです。悪戯されるの、わたしなんですよ」
「そりゃ、エステルの言えたセリフじゃねえな」
それはそうですけど。むくれるエステルに構わず、ユーリは彼女の頭を撫で続ける。少しでも彼女の緊張が和らげばいいと思いながら、柔らかい髪の感触を少しだけ楽しんだ。
次の瞬間には、その手がずり落ちてベッドの上に落ちたけれど。
エステルはましになったとはいえどこか青い顔のまま、だってと言った。
「ユーリの悪戯は、ひもトラップとかひざかっくん……というものだとか、一撃加えて逃げるとかだって」
「……いつの話だそれ」
全身にすさまじい脱力感を感じながら、ユーリはとりあえず訊いてみた。エステルにそんなことを吹き込める人間など限られていて、……というより一人しかいない。
「子どもの頃のユーリはそうだったって、」
「あー、いい。続きは言わんくていい」
「え?」
「聞かなくても、誰の名前が出てくるか想像できる。つーよりも、わかる」
実際エステルが口にしようとしたのを止めて(とりあえず今すぐ殴りこみに行きたくなる気がした)、ユーリはとにかくと仕切りなおす。
「少なくともこの歳になって、エステル相手にそれはしないな」
一撃入れたら吹っ飛びそうだし、ひもトラップは想像もしない引っかかり方をしそうだし、おまけにひざかっくんすると自分がダメージをくらいそう(後頭部による強烈な頭突きとか)で嫌だ。……とはさすがにいちいち説明しないけれど。
「ここは、ま、やっぱベタにいったほうがいいだろ」
「ベタってなんです?」
「平たく言えばお約束、だな」
おやくそく、と口の中でつぶやいたエステルの顔が、一拍置いて再び完熟リンゴになった。赤くなったり青くなったりと忙しいもんだ、とはさすがに棚上げしすぎだろうか。
「つーわけだから、エステル」
「は、はい?」
「覚悟しろ」
にやりと笑う。
言うだけ言って、拒否する時間を与えずに、ユーリはそっとリンゴ色のにキスをした。柔らかな頬は、少しばかり熱っぽかった。やっぱり。
ハロウィンにかこつけてほっぺにちゅー、なお話でした
こっぱずかしいなー
[2008.10.30]