アットホーム

 もともと眠りの浅いリオンが目を覚ますのに、蠢く気配は充分な効果をもっている。
 遠い気配に引きずられるようにまぶたが持ち上がり、視覚が天井の木目を映し出す。窓から差し込む光は白く、明るい。朝か。
 目覚めたばかりの頭は、ここはどこかと自分に問うた。ぼうっとした頭はなかなか焦点が定まらず、考えていることすら曖昧な波の中に埋もれていきそうになる。でも寸前ではたと気付く。それを何度となく繰り返して、思い出した。
 フィッツガルドはリーネの村、その片隅にあるエルロン家。……まあつまりは、スタンの実家。
 エルロン兄妹のお招き(?)で、リオンとルーティ、つまりカトレット姉弟はただいましばらくの逗留中(予定)、だ。なんでこんなことになったのか、ことの成り行きは彼の明晰すぎる頭脳をもってしてもさっぱりわからないのだけれど。数日前、姉弟と一緒にクレスタにいたスタンと、それに同調したルーティに引きずられ、船に乗せられてあれよあれよとノイシュタットへ着いてしまった。
 そこから船でセインガルドへ引き返すのもためらわれ(船旅は余程の用でもなければ頻繁にしたいものじゃあない)、結局リーネまでついて行くハメになり、実際リーネについたのは昨日のことだ。道中、なんだかんだで押しが弱いわねやっぱりと笑ったルーティと、お約束なひと悶着を起こしたのはまあ、この際どうでもいい。
 少し頭を持ち上げたら、薄手のカーテンを透かして、また隙間から入り込む光に目を射られて、思わず手で遮った。慣らしながら少しずつ目を開けて、身体をきちんと起こしきる。
 そんなに広くない空き部屋を、ぶら下げた布で間仕切ったスペース。それが今のリオンにあてがわれた場所。仕切りの向こうはルーティのスペースだけれど、そこにもう気配は感じない。ともなればさっき、リオンを起こした気配はルーティのものだったのだろう。どうでもいいけれど。
 のそのそと起き出して、カーテンを開けて、支度を整えて(と言っても着替えるだけ。さらさらの髪には癖などつかない)、間仕切りを遠慮もためらいもなく持ち上げたら、やっぱりルーティはいなかった。さっさと起きて、リリスの手伝いにでも行ったに違いない。ガサツでデリカシーのない姉のくせに、そういうところはしっかりしていてよく気が回る。

「あ、おはようリオンくん!」

 部屋を出ればすぐにダイニングも兼ねたリビングで、明るい光の中を忙しそうにリリスが動いている。笑顔とともに挨拶したリリスは、テーブルを専用の雑巾で拭いていた。トーマス老が席についていて、同じようにおはようと言う。ルーティは姿も形もなかったけれど。

「おはよう、ございます」
「リオン君は早いの。スタンにも見習わせたいもんじゃ」

 ぎこちないリオンの挨拶を気にした様子もなくトーマスは笑った。よく笑うものだ、というのが最初の印象。それは今に至っても変わらない。相手が無愛想で尊大なリオンであっても(さすがに年長のトーマスには最低限の敬意を払ってはいる)、リリスといいトーマスといい、初対面からいつでも笑顔。最初こそ驚いたようではあったけれど(特にリリス)、その後は本当に笑顔ばかり。よくもまあ家族でここまでそろったものだと思うほどだ。スタンのへらへらした顔がここではぴったり当てはまるのだから、家族というのは侮れない。
 ……だからと言って、自分とルーティがそっくりだというのは決して認めはしないけれど。(だってそれはアイデンティティに関わりすぎる!)

「顔洗ってくるといいよ。ご飯にするまでもうちょっと時間がかかるから」

 リリスの勧めに従い、顔を洗いに洗面所へ向かう。汲み置かれた冷たい水を掬って顔につけると、瞬間に気持ちが引き締まる。その瞬間が好きだった。心地よくもあり、また自分の背筋を引き伸ばす手のようでもあるから。
 リビングへ戻ると、リリスはキッチンで手際よく料理をしている真っ最中だった。つやつやと光るレタスのサラダなんかがボウルに盛られていたけれど、とりあえずリオンが気にしたのはそこではない。

「ルーティはどこへ行ったんだ?」

 先に起きていった姉は、相も変わらず姿が見えなかった。席につきながら窓の外をちらりと見やって、散歩にでも行ったのかと思う(意外とそういうところがある)矢先、リリスが言った。いわく、お兄ちゃんのところよ、だそうで。

「ルーティさん、練習中なの」

 いたずらっぽく笑うリリスに、リオンは眉をしかめる。ただ練習と言われても、皆目見当がつかない。練習? なんのだ、そう問う前に、凄まじい騒音が朝の心地よい空気を揺るがした。がんがんがん!
 それは明らかにエルロン兄妹の部屋から聞こえてくる。これが練習?

「お兄ちゃん、寝起きが悪いでしょ?」

 腰に手をあてたリリスは、長く息を吐き出した。その視線はばっちり、兄妹の部屋のほうへ向けられている。

「だから起こすためにはちょっと技が要るのよね」
「……それがこれか?」
「そうよ。名付けて」

 にんまり、笑う。

「"秘技・死者の目覚め"」

 まあ確かに死者も蘇ってきそうではある。
 そこへ、ちょうどルーティが戻ってくる。おたまとフライパン(でかい)を手にした姉は、リオンに気づいてあら、おはよう、と笑った。

「あー、ごめんねリリス。やっぱり今のあたしじゃ無理だったわ」

 おたまとフライパンを差し出して、ルーティ。いいえとそれを受け取りながら、リリスはにっこりと変わらず笑顔だ。

「大丈夫、そのうちコツがつかめますから」

 あるのか。コツ。

「まだちょっとたたき方が甘いみたいですけど。でもルーティさんはスジがいいですよ」

 スジってなんだ。ていうかあの音で甘いってなんだ。そもそもあの音で起きないスタンは存在自体なんだ。
 そう思うリオンの目の前で、リリスがおたまとフライパンを手に部屋のほうへと消えていく。代わりにルーティが皿を並べるべくキッチンへと向かった。何座ってんのよ手伝いなさい、命令口調のルーティに反論しようとリオンが口を開く。
 ぐゎんぐゎんぐゎん、と音が耳を突き抜けたので、開くだけ開いた口から音は出てこなかった。村中に響いているに違いない、人を殺せそうな音に混じって、お兄ちゃん朝よ起きなさい!、とリリスの声がする。慣れているのか、トーマスはゆったりと笑うだけ。ルーティよりまだ小柄で細っこいあのリリスのどこから、あんな音を出す力が出てくるのか!(そりゃあまあ、歳はリオンより上ではあるけれども。)
 皿を持って突っ立ったルーティが、ぽつりとつぶやいた。顔はおそろしいほど真剣だった。

「やっぱりあたしじゃまだまだだわ」

 確かに。

 凶器(もはや調理器具とは呼べない)を手に戻ってきたリリス、彼女に遅れること十数分で、スタンはやっと起きてきた。
 ちょうどテーブルに食器が並び終わったところで、ある意味ベストタイミングと言える。

「あー、おはよー……」

 まだ半分寝ていますていうか眠くてしかたないんだよといった顔のスタンは、ふらふらと席についてふあぁ、と大きくあくびをした。跳ねた金髪はボサボサのままで、いかにも起きたばかりという風体。あの音を食らってまだ目が覚めないのか。こいつは。

「ほらお兄ちゃん、先に顔洗ってきてよ!」

 人数分のコーヒーを用意しているリリスがきりきりと眦を吊り上げる。ぼーっとしたスタンが、ふぁいと条件反射のように返事をして、のそのそふらふらと洗面所のほうへ歩いていった。
 そのスタンがやっとしゃっきりして戻ってきてから、ようやく食事と相成る。その間、ルーティはリリスと他愛のない話をしていた。さっきの技のことだの、家の裏に出没するらしいのぞきのことだの。トーマスも孫娘を見て楽しそうだ。だからというわけではないけれど、リオンは特に口を開かないでいた。

「あ、リオンくん、好き嫌いしたらだめだからね!」

 食べ始めた矢先に、リリスの声が飛んだ。それに合わせてスタンとルーティがぶっと吹き出す。リオンは思いっきり剣呑な光を宿した目でふたりをにらむ。スタンは慌ててそっぽを向き、ルーティは平静を装って(いることくらい見ればわかる)トマトを口に運んでいた。トーマスが首を傾げて、何か苦手なものでもあるのかい、と言う。ええまあ、ちょっと。答える間もふたりから視線は逸らさない。
 昨夜も今朝も、見た限りリオンの見たくもないブツは(本当に幸いにも!)見当たらなかった。それなのに何故、リリスにそんなことを言われなければならないのか。いや、そもそも彼女に自分の好き嫌いの話をした覚えはない。
 考えるまでもなく答えは明白だった。リオンはテーブルの下でどすんとスタンの足を踏んづけた(リリスとトーマスには多少申し訳なかったけれど)。ぎゃああと痛がるスタンに、ルーティが笑う。が、次にがすっと彼女のすねを蹴っ飛ばしてやったので、彼女もまた痛がるハメになった。

「ちょ、リ、リオン! あんた何してくれてんのよ!」
「自業自得だ。大体、余計なことをしゃべったのは貴様らだろう」
「え、それって余計なのか?」

 スタンのボケ(天然由来)で、リオンはとりあえず言葉をなくした。ルーティはあんたも救いようがないわね、と肩をすくめる。リリスはうさぎ(ポテとかいう名前らしい)にレタスのはしっこを食ませてやりながらため息をついている。ふみ、とうさぎが首を傾げた。トーマスはといえば苦笑い。

「ほんとに救いようがないわ、スタン」
「へ? おい、なんだよそれ」
「うさぎにまで呆れられるくらいだ。末期だな」
「ポテがなんだよ。つうかルーティもリオンも教えてくれたっていいだろ!」

 うさぎが逆の方向にぷきゅ、と首を傾げた。

「お兄ちゃん、ごはんくらい静かに食べて!」
「そうよ、リリスの言う通りだわ。……あ、リオン、塩とって」
「ちょっと待て。リリスもルーティも俺に冷たくないか?」
「うるさいぞ黙れスタン。ルーティ、必要なものくらい自分で取れ」
「何よ減るもんじゃなし! あんたもうちょっとお姉さまを敬いなさいよ!」
「知るか。大体、お前のような姉ならこちらから願い下げだ」
「いいな、ルーティさんとリオンくんてホント、仲いいんだね」
「げー、やめてよリリス。こいつと仲いいとか」
「それに関してだけは同感だな。仲がいいなど心外だ」
「そう言うことこそ、仲がいいことの証明だよ。ルーティさんもリオン君も」
「ちょっとおじいさんまで!」

 テーブルの上をあっちこっちへ言葉が行き交う。
 穏やかとは程遠い、賑やかな食卓はリオンの性には合わないけれども。でもまあ、不思議と心地よくはあった。
 話の中身はもちろんのこと別!

 食後、一同はばらばらになった。ルーティはリリスと女の話に興じ、スタンはお使いを命じられて(頼まれたのではない。リリスとルーティとリオン3人から命じられた、のだ)出かけていった。トーマスも少し出てくると言っているのを、見かけている。
 特にすることもないリオンはイスに腰掛け、ぼんやりと外を眺めていた。なぜだか足元にうさぎがやってきて、まったりとうずくまっている。別に陽だまりの暖かいところというわけでもないのに。どうせなら自分のスペース(かご)に行くなり、ルーティやリリスのところへ行くなりすればいいじゃないか、とは思うだけで口にはしない。どのみち、うさぎに伝わりはしないのだから無駄なカロリーの消費は避けるべきだ(単純にめんどくさい、というような身も蓋もない言い方はこの場合すべきではない)。まあそれはともかくとして、本当に、ときどきもぞもぞする白い毛玉は、とりあえずリオンのそばから離れるつもりはないらしい。
 紫暗の瞳に映るのは、柔らかな青と緑の連なりだ。窓枠に切り取られたそれは、田舎くさいと心底思うけれど、同時にいいものだとも思う。色そのものは多少濃淡の差はあれど、セインガルドにもあるものだ。けれどこんな柔らかさは、たぶんここにしかない(なんせここは田舎だ)。
 女同士の明るい笑い声がそばにあっても、とても静かだ。その静けさはどこまでも排他的なものではなくて、何もかもを包み込む空気で創り上げられたものである。リオンにとって身近ではないその優しさは、馴染みが薄くてかえって居心地悪かったりもするのだけれど。マリアンといるときとも違うな、なんて複雑な思いを抱いたりもする。

「リオン! リリスがお茶にしようって!」

 かけられた声に振り向くと、ルーティがぴらぴらと手招きしていた。断ってもさっさと来なさい、なんて強制連行されるに決まっている。リオンは再度呼ばれる前に立ち上がった。丸まっていたうさぎがぴょこりと顔を上げて、歩くリオンのあとをちょこちょことついてくる。
 それを見たリリスが手を止めて笑った。ずいぶん懐かれたね、とは不本意であったから、僕が頼んだわけじゃない、と言っておいた。リリスはルーティとふたり、そろってもう一度笑う。

パラレル風味のTODでエルロン兄妹&カトレット姉弟
なんでリオンがいるのとか深く考えちゃいけない
尻切れトンボだけれど、書きたいこときちんと全部書いた結果です
[2007.1.6/2009.9.8 修正]

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