新年を迎えてから1週間も経てば、いつも通りとまでは行かなくても多少なりと落ち着いた日常が戻ってくる。
この世に生まれて18年、即位してからまだ7年。若い女王はほんの少し慣れた祝い事に、はあとため息をついた。
「こんなところで何をされてるんですか?」
突然声をかけられてびくりとするのは人間そのものの条件反射だ。
木の陰でこっそりと休んでいたリムスレーアは、そんなことを思いながら振り向いた。視線の先に黒と金の衣装が見えてやばいと心臓がばくばくしたけれど、その上に乗っかった顔が思い描いた人物とは違っていたのでなんだと口を尖らせる。若くして先代に並ぶと賞される偉大なる女王陛下も、公務を離れれば齢18の少女だ。
「心臓に悪いことをするでないわ、トーマ」
「誰だと思ったんですか?」
わかっているくせに。同い年の少年はにまりと笑った。今現在、正規の女王騎士は先日見習いから昇格したばかりのトーマを含め、たった4人。他の見習いや不正規のとある人物を含めても、いまだかつての人数には足りない。その中で、リムスレーアがこんな風に恐れるのはただひとりしかいなかった。
現在の最古参、女王付きの護衛でリムスレーアの姉でもある、小太刀二刀流の女王騎士。彼女だけ。
にーっこりと笑うその顔を脳裏に思い描いてしまって(ときにその笑顔は見慣れたリムスレーアですら怖い)、思わず自分の肩を抱いて震えてしまった。だって今の彼女は、その護衛を撒いてここにいるのだから!
それを見たトーマが声を立てて笑う。
「大丈夫です、ミアキスさんならリオンさんと今ちょっと出てますから」
「……なんじゃ、それを先に言わんか」
こっそり胸を撫で下ろすと、トーマがまた笑った。ぎらりと目を光らせると、さっと視線があらぬ方を向く。ごまかしおった、と少しむかむか。
その矢先、風に舞った布の端が目の前をひらひらと横切った。青緑の鮮やかな色が陽に透けている。妙にきれいなそれがなんなのか、わからないリムスレーアではなかったので、それをつかんで思いっきり引っ張った。上のほうでぐえっと声がする。
「な、何すんですか陛下!」
「うるさいわ! そもそも人を驚かせて笑うほうが悪いのじゃ!」
「だからってたすき引っ張るのはやめてください! それにそう言うなら、いちいちミアキスさんを撒いていなくなるのをやめればいいじゃないですか」
バカモノ、とリムスレーアは腕を組む(たすきの端っこはしっかり握ったまま)。
「よいかトーマ、人間とはときどきひとりになりたくなるときがあるのじゃ」
「はあ」
「だからこそ、こうしてミアキスを撒いておるのじゃ。わかったか?」
「まあ、わかりますけど。でもそのたびにミアキスさんに怒られてるじゃないですか。陛下は」
「う、うるさぁぁぁい! ていうかトーマ、そなた、なんでいちいち言葉遣いが堅苦しいのじゃ!?」
びしぃ、と指を突きつけた(やっぱりたすきの端っこはしっかり握ったまま)。
トーマはもともと、先の戦乱でコウの陣営に加わっていた人間である。プライベートでは今でもミアキスやリオンを"姉ちゃん"と呼ぶし、コウが相手でも改まることなく話をする。もちろんそれは彼ら自身が望んだ結果であるのだけれど。ならばとリムスレーアも普通にしていろと、それこそ彼が太陽宮へ来たばかりの頃に命じたのだが。
「だって、陛下は陛下じゃないですか」
とこうである。いちいち直さなければ、トーマは女王騎士の物言いのまま。最近ではわざとやっているのではと思えるほど、頑なに口調を崩さない。
リムスレーアはがすっと芝生をたたいて、もう一度全力でトーマのたすきを引っ張った。はぐっと悲鳴。
「陛下ー!」
「そなたが悪いんじゃぞ、トーマ! わらわが何度言えばわかるのじゃ!」
「陛下こそ、何度も何度もたすき引っ張らないでください!」
ぎしぎしと空間が軋みそうなほどにらみ合うその間を、風がふわりと流れていく。
失礼します、と一声かけて入ってきたのはリオンだった。黒と桃色の装束に身を包んだ彼女の姿を認めて、コウはあれ、とつぶやいた。首を傾げたときに伸びてきた銀髪がさらりと揺れた。
「出かけたんじゃなかったっけ? ミアキスと」
「はい。ああでも、きちんと用は済ませてきましたから。……ミアキス様は私用があるとのことでしたので、私だけ先に戻ってきました」
微笑む彼女につられて、コウも笑う。私用か、と言ったら、私用だそうです、と返ってきた。なるほど。
「いけませんでしたか?」
うっすらと笑みを交えて言うリオン。いいやと笑って首を振る。彼女の"私用"には思い当たるところがあった。だからこそリオンも一人で帰ってきたのだろうと、勝手に想像して納得。
「リムにはトーマがついてるんだろう?」
「はい。ミアキス様が出る前にトーマ君に頼んでいかれましたから」
「なら問題ないよ」
はい、とリオンがうなずく。
コウもリオンも、トーマの実力は認めている。最年少であり、女王騎士としての経験の少なさは否めないけれど、真摯に仕事に取り組む姿勢は完全に女王騎士のそれだ。いつだったか、ひょっこりとソルファレナに顔を出したカイルが、
――ああ、すっかり立派な女王騎士ですねー
と飄々と笑っていたくらいである。
それにくわえてミアキスも、
――わたしより大きくなっちゃってなんだか悔しいですぅ
口ではそんなことを言いながらも、そう思ってるようには見えない顔をしていた。
先輩騎士たちに認められた、そのトーマがそばについているならば、リムスレーアは大丈夫に違いない。
「……カイルやミアキスじゃないけど」
窓の外を見つめて、コウはつぶやく。備え付けのティーセットでお茶の支度をしていたリオンが振り向いた。黒髪と桃色の襷が翻り、視界の端にわずかに映る。
「本当に、ふたりとも大きくなったよね」
美しい緑と青、その中に思い起こして描くのは、先の戦乱のこと。あの頃は自分もリオンもまだ幼くて、ましてやリムスレーアとトーマに至っては齢がやっと二桁を数えたばかり。本当にまだまだ子どもだったと、そう思う。
とはいえすでにコウとリオンは大人への階段を登り始めた頃だったのだし、何より自分たち自身のことである。己の成長ほど、見えにくいものはない。それゆえに、リムスレーアとトーマの成長が嫌でも目についた。
8度も巡った季節の中、愛らしかった愛妹は、美しく気高い、偉大なる女王に。やんちゃだった弟分は、冷静かつ勇敢な、一人前の騎士に。
「僕たちも少しずつ変わったけれど、リムとトーマは本当に、大きくなった」
「そうですね。……それだけの時間が経ったと、いうことなんですよね」
声は存外近くでして、同時にかちゃ、と食器が鳴る。リオンがデスクにお茶を置いてくれたと気付いて、ありがとうと肩越しに微笑んだ。
同じように微笑んでいる彼女は、姿こそあの頃より大人になったけれど。(もちろんそれは自分自身にも言えるのだろう、たぶん。)その微笑みもただ黙ってそばにいてくれることも、何も変わらない。それは何よりの喜びで、コウの救いだ。同じ時間をともに歩いていくその安心感を、いつでも彼女が与えてくれている。これからも一緒に、そう言えて、言ってもらえて、それがどれほど嬉しいか。
リオンがここまで長かったですね、とつぶやいた。それにコウは、くすりと笑う。まばゆい太陽を見上げて、
「でも想像していたより短くて、まだまだできていないことも多いよね?」
「本当に想像していたよりも短かったと思いませんかぁ?」
街外れに在るにはあまりふさわしくない(というか悪目立ちする)装いのミアキスが、足をぶらぶらと揺らす。大台に手の届こうという女のする仕草ではないと思うけれど、それを口に出すだけの勇気はない。
「そうですねー、そうかもしれないなー」
「陛下もコウ様もリオンちゃんもトーマ君も、みんなおっきくなっちゃってえ。陛下なんてもう昔みたいに駄々こねたりとかもあんまりしてくれなくなっちゃいましたし。コウ様もリオンちゃんも、ますますからかいがいがなくなっちゃってぇ」
そう言いながら、彼女は少し遠い目をした。あずき色に映るものはなんとなく想像がつく。
「それを思うと、あれこれ走り回ってるうちに時間が過ぎちゃったんだなぁって思うんですよぉ」
だから、まだまだやらなきゃいけないことはたくさんたくさん山積みなんですよねぇ。
ミアキスが困った顔でうなるのを、カイルは他人事のように微笑う。
「俺は自由にあちこち歩いて、みんなにもたまにしか会ってませんからねー」
「大変なときにいなくなっちゃった薄情者ですもんねぇ」
ねぇカイル殿? 笑顔でざっくりと突き刺してくる彼女に、言われたカイルは笑うしかなかった。どこまでも広がる空と、白く輝く太陽を細めた目で見つめながら、悩む。さてどう話題を変えようか。
隣に座るミアキスは今もなお女王騎士であり続けている。8年前、カイルが辞めたときと見た目もほとんど変わりない。笑顔も口調も何もかも。それだけを見ているなら、あれから年月が流れたのなんて忘れてしまいそうだった。太陽宮で過ごした時間が8年。今の暮らしを始めて、それも8年。同じだけの時間を過ごしたとは思えないほど、その長さは違っている。とはいえミアキスが言うのとは逆で、カイルは辞めてからの8年のほうがずっと長かったと、そう思うのだけれど。旅の空の下、その暮らしは日々忙しかったあの頃よりもずっとずっと、長く流れた気がする。
「……ねえ、ミアキス殿」
「なんですかぁ、カイル殿」
その呼び方も昔のまま変わらない、そう思いながら、考えたことを口にする。
「やっぱり俺は、女王騎士を辞めてよかったと思うんですよねー」
「あらあらあら? わたしにケンカを売るなんていい度胸じゃないですかぁ」
くすくすと、物騒なことをつらりと口にするミアキス。けれどその手が愛刀にかかることはなく、ただ楽しげに笑うだけ。さすがミアキス殿だなぁ、とカイルも薄く笑った。
「そんな怖いことはしませんよ。ミアキス殿には勝てませんてー」
「何言ってるんですかぁ。トーマ君から聞いてますよぉ、相変わらずケンカは強いそうじゃないですかぁ」
「ケンカは、ってなんか他はだめそうじゃないですかー」
「あらぁ、事実ですよねぇ?」
カイルはお手上げとばかりに肩をすくめた。変わらないのは見た目だけでも口調だけでもない、彼女と自分の関係も同じだ。きっと一生かかったって、一度も勝てずに終わるに違いない。ただ、それは変わってしまったカイルにとって嬉しいことで、決して忌むべきことではない。
「本当にミアキス殿は変わらないですもんねー」
「それはカイル殿もですよぉ? 立ち位置はともかく、ですけど」
「ともかくでもなんでも、ほんとに立ち位置だけは変わってよかったんですよ、きっと」
ミアキスは変わらず太陽宮でリムスレーアを守り、コウやリオン、トーマを見守る。カイルはコウとリムスレーアの代わりに、その目となって世界を見る。引きずる面影を断ち切りたくて飛び出した太陽宮だったけれど、今となってはその選択もあながち間違いではなかったと思えるのだ。飛び出した今もなお大切なひとたちの役に立てる。今度は何かが起こる前に、その手で厄を防ぐこともできる。
それだけ、自分自身吹っ切れたということなのかもしれない。
「あの頃も幸せだったけど、今もちゃんと幸せですしねー、俺」
「何言ってるんですかぁ。そんなの、当たり前じゃないですかぁ」
ミアキスがうふふと笑うのを見て、やっぱり彼女は変わってないなぁと、一緒になってカイルも笑った。再び見上げた太陽も、8年前と変わらない。
リムスレーアとトーマは、ふたり並んで空を見上げる。(隣に座らせるのにも難儀したけれど。本当に頑固者で困る!)
「わらわはよく思うのじゃ」
つぶやく。トーマがきょとんと首を傾げた。子どもじみた仕草だと、ふと笑ってしまう。最近ではそうでもなくなったけれど、以前は一生懸命に背伸びをしていた彼を知っているからこそ、笑いもこみ上げようというもので。もちろん、さらに幼い頃の彼女を知る兄やミアキス、リオンあたりならば、陛下だってそうだったと言うに違いないけれど。彼らは今ここにはいない。
そう、トーマの知らない、5年前よりもさらにずっと前。生まれてから失うまでの、あの幸せだった日々。
「かつて過ごした時がどんなに幸せであっても、過ぎ去った以上は二度と戻っては来ぬ」
「……そうだなぁ」
深く語らずとも、トーマはそれで察してくれる。それは彼が8年前の戦乱を知っているからだけでなく、一度手にしていたものを失くしたことがあるからだ。本来、そこはリムスレーアが甘えていいところではないけれど(それを王家の者として誰よりよく知っているからだ)、今だけはと言葉をつづる。
「失くした後、初めて迎えた新年はなんとも寂しかったものじゃ。1年前にはおった者たちがどこを捜してもおらぬというのはな」
言葉にしてから目を閉じると、思い出す。気丈に笑い、その裏で兄やミアキス、リオンに涙を拭ってもらったあの日のこと。忘れようにも忘れられない、寂しかった気持ちのこと。
けれど、とリムスレーアは微笑む。
「今はもう、そう思うこともなくなった」
「きちんと思い出に昇華できたってことか?」
「それもある。じゃがそれ以上に、今が昔と同じくらいに幸せなのじゃ」
彼女自身と兄のコウ、姉代わりのミアキスとリオン、同い年のトーマ、時折顔を見せてくれるカイルやガレオン。さらにはあの戦乱で兄とともにファレナを想ってくれた人たちも数多く残ってくれた。そして何より、ファレナの民は誰もが幸せに生きてくれている。失った代わりに新たに得たものが、新しい幸せをリムスレーアにもたらした。
もちろん、それはリムスレーアがかつてのような、昔を越えるような、そんな幸せをと願って、努力したからこその結果であるのだけれど。
「これからわらわがなすべきは、この幸せを守ることとその幸せをみなに返していくこと。そのためにも頑張らねばならぬ」
「そうだな。陛下が」
「誰が陛下じゃ」
つっこむと、トーマは頭をかきながら言い直す。
「……リムスレーア様が頑張るその手伝い、俺もちゃんと頑張るから」
やっぱりずっと幸せでいたいよな、と笑うその顔は、リムスレーアが初めて出会った頃の彼と変わらない。その笑顔が見れることもまた幸せだと、そう思いながらうなずいた。
「言質は取ったからな、トーマ。責任もって、ずっとわらわを手伝えよ?」
「もちろん」
これからの幸せを作っていくのは、他でもない自分たち。それを、リムスレーアもトーマも身に染みて知っている。
リムスレーアが立ち上がろうとするのを見て、それより先にトーマが立つ。リムスレーアはにやりと笑って、ずいと手を突き出した。トーマはぱちぱちと目を瞬かせて、それからその手を取る。
並んで立つと、トーマの目線はリムスレーアよりも高い位置にあることに気付かされる。だからどうというわけでもないけれど、ときどき悔しいと思うのは、いかな女王も年頃の娘だからなのだろうか。
「ミアキスがおらぬのならそなたが供をいたせ、トーマ。執務に戻る」
「はい、陛下」
歩き出すと、わずか後ろにトーマがついてくる。その気配をしっかりと感じ取りながら、リムスレーアは心も顔も引き締めた。齢18の少女ではなく、ファレナ女王国の女王として。
「まだわらわたちのやるべきことは山積みじゃ。未来にこの国を託すためにものう」
大人びたトーマの声が、はいと答える。彼にその背を任せて、彼女はその手の中の幸せのため、彼女にしかできない戦いをする。
威厳に満ちた女王の微笑は、輝く太陽に向けられていた。
今この時にもまだ先の未来にも、どうかただひとひらの幸せを。
幻水5ED後の太陽宮と+α(笑)
これから先歩きゆく道にどうか一片の幸いあれ、と願うばかり
[2007.1.7]