始まりの鐘(Before opening)

 暗闇に慣れた目に、無作法な招かれざる来訪者は薄い輪郭線をもつシルエットとして映っていた。晴れてこそいるが今宵の空に月はなく、カーテンの隙間から射し込む星明かりのみが光源で、輪郭程度しか浮き上がらないのである。
 しかし、それでも潜んだミアキスが侵入者を見分けるには充分だった。

(……とりあえず、勝負はここからですねぇ)

 隣室で待機しているはずの金髪の女王騎士(こんなときだというのに脳裏を過ぎったのはへらりとした笑い顔だった)を思い浮かべて、ミアキスは腰の小太刀に指をかけた。

「あらぁー? どうしたんですかぁ、カイル殿」

 それは昼間のことである。
 珍しく難しい顔をして歩いてくる同僚を見つけ、ミアキスはいつも通りに声をかけた。ぱっと顔をあげたカイルが、ああミアキス殿かと安心したようにへらりと笑う。
 ミアキスが女王騎士(見習い)になって1年とちょっと。短いとは一概に言えずとも、長いとはまだまだ言えない時間である。そんな中で一番接点の多い同僚が、ほぼ同時期に女王騎士となったカイルだった。いまいちつかみ所がない上に、あれこれと怒られるような行動(主にサボリと脱走)ばかりする女好きの問題児――ミアキスの見立てはそんなところである。それ以上でもそれ以下でもない、いつもへらへらと笑っているせいもあって、同僚としても信用するにはたっぷり30分ほど悩んでしまう。そのくらいに"微妙"なのがミアキスの中のカイルだ。だから眉間にしわを寄せて考え込むような人物ではないと信じ込んでいたので、少しばかり(本当にほんの少しだけ)驚いた。
 たかたかと笑顔で寄ってきたカイルが、あれとつぶやいてきょろきょろする。

「ミアキス殿、姫様と一緒じゃないんですかー?」
「そういうカイル殿も王子と一緒じゃないんですかぁ?」
「あー、王子はお勉強中ですから。で、ミアキス殿のほうは?」
「姫様はお昼寝中ですぅ。わたしはフェリド様に呼ばれたから、姫様を他の方にお任せしてきただけですよぉ」
「フェリド様に?」

 カイルの目が2、3度瞬いた。

「じゃ、フェリド様は執務室にいるってことですよね?」
「そうなりますねぇ」

 そっかー、とカイルは再び下を向いて考え始めてしまう。用事でもあるのかと思いはしたが、まあいいかとその場を立ち去るべく、それじゃあとにこりと笑ってカイルの横をすり抜けた。なんせミアキスには時間がない。早くしないと姫様が起きてしまうのだ。目を覚ました時にはそのそばにいなければならない。(なんせちっともじっとしていない姫様なのだ。)
 けれど歩き出してすぐ、カイルの声が追いかけてきた。ミアキス殿、そう呼ばれて再び立ち止まり、振り向く。

「俺も一緒に行っていいですかー?」
「いいですけどぉ」

 首を傾げながらもうなずくと、カイルはぱたぱたと走ってきた。
 並んで歩き出しながら、ちらりと隣の顔を盗み見る。いつも通りにつかめない笑みを浮かべていたけれど、それはいつもと違っているような気がした。なんとなく。

「すっごくちょうどいいですしね」

 言った顔を今度はきちんと見ると、カイルはやっぱり笑っていた。それはいつもの顔だった。

 侵入者は周囲に油断なく気を配りながら、部屋の中央へと進んできた。身のこなしといい気配の消し方といい、熟練した暗殺者のそれである。一切の隙がない。手ごわい。
 相手の実力も計算しつつ、飛び出すタイミングを計る。あまり窓へ寄られすぎても、扉に近すぎても、一足に逃げられる可能性がある。加えて、ベッドに近づかれればそれだけで異常を察し、退かれかねない。それでは意味がないのだ。

(陛下のお命を狙う不届きな人は、五体満足でなんて帰してあげないんですから)

 ミアキスはこっそりと、胸の中でつぶやく。
 カイルのフェリドへの用事、とは街でたまたま聞きつけたという(やっぱり今日も脱走していた)きな臭い話の報告だったのである。

「どこの誰なのかまではわからなかったんですけど、陛下や太陽宮のお話をしてたもんですからねー。最初はただの噂話かと思ったんですが、含みアリまくりのギョーカイ用語使いまくり。なーんか怪しいなーと思いまして」

 そう一息にすらすらと言い切ったカイルは、聞き間違いかもしれないですけど万が一ってこともありますから、と苦く笑った。
 やっと戦後処理から抜け出しつつあるのがファレナの現状である。戦いの残り香は色濃く、女王アルシュタートの命が狙われることも珍しくない。一時期に比べれば減ったとはいえ、まだまだその数は片手に余るのだ。疑わしいだけといえど、決して捨て置くことはできない。

「どうも、決行は今日のようですし。内々にこっそりと、警備の手を回しておいたほうがいいかもですねー」

 へらへらと言ったカイルの意見を汲み、フェリドはすぐさま決断した。有能な女王騎士長であり、極端な愛妻家のフェリドである。迷うはずもない。
 ――ミアキスがここにいるのは、そのためだ。フェリドの命でカイルとふたり、あえて敵を懐に飛び込ませた。確実に、女王暗殺の実行犯を捕らえるために。そしてその計画者を捜索するその時間を稼ぐために。ゆえに本来アルシュタートとフェリドの寝室であるはずのその部屋に、今夫妻の姿はない。アルシュタートは別室で休んでいるはずだ。
 その、ターゲットである暗殺者を前にして、ミアキスは心臓がどくどくと音を立てるのを聞いていた。緊張ではなく、戦闘前に訪れる高揚感だ。
 自分の腕に慢心はしないが、もともとミアキスの得物は小太刀。振り回すための広さを必要としないため、室内でも充分に戦える。手ごわい暗殺者が相手でも、2対1の場面で早々取り逃がす気はなかった。
 ただ気がかりもあった。カイルとのコンビネーションである。
 普段王女リムスレーアの専属護衛をつとめるミアキスと、王子ティカの専属護衛をつとめるカイルは、必然的に顔を合わせることは多い。けれどこうして一緒に任務に取り組むというのはないことで(ふたりの役割を考えれば当たり前のことだ)、いわばぶっつけ本番である。もちろんミアキスとてプロであるから、普段の訓練などでカイルの太刀筋やクセなどを見て知ってはいる。けれど、実戦ともなれば話はまるで変わってくるのだ。女王夫妻の私室を血で汚すわけにはいかないから、敵も自分も無傷で、その身柄のみを取り押さえなければいけない。それには完璧なチームワークが要る。

(カイル殿の腕を疑うわけじゃあないですけどぉ)

 やはり、ぶっつけ本番とは豪気なミアキスとて緊張する。

(それに)

 あのへらりとした顔を思い浮かべた。
 そもそもだ。彼のもってきた情報の信憑性はどれほどあったのだろうか。実際問題、暗殺者はこうして侵入してきていて、彼が昼間聞いたという情報はウソではなかったけれど。
 完全な平和とはいえない現在は疑わしきは罰せざるを得ないことくらい、ミアキスだってわかっている。むしろ、女王の身を守る者として、それは当たり前のことだ。できうる限り先を読み、手を打ち、事件そのものを封じ、ときにわざと事件を起こさせ捕縛する。すべては女王の、ひいては女王の守る国のため。打てる手はすべて打ち、できることはなんでもする。女王騎士の常識である。
 しかし、それを入手した時間と場所が問題なのだ。ミアキス自身、それほど真面目でかっちりとしたタチではない。生真面目にすぎるアレニアがイラつくほどに。その辺はわかっているけれど、直す気などさらさらない。それが自分の持ち味だと思っているし、締めるべきところは締めているから、なんら問題はないと思うからだ。だからこそ、さすがに職務中脱走するなんてマネはしないし、するつもりもなかった。
 城砦都市で育ち、竜馬騎士を間近に見てきたミアキスは、持ち場を離れることの重大さを知っている。

(わたしもけっこうアバウトですけどぉ、あれはどうかと思うんですよねぇ)

 カイルの剣の腕に関しては、疑う余地などない。彼の癖も知っている。それでいて、彼と息のあったコンビネーションを組む自信がない(ミアキスにしては珍しく!)のは、単純に彼を信頼しきれないというただ一点のためだった。

 暗殺者が、部屋の中央に到達した。
 今だ。身体は瞬時に反応し、ミアキスはそこから"飛び降りた"。

「させませんよぉ!」

 叫んだのは、扉の外で待機しているカイルへの合図。
 暗殺者が天を仰ぎつつ、即座に飛びのく。寸前までその身があったところに、ミアキスが音もなく着地した。その手にはすでに抜き放った小太刀があり、わずかな光の中に輪郭をさらしている。暗殺者も武器(黒く塗られた刃)を抜いていて、数歩分の距離をあけたミアキスと暗殺者はそのまま対峙した。頭上でじゃらじゃらと豪奢なシャンデリアが揺れる。
 このくらいの距離なら、少し踏み込めばすぐに自分の間合いに持ち込める。計算しながら、ゆったりと構える。暗殺者の背後に扉が見えた。開く気配はない。カイルは気付いていないのか。――それとも、持ち場にいないのか。

「陛下を狙うような不逞なひとは、ここで成敗してあげちゃいます」

 内心の不信感を表に出すことなく、ミアキスは不敵な笑みを浮かべた。ひとりででも、目の前の敵を倒さなければならない。それが女王騎士の役目。
 倒すだけならばまだ簡単なのにと、少しだけ思いながらもミアキスはじり、と前に出る。

「!」

 暗殺者が床を蹴った。厚手の絨毯に音は吸い込まれ、無音のままに。
 瞬時に詰まった距離の中、突き出された暗殺者の刃を右手の小太刀で受け流し、左の小太刀で伸びてくる暗殺者の拳打をはじく。同時に右足を振り上げる。敵が一歩後退。かわされた両腕を引き戻して再び攻撃に転じる敵の、その懐へ飛び込んで左肩であて身を入れた。しかし重心を後ろへずらされ、手ごたえがない。何かが振り下ろされる気配を感じて、小太刀で身を守りつつすぐさま身を引く。
 時間にすれば、30秒にも満たない攻防である。

「あらあらぁ、そんな腕で陛下の命を狙ってたんですかぁ?」

 敵の間合いのわずか外で、ミアキスはにやりと笑った。セリフの中身は挑発そのものだったけれど、そんなつもりは毛頭ない。暗殺者を挑発するなど、何の意味もないのだ。
 ただ、事実としていまだ見習いのミアキスにあっさりと懐へ飛び込まれてしまうような、そんな実力で女王を暗殺しようなど、

「おへそでお茶がわいちゃいますよぉ」

 である。通常、この部屋は警備の兵士(もちろん精鋭で、女王騎士には及ばずともそこらの暗殺者に簡単にやられたりはしない)と女王騎士が守っており、加えて中には超のつく一流の武人であるフェリドがいる。もともと今日は様々な事情が重なって人手が足りず、警備をゆるめざるを得なかったが、女王の部屋の警備はそれで甘くなるような類のものではないのだ。フェリドは他の女王騎士が束になってかかっても倒せないような、凄まじい実力の持ち主なのだから。
 ミアキス程度にあっさり懐へ飛び込まれるようでは、一発ぶん殴られておしまいである。

「今度はこっちから行きますよぉ!」

 両手の小太刀を左右に構え、間合いを詰める。
 左に動きながら伸ばされる敵の刃を左の小太刀で受け、止めたままで右で顔面を狙う。避けられて、ミアキスの一撃はかすりもしない。が、もともとこれはフェイクのつもりだ。
 避けたがためにほんのわずか、後ろに逃げた重心。それを利用するべく、後ろから前へ足払いをかける。ミアキスの体勢も不十分だから、さすがにそれで倒れるほど悲しくはなかったけれど、バランスを崩すのには有効で。敵の身体がぐらりと揺らぐ。

「せぁっ!」

 それに合わせて気合一発、今度こそ当身で敵を倒そうとする。
 ――けれどその瞬間、嫌な予感が背筋を走り抜けた。

「!!」

 ふと見た先に、黒く細いもの。敵の左手にあるそれは、視認しづらいけれど、針か何かのようだった。黒く塗られているにも関わらず、妙な光り方をしているのは、その針先に何かが塗られているからに違いない。
 仕込み針かと、即座に認識はできたものの、体勢が体勢である。完全に避けるのは難しそうだった。
 最後の最後でと自分の甘さに舌打ちのひとつもしたくなった、そのとき。

「ミアキス殿、右!」

 背後から声が飛んできた。それが誰なのかを認識する前に、ミアキスの身体は動く。右へずれた彼女の影から長いものが突き出され、敵の手から毒針を叩き落としたのを、とりあえず彼女の目はしっかりと見ていた。ほんのわずかな敵の動揺の気配も感じていた。
 救いの手が誰のものかなどどうでもよかった。ただ、動揺によって生じたわずかな隙は、仮にも女王騎士(見習い)に名を連ねるミアキスにとっては大きな好機で。
 即座に後ろに回りこんだミアキスは、左の小太刀の柄で敵の首後ろを突いた。びくんと一瞬伸びた暗殺者の身体が、そのままくたりと崩れ落ちる。
 そのまましばし、様子をうかがう。

「……終わりましたねー」

 言ったのはミアキスではなかった。敵の手から起死回生の(そして一撃必殺の)針を叩き落とした、あの声の主。それはミアキスがよく知っている声だった。
 小太刀を鞘へ納め、ミアキスはぷぅと頬を膨らませ、彼を見る。

「遅いですよぉ、カイル殿」

 やはり抜いていた愛刀(毒針を叩き落としたのはこれだった)を鞘へ戻しながら、カイルはあははと笑った。

「ごめんねー、ミアキス殿」
「ごめんで済んだら衛兵さんは要らないですぅ」

 気絶した暗殺者をどこからともなく取り出したロープでぎりりと縛り上げながら、ミアキスはじーっとカイルを見る。やっぱりカイルはへらへらと笑っていた。

「カイル殿、どこ行ってたんですかぁ? おかげさまでわたしはひとりで頑張らなくちゃいけなかったんですよぉ?」

 少しばかりの恨みを込めて、言う。カイルはえーととつぶやいた。そのときの顔が、いつもと違う笑い方をしているような気がした。

「ミアキス殿には申し訳ないと思ったんですけど、実はずっとここにいたんですよねー」
「……ここ?」
「ここです」

 ミアキスは数秒考える。

「ここって、要するに部屋の中にいたってことですかぁ?」

 カイルがごめんねーと再び謝った。伸びかけの金髪をぐりぐりとかきまわしながら、少し苦笑気味に。

「ミアキス殿が来る前から、実はこっそりとー」

 ちらり、と視線で背後を示す。そこには女王夫妻のベッド。その向こう側にはわずかに空間があって、入ってきてかなり近づかない限り、完全な死角になっている。そこに隠れていたらしい。ミアキスも一度はそこに隠れようかと思ったのだが、飛び出しにくいからと最終的にはシャンデリアの上を選んだ。
 けれどまさか、隠れ場所の候補だった場所に、最初からカイルが潜んでいたなんて。

「気配とか、ぜんぜん感じなかったのにぃ」
「頑張って消しましたからー。ミアキス殿に気付かれちゃったら意味ないですし」

 カイルはにやりと笑って、

「敵を騙すにはまず味方から、ですよねー」

 と言った。ミアキスの心臓がどくりと音を立てた。今度は高揚感とも違う。緊張でもない。カイルはそんなミアキスの内心になど気付かず、女の子を騙すのは気が引けたんですけどねーと笑いつつ、さらに付け足す。

「それに、送り込まれるのがひとりとは限らないじゃないですかー。こいつならミアキス殿ひとりでも充分相手できそうだったし、他が来ないか様子見てたんですけど」

 さすがに危なかったんで手ぇ出しちゃいました、とまた笑う。へらり。
 ミアキスは思わずきょとんとしてしまった。心臓は相変わらずどくどくと音を立てている。他がいるかもしれない、とは考えもしなかった。部屋の外にも気配はなく、侵入してきた暗殺者にもそういった様子は見られなかった。だから、敵は目の前のひとりだけだと思っていたのだけれど。

「陛下の安全のためにも、やっぱ根こそぎずばっといかなきゃですよねー」

 言いながら、カイルは相変わらずへらへらと笑っている。笑っている、けれど。

「あーあ」
「どーしたんです、ミアキス殿」

 猿轡(自殺防止用)をかませて、ミアキスは首を振る。心臓はあっという間に静まって、今は普通にとくとくと脈打っていた。カイルが首を傾げるのを横目に見ながら、

「わたしもまだまだですねぇ」

 それだけ言う。どうせ本当の意味はわからないだろうけれど、構わないのだ。
 カイルを信用するか否かはすべてミアキスの心ひとつで、彼には関係ない。こっそりと持ち場を離れて抜け出すのはやっぱりほめられたものじゃないと、今でも思う。けれど、それでも彼は彼なりに考えてることがわかったから、もういちいち気にしない。ミアキスがミアキスらしくあるように、カイルがカイルらしくあるというのはきっとそういうことなのだろう。

「それを理解するのに、ずいぶん遠回りしちゃったかなぁ」
「遠回りって……何がですー?」

 予想通りにカイルが相変わらず不思議そうにしていて、それが楽しかったからとりあえずはそれでいいと思う。
 そのうち、気が向いたらちょこっとだけ謝っておこうかなと思いつつ、暗殺者を引きずって歩き始めた。

「そうそう、ミアキス殿ー」
「なんですかぁ?」

 歩き始めた矢先、昼間のように呼び止められる。足を止めて振り向くと、カイルがひらりと手を広げて見せたので、今度はミアキスが首をかしげることになった。

「お疲れさまー」

 カイルがまたへらりと笑う。その意味を瞬時に理解して、ミアキスもにこりと笑った。とりあえず打算抜きで。

「お疲れさまでしたぁ」

 カイルの手のひらにミアキスの小さな手がぶつかって、ぱんと明るい音を立てた。

前のサイトの2周年記念フリーだったもの幻水5編
タイトルはDelittoさま(閉鎖)でお借りしたお題より
執筆時のイメージは暗闇と手探り、でした
あ、うちの王子はコウなのにこれだけ名前違うのは、相方と合わせたからです
[2007.4.16]

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