裏切ったつもりはないよ、と言う彼女の顔は、その言葉がすべてでないことを物語っていた。
「あたしはあんたたちの味方じゃない」
暗いアメジストが鋭い一瞥を投げて寄こした。
もっとも、ギゼルがそれで気圧されるわけもなく。その輝きをただ美しいと思いながら笑みを浮かべる。
「ええ、わかっていますよ」
その笑みが癇に障ったのだろうか。
かつての妹姫は眉をしかめて不快を露にする。そう言えば彼女が笑ったところなど久しく見ていないと思ったけれど、すぐにどうでもいいと思考の隅へと押しやった。それは重要なことではない。
ソファにもたれて脚を組み、正面をこちらへ向けることなく。ただ視線だけを向けてくる彼女は、形の良い唇からナイフを紡いで放つ。
「あたしはあんたたちを恨んでるんだ。破滅させてやろうって考えてる」
「でしょうね。貴女にとって私たちは先代陛下の仇ですから。……たとえ、真実がどうであろうとも」
「……ギゼル」
彼女が低い声でつぶやいても、ギゼルは表情を崩さない。誰に何と思われようと、己の思う道はただひとつ。誤解を抱かれたとてかまわない。大切なのは道を貫くこと。この手で望みをかなえること。
たとえ、それが自身のずっと愛し続けてきた女(ひと)、であったとしても。
だからギゼルは、その顔を真正面に見つめて、知らぬものが見れば穏やかと評すだろう笑みをもう一度浮かべた。
「私も父も、この国を思うがゆえにこうして立った。何者を犠牲にしても、今さら謝ることも立ち止まることもないのですよ」
――立ったことは間違っていない、正しいのだと思っていますから。
放つ言葉にますます歪められていく彼女の顔、それでもなお美しいと思うのは。やはりそれは愛するがゆえなのだろうか。
「無論、できることならば貴女にもご助力いただきたいのですが」
「利害が一致しなきゃ何もしやしないよ、あたしは」
「……そう言われると思っていました。残念なことですが」
肩をすくめて見せれば、彼女はどうだかと鼻で笑う。
「本当に残念だと思ってんのかい? とてもそうは見えないけどね」
「もちろん、本心です。先代陛下の妹君、そして現陛下の叔母上。そのお方のご協力を得られるなど願ってもないこと」
「そんな肩書き、当の昔にどっかへ消えたよ」
淡々とした声がわずかに震えていたような気がした。そしてそれは間違いなく、気のせいなどではない。
誰もが強いと言っていた彼女という女(ひと)。そんな賛辞を聞くたびに、ギゼルは心の底で笑っていた。確かに彼女は強い。大切なもののためにならば自身が泥をかぶり、後ろ指をさされて嘲笑されたとて厭いはしない。……そう、それを強さと呼ぶならば、彼女はとてつもなく強いのだろう。けれど、それが彼女の全てではないこともまた事実。
「今のあたしはただの裏切り者さ。……それをわかっててそういうセリフを口にするなんて、本当に嫌な奴になったね。あんたは」
この女(ひと)は、寄る辺なくひとりで立つことなどできはしない。
幼い頃から常に誰かと一緒であった彼女は、孤独になどなりようもなかった。自ら断ち切ってきたという今でさえ、その心は亡き姉や義兄、その忘れ形見の兄妹、今は離れた地にいる元女王騎士たち(本人たちは元だなんて思ってはいないのだろうが)の存在に支えられている。決して甥たちを裏切ってなどいない彼女の心、知らぬ者が見れば裏切り以外の何物でもないその行動。矛盾した評価をぶつけられても立っていられるのは、彼らがいるからに他ならない。
彼らのために、……彼女を突き動かしているその思いが無くなれば、彼女は崩れ落ちてしまうに違いないのだ。
自嘲めいた言葉に、つとめてか自嘲の色を滲ませることなくつぶやく彼女の様は、その予想が真実だと裏付けている。けれどギゼルは、そんなことなど知らないかのように装う。それが今の自分、だ。
「それは今の私にとって、何者にも勝る褒め言葉ですよ」
「言ってな」
呆れたように吐き捨てる。これで話は終いだと、言外に言うかのような口調だった。そして実際、ソファに沈めていた身を立たせて、そのままこちらに背を向けてドアのほうへと歩き去る。
ドアノブに手をかけ、そこで足を止めた彼女は、思い出したように顔を上げた。……こちらを振り向くことはないままに。
「……ま、せいぜい利用させてもらうよ。あたしの目的のためにね」
「貴女に利用されるのならば、それは本望というものですね」
わずかにその肩が震えて、けれどやはり振り返らずに、彼女は部屋を出て行った。
ドアの閉められた部屋にひとり残され、ギゼルはふっと笑う。彼女の前では決して見せることのなかった、自嘲の笑み。
「そう、私は本望なんですよ。貴女の望みがかなうのだったら」
それが他の誰を犠牲にしても。
犠牲になるのが、この身、自分自身であったとしても。
――結果、貴女とかつてのように語らうことも笑い合うことも、何もできなくなるのだとしても、今なお愛し、焦がれてやまない貴女の望みのためならば、それは厭うようなものではないのだ。
ギゼルはずっとサイアリーズを愛し続けてたんだろうなー
そして素直だからこそ、きっとこんなふうにしかできなかったんだ
[2006.5.1/2009.9.8 修正]