いまそこじゃないどこかで

 どちらからともなく飲み始めた酒は、いつの間にかすごい量になっていた。
 部屋のあちこちに酒瓶(でかいやつ)が転がっている。もちろん悉くカラなわけで、半分は彼自身が、残りの半分は目の前の彼女が、ぺろりと空けたものだった。でも、それは珍しいことなんかではなく。
 こと酒に関して言えば、自分たちは俗に言うところの"ザル"(というかむしろ彼女のほうはワクといったほうが正しいと思う)というやつである。グラスを片手に話し込めば、瓶の5本や10本程度、短時間で軽く空く。
 戦争の間はしばらく控えていたとて、飲むペースは相変わらず。顔色も変えずに話し続けて夜を明かすこともざらで。どちらかがつぶれるならば、間違いなく彼女ではなく、自分のほう。……だから、今日もそうなのだと、思っていたのだけれど。
 グラスを傾けながら、ちらりと向かいの同僚を見やる。
 目が合った瞬間、彼女はにこぉ、と微笑んだ。顔がわずかに赤い。

「どうかしましたぁ〜? カイル殿」
「いやー、なんでもないですよー」

 笑顔を返しておいて、カイルは内心、珍しいこともあるものだと明後日のほうへとため息をついた。
 彼女と話がしたかったのだけれど、それはちょっと無理なのかもしれない。

「あー、風が気持ちいいですぅ」

 外の空気が吸いたい、というミアキスに付き合って屋上へと出た途端、彼女はのんびりとそんなことを言った。
 彼女は本当に酔っているらしかった。おぼつかない足取りで、端のほうへと歩いていく。飾りたすきが風に揺れるのと一緒に、彼女の身体も揺れていて、危なっかしいことこの上ない。落ちては困ると一歩後ろをついていった。
 静かなものだ、と思う。
 時折吹く風と、二人の足音以外、音はない。戦の後の騒ぎも収まり始め、ソルファレナの夜はかつてのような、穏やかな静けさを取り戻している。一度失いながらも、取り戻せたもののひとつだ。
 でもこれを、ここで見るのは今日が最後になる。
 明日、カイルは女王騎士の位を返上する。辞めて、ただの剣士に戻る。
 それはもうリムスレーアやコウゼウィート、さらにはリオンにまで告げてあった。散々引き止められたけれど、カイルの気持ちは変わることなく。そしてそれをコウゼウィートも察し(カイルの真意に気付いたようだった)、許してくれた。最後までリムスレーアはゴネていたけれど。
 そのとき、同じ場にいながらも何も言わなかった人物が一人いた。それが、今目の前でふらついているミアキスなのだけれど。

 ――ほらほらぁ、姫様がダダこねちゃうとカイル殿にあきれられちゃいますよぉ?
 ――むむ……カイルなぞに呆れられるのはいやじゃな……
 ――え、あの姫様、カイルなぞって……俺も軽く傷ついちゃったりするんですよー
 ――じゃあ、素直に見送ってあげちゃいましょう、姫様
 ――ちょっ、ミアキス殿
 ――ねー、姫様ぁ?

 心に微妙なダメージを食らわす言い草ではあったけれど、ミアキスはただ後押しをしてくれた。いつもどおりの笑顔で。
 背を向ける彼女は今もって、変わらない笑顔でいるのだろうな、少し淋しく思う。それがミアキスだから仕方がないのだけれど。
 ……そんな考え事の真っ最中に。

「わー」

 気の抜けた声とともに、目の前のミアキスが消えた。

「え!? ちょっ、ミアキス殿どうし」
「きれいですねぇ」

 慌てるカイルを尻目に、ミアキスはのんびりとつぶやいた。
 何かと思えば彼女はぺたりとその場に座り込んだだけで。それが突然であったから、彼女よりもずっと背の高いカイルの目には、その姿が消えたように見えた、というだけのことらしい。それで慌ててしまう程度に、やっぱり自分も酔っているのかもしれない。
 ミアキスは顔を真っ直ぐ上へ向けていた。
 顔をのぞきこむと、邪魔ですぅ、とあっさり言われた。いくら酔っ払ってるとはいえ、ちょっとショック。

「カイル殿がいたら見えないですぅ。星見てるんですからぁ」
「星?」

 彼女の言葉につられて、カイルも空を見上げた。

「こりゃすごいなー」

 思わずもれた感嘆の声。
 満天の星空とはよく言ったものだ。昼間の、あの陽光の欠片をばら撒いたみたいに、きらきらと光る星の輝き。おかげで見える範囲の全てが明るい。ファレナらしい夜だと思う。いつでも明るいこの国らしい、明るい夜だ。
 そう、太陽を冠する女王とその一族の国。
 偉大な女性たちが愛した国。
 不意に、その光と最後に見たあの銀の煌く色が重なって、胸が締め付けられた気がした。

「なんか、ぜんぜん知らない場所にいるみたいですねぇ」
「……へ?」

 突然のミアキスの言葉。一瞬理解できなくて、ぽかんと口を開けてしまった。色男にあるまじきかな。
 さぞやマヌケな顔をしてるんだろうなと思いながら、星を見上げる彼女に視線を向けた。

「こうやって見てると、ぜんぜんファレナじゃないみたいですぅ」

 一瞬、反応できなかった。
 考えていたのとまるで反対のことを言われて。頭の中で大波がぶつかりあったような、そんな大きな衝撃が、カイルの思考を麻痺させる。
 そんなカイルの内心などどうでもいいかのように(実際彼女にとってはどうでもいいのだろうけれど)、ミアキスは語り続ける。

「戦があろうとなかろうと。いつでもファレナは太陽に見守られてますからねぇ。だから、あんまり星って意識したりしないじゃないですかぁ」

 この国に生まれ育った者ならば、誰もが思うファレナのイメージ。太陽の紋章に象徴されるもの。

 "大河の如き慈愛と太陽の如き威光をあまねく示さんがために"

 その言葉の示す通り、ファレナは大河と太陽の国。当然のことながら、真昼の煌く世界の印象が強い。夜ですら、その太陽の化身たる女王が、ひとの心にまばゆい光をもたらしている。
 星に思いを馳せたとて、それが全てになることなどめったにあることではない。女王に仕える身ともなれば、それこそ言うまでもないことだ。

「だから、星ばっかりって、ファレナじゃないみたいですよねぇ」
「確かに、そーゆー見方もできるかもだねー」
「ファレナじゃないとこにいるわたしって、何をしてるんでしょうねぇ」
「ミアキス殿はどんなとこでもかっちり生きてけそうだよねー」
「失礼ですよぉ、カイル殿」

 あなたには言われたくないですぅ、とむくれられてしまって、カイルは困ったように後ろ頭をかいた。これだから酔っ払いは、という思いが無きにしも非ず、だ。

「でもきっと、そこではわたし、女王騎士じゃないんですねぇ」
「そりゃまあ、そーでしょーねー」
「女王騎士じゃなかったら、きっと言いたいことをもっといっぱいずばずば言ってますよぉ」
「……それ以上、誰にずばずば言うんです?」
「決まってるじゃないですかぁ。カイル殿にですよぉ」
「これ以上言われたら俺、すっごく泣いちゃうと思うんだけどなー」
「失礼なカイル殿はいっぱい泣かされちゃえばいいんですぅ」

 今度はきゃらきゃらと笑い出す。言われた中身が中身なのに、その笑顔がやけに輝いて見えてしまって。自分もいい加減に末期かなぁと、ちょっと苦笑いしてしまった。そうでなければ、やっぱり想像以上に自分も酔っているということだろう。

「あのですねぇ、カイル殿。今日はわたし、酔っ払っちゃってますからねぇ」
「……うーん、リアクションしづらいなー、そのコメント」
「酔っ払っちゃってますから、何言ったってお酒の勢いですよぉ。ちゃーんと、わかっといてくださいねぇ?」

 上向きに指を突きつけられて、なにやら意味もわからぬままにうなずく。ミアキスはにこりと笑って、

「わたしも、姫様たちと同じ気持ちですよぉ」

 さらり、と言った。
 思わず動きが止まったのは、きっと仕方ないことだった、と思う。

「……え?」
「寂しくなっちゃいますぅ。イジメがいのあるひとが減っちゃいますしぃ」
「え、そっち? ていうか減っちゃうって何ですかミアキス殿ー?」
「そこは聞き流していいとこですぅ」

 いやダメでしょ、と言いたかったけれど。喉元まで来た言葉をぐっと飲み込んだ。こんな些細なことでミアキスに逆らって、戦を生き延びたこの命、ここで散らしたくはない。
 それにわかっている。大切なのはそこじゃない。

「女王騎士もガレオン殿もゲオルグ殿も辞めていなくなって、残ってるのは今のとこ、わたしとカイル殿と見習いのリオンちゃんだけ。……ほんとに、3人だけ」
「……そー、ですね」
「あとは姫様と王子と。……みんなみんな、いなくなっちゃって」
「次は俺、ですもんねー」
「……わたし、また会いましょうとか元気でとか、ぜぇったいに言いませんよぉ。そんなの、言ってなんてあげないんですからぁ」

 脚を前に伸ばして、じたばたと動かしながら。意地を張っているのかはたまた自分に言い聞かせるのか、ミアキスはかみしめるようにつぶやいた。
 カイルは何も言わない。ここから去りゆく自分に、何が言えるというのだろう?
 ただ、だからか、とは思った。彼女が酔っ払った理由。……いや、酔っ払ってくれた理由。彼女は、

「わたしだってカイル殿に行ってほしくなんてないんです。……わたし、だって」

 ミアキスの肩が小さく揺れる。
 何かを押し殺した声と口調が、ひどくカイルの心に響いた。心に染みていく強い切なさで、胸が痛む。いつも朗らかで、ぴんと張っている華奢な背が、いつになく弱く寂しげに見えた。
 彼女は酔ってなんかいなかった。やっぱりカイルよりもずっと強い。けれどきっと、思っていたよりずっと弱い。
 星の瞬く音が聞こえそうなほどの沈黙が降りた頃、ミアキスは再び口を開いた。

「……カイル殿」
「なんですー?」
「ひとつ、酔っ払った同僚さんのワガママ聞いてくださいぃ」

 決まりきった言葉の代わりに、とミアキス。
 いいですよ、と答える。と、彼女は肩越しに、右手を伸べるようにカイルへ向けた。

「握手、してほしいですぅ」
「あくしゅ? ワガママって、それですかー?」
「そうですよぉ。ほら、カイル殿」

 催促するかのように、手のひらをびらびらさせる。子どものようなしぐさとワガママと呼べない望みに呆気にとられながらも、カイルは一歩近づいて、揺れるその手をとった。思いのほかに小さく、線の細い手を優しく握ると、ミアキスはありがとう、と言った。

「同僚からのワガママはこれだけにしときますからぁ、姫様のワガママには少し譲歩してあげてくださいねぇ」
「姫様の、って……ああ、残れってアレかー」
「それですぅ。残れとは言いませんけど、たまには会いに来るとかしてくださいよぉ? 姫様だけじゃなくて、王子やリオンちゃんも待ってるんですからぁ」
「えー、ミアキス殿はー?」

 半ば冗談交じりに言えば、ミアキスも冗談交じりに言う。

「いちおう、待っててあげますぅ」
「……いちおう、ですかー」

 顔を見合わせ、二人で笑う。声を上げて、でも他のひとを起こさないように、ささやかに。

「じゃあ、譲歩の代わりに俺のワガママも聞いて欲しいかなー」
「ひと一倍のワガママ言ってるひとが何言ってるんですかぁ?」

 ワガママかー、と苦笑いすると、ミアキスはワガママですよぉ、と満面の笑み。
 彼女は知っているのだろう。カイルがソルファレナを、太陽宮を去るその理由を。
 心のうちに眠る、もう戻らないひとの面影が、あまりにここは強すぎる。
 それをワガママだと言うミアキスが、らしすぎて嬉しい。下手に気を使わず、あっさりと突き放すそのいつもの姿が、あまりに好ましくて、カイルは少しだけ泣きたくなった。空を見上げ、星をその目に映して、涙をこらえる。今ここで泣きたいとは思わなかった。彼女に涙を見られたくはなかった。
 川を渡ってきた風が、さらりと顔をなでていく。浮かびかけた涙もさらわれていけばいい。
 そんな時、それじゃあ、とミアキスが言った。慌てて顔を下げる、と彼女はすでにこっちを見てはいなくて、少しうつむいている。それは考え込んでいるように見えた。

「きちんと会いに来てくれるのなら、いっこだけ、お願い聞いてあげますぅ。……なんですか」

 誰に、とは言わない彼女の声音が、わずかに変わる。いつもと変わらぬ雰囲気の中に、母か姉のような(逆立ちしたって自分のほうが年上だから、こう言うときっと怒られるに違いないが)優しさをひそませた声だった。
 それに促されて、けれど一度ためらって。それからカイルは微笑った。彼女の好意に甘えて。

「抱っこして欲しいんですけどねー」
「……カイル殿、最後の最後でスケベですかぁ?」
「スケベって……」
「カイル殿が言うと無条件でやらしく聞こえるんですよぉ。知らなかったんですかぁ?」

 言いながら、ずりずりとミアキスは座ったままでこちらへ向き直る。星明かりの下、けれど自分の影になる位置にいる彼女の顔は、暗くてよく見えない。……見えなくて良かった、と思う。
 ミアキスはこちらを見上げて、ぐい、と羽織の裾を引っ張った。座れ、と目で言われ、そのとおりに腰を下ろす。

「で、スケベなカイル殿は、ちゃんと来てくれるんですよねぇ?」
「来ますよー。姫様やリオンちゃんがどんな美人になるか楽しみだしー」
「フェイタス河の冷たぁいお水の中へ旅に出ますかぁ?」
「やだなー、冗談だってばミアキス殿ー」

 にこりと笑って指を鳴らす彼女。背筋に寒いものを感じて、カイルはぶんぶんと手と首を振りまくった。この寒さ、夜風のせいなんかじゃない。絶対。

「ふつーに、王子のこととか気になりますし。たまには、ソルファレナへ来たりもしますよー」
「じゃあいいですぅ」

 言うと、ミアキスは抱きつくようにして腕をまわしてきた。お願いをかなえてくれる、ということらしい。
 取り込んだ酒精なんてとうに抜けていておかしくないのに、彼女の身体は外にいたとは思えないくらいにほんわりとあたたかかった。

「みんな、待ってますからねぇ。約束守ってくれなかったら、オボロさんにお願いして探してもらって、わたしと姫様と王子とリオンちゃんみんなで追いかけて行って、ぐるぐる巻きでフェイタス河に沈めちゃいますからぁ」
「……ちゃんと来るから沈められたりとかは勘弁して欲しいなー」

 苦笑いすると、ミアキスはうふふと笑う。

「……わたし、女王騎士になったこと、すごく良かったと思ってるんですよぉ」
「でしょーねー」
「姫様の側に仕えられて、王子やリオンちゃんと一緒にいられて、他にもいろんなひとと出会えて」
「そーですねー」
「その中にはちゃーんと、カイル殿も入ってますからねぇ?」
「それは嬉しいなー」

 普段、感じられることはあっても聞けることのないミアキスの想い。それはひどく耳にも心にも優しい。
 そっと、空きっぱなしの両手をミアキスの背中へやった。腕の中で、ミアキスが一瞬きょとんとした。気配でわかる。それに構わず、カイルはつぶやく。

「俺もねー、女王騎士になったこと、後悔なんかしてませんよー」

 その出会いが悲しみを呼んだけれど、その前にも間にも、楽しいことだってたくさんあったから。
 ……今だってこうして、後ろ髪を引かれる思い、というやつであるわけだし。

 少し間をおいて、彼女がくすりと笑った。そして、そんなの聞かなかったみたいにやっぱりスケベですぅ、と言った。いつものように。
 だから、そーですよすけべですよーと開き直って、カイルもぎゅっと彼女を抱き締めた。

 いまそこじゃないどこかにいる、その間だけでも。

ミアキスは姫様が一番で、カイルはあのひとのことがずっと心に残っているのだけど
でもお互いに淡く想っていればいいとおもう
……そんなEDネタバレ・カイミア(?)話でした
[2006.4.2/2009.9.8 修正]

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