月影舞い笑う

 その日はとことんついていなかった。
 社長に肩を竦められ、鉄面皮の上司にはあからさまにため息をつかれ、2年経っても落ち着きのない後輩には五割増でぎゃんぎゃんと噛み付かれ。あげく、無口な相棒はフォローをしてくれなかった。最悪だ。
 仕事はいつも通りパーフェクト。もちろんそれは自分の美学に沿った上での"完璧"であるけれど、基本的に職務上の大原則からは外れていないはずだった。ましてや彼の美学と気まぐれ(ときに命がけ)は仕事でなすべきことから逸脱したことなど一度もない。かつて負わされていたあの女の捕獲の任務だって、上司から命じられた言葉の裏をしっかりと読み取ってある意味"完璧に"こなしていたのだ。今回だってそうだった。なのに今日に限って、呆れられちまうだなんて!(上司命の後輩の小言は除外。あれは今に始まったことじゃない。)
 仕事を終えたそのあと、プライヴェートとは言えなくとも完全に職務中とも言えない微妙な空白。その時間にかつて知っていた人間の墓(じゃないけど墓みたいなもの)参りにちょいと寄り道をして、ついでに墓碑前でたむろして良からぬこと(誘拐とか)を考えていたやつを殴り倒したことの何が悪いのか。

 どうにもすっきりしないものを抱えたまま、レノはいつも通りに帰路についている。気分的にどうせなら真っ暗なほうがよかったのに、そんな日に限って月は煌々と照っていた。覆い隠してくれそうな雲も見当たらない。家に帰るまで、真っ暗、はお預けらしい。ますますもって、なんてこった!
 まあささくれた気分はまた別としても、月明かりが落ち着かないのは本当のことだった。今まで一度だってそんなことはなかったのに、ほんのりと金色を帯びた光がまるであざ笑っているように思える。嫌すぎる。
 けれど何より嫌なのは、自分のことだというのにその原因がまるでわからないということで。

(まあでも、)

 まるでと言うと語弊があるかもしれないか、とひっそりと心の中でつぶやく。何かが出かかっている感覚はあるのだ。原因を自分は知っている。けれどそれは喉の奥でひっかかったまま出てくる気配はなく、余計に胸の内のもやもやとしたものを増長させただけだった。ますます腹立たしくて、本当に月に向かってつばでも吐いてやろうかと思う。彼のプライヴェート用の美学には反する気がしないでもないけれど。(まあどのみち自分は気まぐれでもあるのだから構わないのだ。)

「きれいなお月さまね!」

 ――だから、その声が聞こえた時にはありえないという思いよりもむかっ腹のほうが勝ってしまったのは仕方なかったに違いない。
 レノの斜め後ろ、それこそかつてプレートの一部であったに違いないジャンクの山がある辺りから、その声は聞こえていた。独特の、不思議なイントネーションは、聞いた瞬間にその持ち主を思い出させ、レノの中をかき回す。
 後ろを振り向けずにいたら、声はなおも続けた。

「星、あんまり見えなくて残念だけど。でも気持ちいい夜だし、いいよね」

 レノの気持ちを考えもせず、マイペースに話す声が満足げに笑う。
 足を止めたレノは、ゆっくりと振り向いた。その動作をする間が、長いような短いような、不思議な感じだった。動作を終えた後も、自分の見ているものが真実なのかどこかでねじまげられたものなのか判然としなくて、やはり不思議な感覚は消えなかった。
 そうして見たジャンク山の付近には誰もいない。そこから少しずつ視線を上げていくと、真っ黒い山のてっぺんに長いしっぽのはえた影がちょこんと座っていた。半分だけ光の下にさらけ出されていたそれは、もう失われて久しいはずの女の姿だった。

「……出てきたはいいが帰りそこなったのか、と」

 ひどくかすれるかと思った声は、存外普通にするりと出て行った。
 正直、この女――エアリスが先日の一件にひそかに手を貸していたのだと(はっきりと聞いたわけではないが)、レノはきっちり気付いていた。なんだかんだとぐだぐだしていたあの男の背中をばしんと引っぱたいてやれるのは、実のところこの女くらいなものだったのだ。だからそれがなされたと知ったとき、レノはエアリスが現れたのだと思った。あの女なら、ライフストリームの中から根性で顔を出すくらいはやりかねない、とも思った。
 そんな風にレノに思われているエアリスは、月明かりを浴びて、むぅと頬を膨らませる。ウータイの蚊取り線香だとかいうぐるぐるしたやつの入れ物みたいな顔だ。

「わたし、そんなお間抜けじゃない」
「じゃあ道に迷ったか、と」

 ますますむくれるエアリスの顔がおかしくて、レノは軽く吹き出す。すでに時が止まってしまっている彼女は、レノの記憶にあるそのままで、あの頃のように失礼ねと怒った。ただ、十代の頃のように、手近にあるジャンク(ハンドサイズ)を投げてくることはなかった。

「せっかく会いに来てあげたのに、本当、可愛くない!」
「この歳の男が可愛かったら気持ち悪いだろうよ、と」

 肩をすくめてやると、それもそうかとエアリスはあっさりうなずいた。

「あなたが可愛いとか、気持ち悪いね」

 しみじみとうなずかれて、さすがにちょっと傷つく。意外とハートは繊細で、ガラスのように傷つきやすかったりするんだぞ、とは思うだけで口には出さない。出せば大笑いされるのがオチだ。
 エアリスは山の上でおそるおそる立ち上がると、えっちらおっちらと一生懸命、すべり落ちないように気をつけながら降りてきた。ときどき危なっかしげにぐらぐらしているのを見て、ならそんなところに登るなと言いたくなったけれど、やっぱり言わなかった。最後の50センチくらいをぴょんと飛び降りて、がらんと落っこちたジャンクと一緒になって着地。それを見ていたら、エアリスがにこりと笑う気配がした。

「お久しぶり、ぐうたらタークスさん」
「久しぶりだな、と。薄情なおねえちゃん」
「人聞き悪いこと、言わないで」

 ジャンク山のふもとへ降りるだけ降りて、それ以上近寄ってこないエアリスは腰に手をあててそう言った。仁王立ちだった。そう言えば足があるんだなと今さら思う。くたびれた茶色のブーツを履いた足は、しっかりと地面を踏みしめて立っていた。

「わたし、薄情なんかじゃ、ありません」
「薄情じゃなけりゃなんなんだ、と。この間は昔のなじみに挨拶もなしだったぞ、と」
「確かに、挨拶、しなかったけど。でもちゃんと見てました」

 言ってエアリスは胸をそらす。偉そうに。

「クラウドに締め出されたところとか」
「そういうことはさっさと忘れちまえ、と」

 別にあれが恥ずかしいだのエースの名折れだのと思いはしないが(そもそもあの程度やれないような牙を失くした狼になど用は無かった)、にまにまと意地悪げに笑いながら言われるとさすがにおもしろくはない。
 けらけらと高らかに笑いながら、エアリスはその場でくるりと一回転する。

「やっぱり、あなたからかうの、楽しい!」

 "大地"の名をもつ女は、上機嫌に月の光の下でくるくると舞った。おりしも吹き抜けた風に乗って、自分の笑い声をダンス・ミュージック代わりにして。レノの機嫌が下降線を辿るのは、まったく構うつもりもないに違いない。
 とりあえず、彼女の酔狂に付き合うつもりはないので、レノはそれを黙って見ていた。月明かりのスポットライトと妙なBGMとたった一人の観客で急造されたステージで、エアリスは、ふわりふわり、楽しそうに踊っている。よくもまああんなに笑い続けながら踊れるものだと、適当にぼーっとしながら思った。(感心はしない。あんなものに感服するほどレノの美的水準は悪くないので。)
 ただ、ぼーっとしながらも、寂しいもんだとは少し、感じた。

「今日、ね」

 その場から一歩も動かずに踊り続けるエアリスは、止まろうともせずに唐突に言った。こちらに背を向けていた。

「実は、お礼言いに、来たの」

 あなたに、と言う声はいつになく柔らかくて、少しだけレノを驚かせる。レノの知っているエアリスの姿がすべてではないことくらい、わかっていたはずだった。少なくとも、クラウドたちと一緒にいるときの彼女は、レノといたときの彼女とは別人のようで。大人びた女性らしい微笑を見たこともないと思ったのを、2年経った今でも覚えている。そして、それが自分に向けられることはないだろうと思ったことも。
 けれど今現実に、エアリスは微笑んでいるに違いなかった。相変わらず背を向けたままで顔は見えないけれど、紡がれる声は連中といたときのそのままで、とても穏やかだった。

「礼を言われるようなことをした覚えはないぞ、と」
「うん、あなたならそう言うだろうなぁって、思ったわ」

 エアリスはやはり振り向かなかった。

「でも、わたし、借りっぱなしなんていやだもの」
「そもそも貸した覚えもないな、と」
「あなたになくても、わたしに、あるの」

 やっとこちらに向き直ったエアリスの、その独特の緑の瞳が、きらきらと柔らかな光を放つ。もしもこの鋼鉄の荒野が再び緑に覆われる日が来るとしたらこんな色じゃないかと思うような、とてもきれいな色だった。

「暴力、好きじゃないけど。でも、あの人たちをやっつけてくれたから」

 暴力など嫌いだとはどの口が言うんだ暴力女と悪態をつく頭の片隅で、あの人たちとは仕事帰りにぶん殴ったやつらのことだろうかと、ぼんやりと思った。そんなもの、礼を言われる筋合いはない気がする。最初はスルーするつもりだった連中が、たまたま街の子どもたちを誘拐しようと話しているのが聞こえたから、殴り倒してやっただけのことだ。仮にも世界の再建を掲げる社長の下で働く身、そのくらいすることだってある。

「だから、ありがとう。あの子たちのこと、守ってくれて」

 レノは何も答えなかった。ただひょいと肩をすくめてみただけだった。
 それに、エアリスはくすりと笑った。それから、本当に素直じゃないと言って、さっき彼女と一緒に転がり落ちてきたジャンクをこつんと蹴る。その後頭部で長いしっぽが揺れた。

「ジャンク・パーツのほうがきっともっと素直な感じに、融通、利くわよ」
「俺は今でも十分過ぎるほど素直だぞ、と」
「嘘つきは泥棒になるんだから」

 なおもくすくすと笑うので、レノは大きくため息をついた。きっとそれを認めるまで、エアリスは何度だって同じことを言うのだろう。レノの知っている彼女という女はそのくらい強情だった。別れとも呼べない最後のときを経た今も、たぶん、あの出会った頃と同じように強情なのに違いあるまい。もうすでに過ぎ去って、今を生きるレノを感傷的な世界へ引きずり込んでしまうに違いない、記憶の中の時間と寸分変わることなく。
 悟って、レノはエアリスに背を向けた。びらりと手を振る。エアリスもちゃんと見ていると思う。視線を感じる。これ以上付き合っていたら、冗談抜きに余計らしくないことになりそうだった。――泣いてしまいそうだ、とは絶対に意識もしてやらないけれど。

「泥棒でも何でも、俺は疲れてるから帰るぞ、と。いくらおねえちゃんでも、夜中の一人歩きは危ないからさっさと帰れ、と」
「いくらわたしでもって何よ!」

 背中の向こうでエアリスはぎゃんぎゃん叫び(後輩と同系統の叫び方だった)、だんと地面を踏み鳴らした。けれど、殴りかかってきたり物を投げたりとかは、やっぱりしてこなかった。

「もう! 後ろから殴られちゃったりするの、月のない夜ばっかりじゃないんだから!」

 代わりに、そんな物騒なセリフを吐いて寄こす。

「月夜の晩に俺の背後に立つなんて、そんなのあんたくらいに決まってる、と」
「非力で可愛いお嬢さんが、そんなこと、するわけないでしょ」

 本当に非力で可愛いお嬢さんは、追っ手をロッドで殴り倒したりはしない。
 声には出さなかったし相変わらずレノは背を向けっぱなしだったのに、彼女には考えていることがなんとなく伝わったらしい。

「そりゃあ襲われたら頑張って身を守りますー。火事場のバカ力とかで」

 バカ力かやっぱり。
 都合よくその前にくっついていた言葉を頭の中で削除して、レノはひそかに突っ込みを入れた。今度は彼女に伝わることなく、それはそのままどこかへ追いやられて消えたけれど。
 そもそも誰かに襲われるなんてことがありえるわけもない(そういった意味では、悲しくとも今の彼女は平穏を享受できているのだろう)、それに気付いて、レノは心配するだけ損かと歩き出した。

「本当に、ありがと、ね」

 背後でもう一度、エアリスが言った。肩越しに手を振ると、彼女が気をつけてねと笑うのが聞こえる。一歩前に出るたびに遠のいていく声が少し名残惜しい気もしたけれど、レノは足を止めなかった。振り向きもせず、さよならも言わなかった。
 振り向いたところで、きっともう彼女の姿はそこにはないのだと(そして彼女がそこからいなくなるわけではないのだと)、なんとなく感じていたから。

 また一人になって、月明かりの下をずんずんと歩く。
 月はさっきまでと同じように笑っていたけれど、もう不快感は感じなかった。むしろ心地いいくらいか。月の光に洗い流され、胸の中でもやもやとわだかまっていたものは消えてしまったようで、別に真っ暗闇が恋しいとも思わなくなっている。たぶん、今真っ暗闇に放り込まれたら落ち着くとかそんなのは二の次で、眠りの谷へフリー・フォールでまっさかさまだ。
 レノにそんな感覚を覚えさせた原因も、その原因の原因も、今はちゃんとわかっていた。喉につっかえたような感覚もなく、さっぱりすっきり爽快である。月明かりで落としていった女の影が、すべての答えを目の前にばら撒いていったからだ。もしかしたら彼女はお礼だけじゃなく、そんなところまで見越してひょこりと顔を出したのかもしれない。……さすがにそれは考えすぎか。
 ――自分が思っていたよりもはるかにずっと、彼女の存在は大きかった。それに気付いたのは、本当にいまさらのことだった。

別サイト時代に2周年記念フリーにしてたもの
タイトルはDelittoさま(閉鎖)でお借りしたお題より
執筆時のイメージは薄い月明かりと縮まらない距離感
[2007.4.6]

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