「俺の名前を叫んだって本当ですかね? 殿下」
わざとらしく殿下なんてつける目の前の男に、そう呼ばれるだけの地位にある彼女は露骨に顔をしかめた。
「そんな話誰から聞いたの。それにその殿下というのはなんなの。わざとらしい」
「王女殿下を殿下と呼んで悪いことはないだろうが。それと、こういうときにはニュースソースは明かさないのがルールだ」
覚えときな。
つらりと言ってのける男に悪びれた風はなく、彼女は大きくため息をついた。あの人とは正反対でどうにも憎たらしいことしか言わないこんなやつに、どうして惹かれてしまったのだろう。再会してまだ1日も経っていないのに、ため息の数はとっくの昔に20を超えている。なんてことか。
まあニュースソースの件はどうでもいい。どのみち、そんな話をわざわざこの男に教えてやる人間なんて限られていて、すぐに見当がつく。というよりも、脳裏には一人の名前しか浮かばない。
容疑者の顔を思い浮かべてその頬を思い切りひねりながら、時計を見た。あと5分で日付が変わる。
「もうすぐだな」
「何が」
「おいおい、王女殿下が忘れちまうってことはないだろう」
わかっているくせに笑う。別に忘れたのでもなんでもなく、単に腹を立てているだけだ。それがわからないような鈍い感性はしていないくせに、男はあえて言う。もちろん原因は、ニュースソースを秘密にされたことでも、あのことをこの男にバラされてしまったことでもなく、いちいち男が彼女を殿下殿下と呼ぶこと。
「本当に人の悪い」
「お褒めの言葉、ありがたく受け取らせていただく」
「おまけに耳も悪かったのね。知らなかったわ」
部屋がしんと静まり返る。ぼーん、ぼーん、と時計が鳴り響いたのはこの時だった。
「さて、行くか」
時計の音の中、立ち上がった男はほれと彼女の手を取った。どこへと問う前に、男は笑顔で窓の外を指す。
「戴冠祝いだ。行こうぜ、アーシェ女王陛下」
呆気に取られて、けれどまったくもうと苦笑して。
20数回目のため息は、とても嬉しそうなものだった。
アーシェさま戴冠前夜
[2007.1.12 執筆/2007.2.21 加筆修正]