最後に来た頃ですでに立て付けが最悪になっていたドアは、もはや上のほうの蝶番がはずれてしまっていた。よく見なくてもばきんといっちまっているのがわかる。乱暴に開けられたりバイクに体当たりされたりしたせいだというのはレノの知らないことであったけれど、とりあえずこの間の一件のせいだというのは想像に難くない。ていうかそれ以外に理由らしい理由は想像できない。だって、2年やそこらでいきなり蝶番がばきんていくほどもろくなってはいなかったはずだった。なぜだかそれは記憶の底にこびりついている。
がつんと靴の裏で壊れたドアを蹴っ飛ばし、レノは見た目そのものまで元教会でしかなくなっている半瓦礫の山に踏み込んだ。
意図しなくても勝手に足が向かうくらい、何度も通ってきていたはずの教会は、あの頃の半分くらいしか原形をとどめていなかった。多少壊れていても整然と並んでいたはずの長イスは一部が完膚なきまでに破壊されているし、真ん中をぶった切るように倒れた柱は他の壁やら残っていた窓やらをぶち壊している。よく見れば壁にはあちこち砕かれた跡があった(それは元からだったかもしれないけれど、そこまではさすがに覚えていない)。もともと穴が開いていて、頭の上には冗談抜きに空、だった屋根も、今は9割方空しかない。かろうじて残っている部分だって今すぐにひょいと落ちてきそうで怖い。あれが頭にヒットしたら間違いなくお陀仏だ。
でもそんなのは、レノにとってどうでもいいことでしかなかった。屋根も柱も窓も壁も蝶番も、放っておけば遅かれ早かれ錆びて朽ちて崩れていく予定だったのだから。
すっかりなくなった天井を見上げていたレノは、それでも、と思う。
昔から、破れた天井と砕けた窓から不思議と光の射す場所だった。プレート下で昼夜さえ電光でコントロールされている、にもかかわらずいつだって柔らかい光に満ちていた。それまでもが古代種の力だったのかは知らない。ただその限りなく天然の太陽光に近いそれは、オレンジだったり白だったり緑だったり、とにかく色とりどりに形と場所を変えながら教会の中を照らしていた。舞うホコリさえ、尊い気がするくらいに。
古代種の女はその様を評してカーテンみたいとか言っていたっけ、不意に思い出す。なんで光イコールカーテンなのかわからずにいたら、ほらなんかひらひらしてるでしょとかなんとか力説されたような気がするけれど、あまりきちんとは覚えてない。ただそのときの古代種の顔が幸せいっぱいの純粋無垢な少女みたいで、こいつもこんなツラできんだなとか口に出したら殴り殺されそうなことを瞬時に思ったことははっきりと記憶している。
建物が崩れても、空気の色(というものがあるとすれば)はあの頃のままだ。
倒れた柱の前でこの障害物をどうクリアするか、レノはちょっと真剣に考えてからその下の隙間をしゃがんでくぐった。そのときにちょっとスーツの背が柱にこすれて、ああやっちゃったかと少しブルーになる。きっと背中は白くなってるに違いない。黒っぽいスーツにホコリ汚れ、帰ったら何を言われるやら(特にあのうるさい後輩とか)。
思いっきりため息をついた反動で思いっきり息を吸い込んだら、ホコリまで一緒に吸っちまってとのどがべたつき、思わずむせる。
帰ったらうがいして酒、なんて息を整えながら顔を上げた先に、レノが知る光景はなかった。
大きなステンドグラスの前に、床板がはがれてむき出しになった地面。そこにつくった(だかできただか)花畑にいつも古代種がしゃがみこんで、真っ白な手を真っ黒にして花をいじっていた。レノが来ても知らんぷりをする。むせ返りそうな花の匂い(と言うと怒られるから黙っていた)の中、レノも女も何もしゃべらない。たまに言葉を交わしてレノが要らんことを言うと、水が満タンに入った小さめの如雨露がびゅんと飛んでくる。あまりそういうのに興味がないレノでさえきれいだと思う、あの淡い光の中で行われるにはちょっとアレな子どもっぽい暴力(でもダメージは結構でかい)だった。
でももう、せいぜいでかいステンドグラスが無事だった程度の花畑周辺には、あの頃の面影なんてカケラもない。
「よう、古代種のお姉ちゃん」
かつての花畑、いまやでっかい水たまり(世間じゃ奇跡の水とかセンスのない呼び方をされているらしい)のそこに向かって、レノは呼んだ。いつの間にやら近くに突き立てられていた、見覚えのありすぎるバカでかい錆びた剣がちらりと視界に入った。少なくともそれがそうだと認識できる程度には、レノのその両目で見た。けれど今日は別にそっちに用があってきたわけではないから放置した。
彼女が嫌う呼び方をして時間がたっても、如雨露もスコップも細っこい鉄拳も飛んでこない。それをいいことにというわけではないけれど、レノは一方的に話し続ける。
「今回は災難だったな、と」
災難だったのは本当はレノも同じだ。でもそんなのをバカ正直に教えてやるつもりはない。エースというにはちょっと情けないところがあったなんて、恥ずかしくて言えやしないじゃないか(それがたとえ、仕事のために計算ずくのことだったとしてもだ)。
もっとも、彼女はきっとそんなとことかもきちんと見て知っている。それで、レノを見ながらにたりと笑ってなっさけなかったわねーぇ、なんて言うんだ。それがレノの知ってる古代種だ。
水たまりのギリギリまで行ってしゃがむと、水面を渡ってきた涼しい風がレノの顔を撫でた。かすかに花のにおいがした。さっき柱の影で見えなかった部分は、がっつりと大きな穴が開いている。壁も屋根もあったものじゃなくなっていて、玄関付近よりもはるかに崩れっちまっていた。はーこりゃよくやったもんだと変な感想が頭をよぎる。八つ当たりされそうだとなんとなく気まずくなって、視線をそらした。
水がたまっているクレーターは相当でかそうだった。たっぷりの水のせいで底までの距離はよくわからないけれど、けっこう深そうだと思う。それはあの、銀髪のやっかいなガキがやらかしたのだとクラウドから聞いた。そう言えばヤツも目が泳いでいたっけと思い出して、ちょっとブルーになる。ヤツは別におびえる必要もあるまいに、やったのはヤツではないし(まあその辺、防げなかったという負い目はあるのかもしれないけれど)、八つ当たりだってヤツにはいかない。でもまあ、小言くらいは食らうのかと思って少しばかりざまあみろと思いながらほっとする。それがどれだけおかしな安心かわかってはいたけれど、なんせ相手はあの女だから、気を抜くことはできないのだ――多分、というかほぼ確実に。
水面はレノの気持ちなんてそっちのけでそよそよと風に揺れていた。クラウドにはとことん甘いくせに、レノには完全に無視を決め込む。まったく古代種そのものだと思いつつ、その場にしゃがんだ。これ以上スーツが白くなるのはごめんなので、尻はつけない。
「花、持ってきてやったぞ、と」
持って来た花束を、ぽいと水面に投げた。カームの花屋で適当に見繕ってもらったそれは、なぜだか全部レノが知っている花ばかりだった。古代種がいつもここで育てていた花。光の中で淡く開いていた花だ。名前を教えられても覚える気がなくて結局覚えなかった。
――この花、ね。夏の、いつもこのくらいの時期に、咲くの。
きれいでしょう、と自慢げに笑う女の笑顔が脳裏に浮かんで、レノはああ意外と重症だったのかもしれないと思う。
レノがわざわざ隣街で花を買って、わざわざ教会へ足を運んで、こうやって女が残した痕跡に声をかけてやるなんて、今まで絶対にありえなかったはずなのに。夏の暑さでやられたなんて言い訳はできない。
女が星へと還ったその時に、レノと女のつながりも消えた。ここへ来ていたのはあくまで仕事のためで、個人的な用事のためじゃない(仕事をしていなかったというツッコミはこの際ナシだ)。だからもうレノが女を追うこともなくて、女がレノの顔を見ることもなくなった。……はず、だった。
でも今、レノは自分の意思で、ひとりっきりでここにいる。昔のように気まぐれとも言い難いのは、ここへ来るまでに費やした労力と葛藤とため息が半端じゃないからだ、……と自分では言い聞かせた。
「……まったく、あんたには本当にいろいろペース狂わされて大変だったぞ、と」
ふんだんに苦味を混ぜ合わせた笑いが顔に浮かぶ。それが水に映ったら、ぴゅうと風が吹いて水たまりに波紋を走らせた。ぐらぐらとレノの顔が揺れて、どんな顔をしているかわからなくなる。
たぶん、どういう意味よと女が頬を膨らませたんだと思って、レノは今度こそ声を上げて笑った。
この時、不機嫌な顔をした女が水の上にいたような気がしたのはきっと気のせいなんかじゃない。
原形をとどめない教会と、跡形もなくなった花畑と、代わりに彼女がつくった水たまり。
すっかり様変わりした中で変わりなくひらひらしているカーテンは、残った記憶ごと淡く水の上に揺れていた。
AC後のレノ
時間もたってACCも出たからそっちネタも入れてみた
[2006.8.13/2009.9.7 大幅修正]