達海監督就任前夜。
落ちて散らばった資料を拾い集め、その手がふと止まる。目に止まったのは目を見張るものは何もない(まあ出身高校が強豪として名を馳せているところではあるけれど)、サテライト上がりの選手のデータだ。
まだあどけなさすら残る選手の顔写真に妙な既視感を覚えて、達海はそれを手に取った。
おとなしい、を絵にかいたような、アスリートとしては珍しい面立ちが、お世辞にもいいとは言えない達海の記憶にひっかかる。
"達海さん"
控えめに呼ぶ声が耳の奥によみがえった。戸惑っているのがまるわかりの、そのくせ嬉しそうに呼ぶ彼は、達海をETUの7番と言った。あのときのあいつの顔なんて覚えていないし、声だって正確には覚えてない。よみがえったと思いはしたが、それがあのときのあいつの声かどうかなんてわからない。ただ、おぼろげに残る印象が写真の顔にかぶって見えた。ただそれだけ。
だいたい、あれが夢か現実かも正直判然としないのだ。
「なんて言ってたっけなー……」
夢か現実かはともかく。いちおう名前を聞いた気はするのだけれど、それを思い出せるほどやはり達海の記憶力はよろしくない。以前、誰だったか(ほらこの段階でもうよろしくないのが丸わかり)、サッカーのことばかり考えすぎて、そちらに脳の容量くわれてるんじゃないのかと言われたような気もする。そのときにはああその通りかもと思ったものだったが。
資料にある名前は椿。椿大介。
「ツバキ、か」
なんだかそんなような名前だった気もする、でもやはりはっきりとは思い出せなかった。
ただ、それほどまでにアレな記憶力の持ち主である達海が、夢か現実かもわからないできごとを覚えているのは、ひとえにおもしろかったからに他ならない。ぽんぽん明後日へとボールを飛ばすくせに、ノった瞬間に別人のようにスイッチが入る様は見ていてもおもしろかった。一緒にプレーしていてもどきどきわくわくさせられた。
まあ、たとえあれが現実だったとしても、彼が当人であるはずがない。あれは達海がまだ現役でピッチに立っていた頃の話で、10年以上も前のことだ。この資料の椿は20歳。当時はまだランドセル背負って小学校に通っている。
それでもなんとなくかきたてられるものはあって、達海はジャケットをひっかけて外へ出た。真っ暗なピッチさえ、あの日を思わせるようで、落ち着かない気分になる。
達海をETUの7番と呼んだあいつによく似た椿が、ETUの新しい7番。いったいなんの偶然だろうと思うと、胸のざわめきはまた少し大きくなった。
"どこであったっけ?"
タッツをどんだけものおぼえわるくしたいんだ
[2010.6.17]