十数光年向こうの太陽

 テレビの中で笑う彼は、確かに太陽だった。
 めちゃくちゃ強いくせに、見守るみたいにあたたかい、――陽の光だった。

「おっ。お疲れ、椿君」
 恒例の居残り自主練まで含めてすべて、本日のメニュー終了後。
 クラブハウス内で出くわしたのは広報の永田有里だった。活発なイメージのせいか、なんとなく郷里の姉を思い出してしまう彼女を前に、わずかばかりの緊張で背筋が伸びる。
「ウ、ウス。永田さんもお疲れさまッス」
「今日も自主練?」
 はいと答えると、精が出るわねーと褒められた。
「まったく、選手がこんだけ頑張ってるってのに……!」
 ぼそりと出た愚痴がどのあたりをさすものか、とりあえずは考えないことにした。だって、考えてはいけない気がするし。まかり間違って監督が浮かんでしまっては大事だ(ここで名前が出てしまう時点で限りなくアウトに近いことには気付いてない)。
「……あ」
 思考を逸らそうと、ふと視線を向けた先で、珍しいものを見た。
 有里はファイルやらクリップボードやら、とにかくあれこれと抱えている。その腕の中にひとつ、大きな黒いハコのようなものが混ざっていた。
「あの、永田さん」
「ん?」
「それ、ビデオテープッスか」
 ああこれ、と有里が自分の腕の中に視線を落とす。
「そ。ちょっと頼まれて、実家から持ってきたんだけど」
 今やDVDに取って代わられ、あまり見かけなくなった記録媒体。椿自身、ビデオテープなんて実家に帰った時に母が引っ張り出してきた古めかしい昔のやつを見せられるくらいだ。幼い頃の自分とかが映っていたりして、大概はとんだ羞恥プレイだ。思い出して、一気に頬が熱くなった。
 そうだわ、とつぶやいた有里の声に、現実に引き戻された椿はきょとんと瞬く。
「椿君、時間ある?」
「え、あ、はい」
「じゃあ見てみる? コレ」
「え?」
 にこにこと笑う有里がついてきてと返事も待たずに歩きだし、椿は慌てて後を追った。

 移動した先は広報の使う事務室だ。
 入って、座ってと促されるままにテレビの前のイスに腰を下ろすと、有里がミルクと砂糖要る、と声をかけてきた。お構いなくと(あたりまえのように多少どもりつつ)返すと、遠慮しないのとコーヒーのカップと一緒にポーションとスティックシュガーが手渡された。
「さ、見るわよー」
 有里の手がビデオをデッキへ押し込む。ガシャンとテープが飲み込まれ、待つこと数秒で、テレビにやや乱れた画像が映し出された。色や線があちこちへ飛んだりゆがんだりしているが、とりあえず何かのCMらしい。
「えっと、テレビの録画かなんか、スか?」
「うん。ゲームのテレビ中継」
 言葉通り、画面にはスタジアムが映っていた。テープの劣化でか全体的に色は薄い、けれどスタジアムを埋めるサポーターが赤と黒のユニフォームを着ているのははっきりとわかった。中継のマイクが、遠く歓声を拾う。統一されたチャントではなく、ただひたすらに叫び続けるサポーターの声。
「……もしかして、コレ、ウチの」
「天宮杯の準々決勝よ。私の忘れられない試合」
 椿はじっと画面を見つめる。スタジアム全体をなんとなく見れるようになってきたのは最近のことだけれど、こんなふうにスタンドが赤く染まった光景には覚えがない。いつのだろう、と小さく首をひねる。テープがこれだけ劣化しているなら、ここ2、3年というわけではなさそうではある。そもそもETUが天宮杯の準々決勝に進出したなんて、椿の記憶にはない。きっと、もっとずっと古い試合だ。
「けっこう寒い日だったのよね」
 有里のつぶやきを証明するかのように、画面の中では雪がちらついていた。ただ、そんなもの関係ないといわんばかり、ゲーム前特有の興奮もあらわに実況アナウンサーらしき声が原稿を読み上げている。
(……あれ?)
 ふと、アナウンサーの紡いだ言葉が耳に引っ掛かった。それは聞き覚えのある名前だった。ただ、こんなふうに聞いたことはない。呼ばれ方も違う。
 画面には入場してくる選手たちが映っている。劣化している上、引きで撮られているために顔まではっきりとは見えない。けれど、先頭を歩くゲームキャプテンに見覚えなどなくとも、その後ろを歩く選手は放たれる空気で判別できる。
 近づいて、やっとはっきり見えるようになった顔。あちこちへ跳ねた茶髪の下で、目が不敵に笑っている。
「達海監督……」
 若い。いや、今だって実年齢よりもずっと若く見える人だけれど、それを考えても若い。きっと椿とそう変わらないくらいだろう。
 今の椿と同じ、7番のついた赤と黒のユニフォームを着た、現役時代の達海猛がそこにいた。
「清川さんから聞いたんだけど、椿君、達海さんの現役時代知らないんだってね」
「あ、え、えと……あの、ハイ」
「縮こまることないよ。その頃って椿君まだ小学校上がったくらいでしょ?」
 この天宮杯の試合の頃なら、おそらくその通りだと思う。
「サッカー始める前だよね。なら知らなくても無理ないんじゃない?」
 有里はちらりとも目を離すことなく、そう言った。
「とりあえず今見れば、全く知らないことにはならないしね」
 彼女の言葉とほぼ同時に、試合開始のホイッスルが響いた。

 ピッチを駆ける達海は、まさに太陽だった。
 試合開始のその瞬間から、椿の目は達海にくぎ付けになった。ボールを持っていてもいなくても、常に存在感を感じるプレー。駆けるというよりも跳ねまわっているような、躍動する達海は、敵味方合わせた全部の中で、ひとりだけ飛び抜けて輝いていた。
 パスもシュートもレベルが違う。技術を越えたところに何か違うものがある。椿の得意なスピードを生かしたドリブルも、この達海には到底かなわない気がする。いや、絶対かなわない。少なくとも今の椿では。
(ああ、)
 そっか、と椿は前に聞いた達海の言葉を思い出していた。試合を楽しめ、楽しんだ奴の勝ちだ。そう言ったときの達海の顔が、テレビの中の昔の達海と重なる。
 2点差で負けていても、達海の表情は変わらなかった。楽しそうに、純粋に勝負を楽しむプレイヤーの顔。達海の出すパスは的確で、正確で、そして何より見ている人間がわくわくするような、そんな位置に出される。それをチームメイトたちがつなぎ、絶妙な位置に持っていったところで、駆け上がっていた達海の足がボールを相手ゴールにたたきこむ。
 隣で有里がやったあと歓声を上げていたけれど、椿は声を出すことも忘れて達海を目で追い続けていた。
(俺もあんな風にプレーできるようになれたら)
 極度のチキンで、すぐかちこちに緊張してしまう椿には、到底無理なもののように思える。でも、
(自分の中の、ジャイアント、キリング)
 いろんなものに打ち勝って、達海のように楽しくプレーできたら、少しは近づけるのかもしれない、とは思った。

 ゲームは達海がハットトリックを決めて、3−2とETUの逆転勝利に終わった。
「どうだった?」
 終わったテープを巻き戻しながら、やや興奮気味に尋ねてくる有里に、椿はひとこと、凄いッス、と答えた。
 語彙の少ない椿には、それしか思いつかなかったというのもある。けれど何より、本当にただただすごかった。本能の赴くまま、ボールを追い続ける達海の姿は、劣化して色あせたテープの上でもまぶしいくらいに光り輝いていた。
「あの頃の達海さんて、私にとってヒーローだったんだよね」
 きらめく目は何も映っていない画面に向けられている。でも椿にはわかる。彼女の目には、いまだ画面上で踊るかつての7番が映っている。そのくらいのインパクトがあった。あの人の背中には。
 チームを引っ張り、劣勢をひっくり返して勝利をもぎ取る。ジャイアントキリングをまさに自力でやってのけた達海、その姿が頭の中でぐるぐると回り続ける。……もしかしたら、椿も興奮していたのかもしれない。
「なんていうか、その、全然目がそらせなくって。……あの、永田さん」
「何?」
「ビデオ、見せてもらってありがとうございました。見れてよかったッス。ほんとに」
 頭を下げると、有里はきょとんとして目を瞬かせてから、ふふっと笑った。
「でしょ」
「……俺、監督みたいになれるように頑張ります」
 片付ける有里の手伝いをしながら、椿はぽつりと言った。椿は気付かなかったけれど、それはかなりのビッグマウスと誤解を生みかねない言葉だったけれど、有里はその真意を素早く正しくくみ取ったらしい。
「やれるよ、椿君なら」
 あえてなれると言わずにやれるとうなずいた。そしてああでも、と心底困った顔を作って椿の肩をたたく。
「お願いだから、マネするのはピッチの上の達海さんだけにしといてね」
「? ウス」

 その後、椿が有里の言葉の意味をきちんと理解するのにたっぷり3分かかってしまった。
 思いっきり呆れられるというオチをしっかりつけて、ビデオ鑑賞会がお開きになったのは、なんとも椿らしいというべきなのだろう。きっと。

ひとつあからさまに間違ってたのでなおしました
バッキと有里ちゃんすきです
[2010.5.21/2010.6.4 一部修正]

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